トッペイのみんなちがってみんないい

透析しながら考えた事、感じた事。内部障害者として、色々な障害者,マイノリティの人とお互いに情報発信したい。

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生活保護ビジネス/NNNドキュメント’09を観て

2009-07-24 23:59:50 | 格差社会・貧困化社会
 7月20日放送の日本テレビ「NNNドキュメント’09 生活保護ビジネス 福祉施設の”闇”に迫る」を観た。

 小泉改革は、セイフティーネットの構築を放棄した。その結果、現在は、景気の後退とともに、格差社会・貧困化社会への進行がこの国をむしばみ始めた。労働者派遣法の改悪もそうした社会の到来の原因となった。小泉改革が進めたもの。今回の衆議院の解散で、労働者派遣法・障害者自立支援法の改正、肝炎患者支援法が不成立となった。その一方で、派遣会社は、自社に登録している派遣労働者に労働者派遣法改正に対する署名を強要しているといわれている。

 貧困ビジネスということも、世の中に知られるようになった。その中の典型的な「生活保護ビジネス」が番組で取り上げられた。

 無料低額宿泊所というものがある。社会福祉法によれば、社会福祉事業には、行政の許可が必要で、チェックが厳しい第1種の事業と、届け出だけで行える第2種の事業がある。無料低額宿泊施設を営むのは、第2種福祉事業にあたり、届け出だけでNPO法人でも、会社、個人でも運営できる仕組みになっている。届けられている無料低額宿泊施設は全国で415個所ある。生活保護ビジネスは、この施設を使って行われている。また、無届けのもぐりの施設も存在する。

 路上生活者などに声をかけ、低額宿泊施設に入所させる。生活保護費約12万円のうちから、施設利用料等の天引きで、本人に渡されるのは3万円程度である。この際、預金通帳も本人の知らないところで作られている。

 もちろん、ちゃんとした活動をしているNPO法人も存在する。就職までフォローしている。しかし、生活保護ビジネスは、ただ、入所者を狭い個室などに住まわすだけで、生活保護費のピンはねをしている。

 番組に出ていた千葉市の稲毛厚銀寮も同様な施設である。ここに2年半入所していた男性が、脱出して市民団体に助けを求めた。東京の御徒町駅周辺で声をかけられた。生活保護申請の時には、そのことは黙っているように言われた。3階建の建物の2畳半の個室に生活するが、他の入所者との交流も禁止され、外出するにも門限が設定されている。同じ敷地には、ほかの2施設が存在する。番組で、厚銀寮に話を聴きに行ったときに対応したのは、他の施設の人間であった。

 無届けの団体も紹介していた。200人余りを千葉県内のアパートに分散させて住まわせている。ここでは、本人には、2万3千円ほどしか渡さず、銘柄のない質の悪いコメを支給するだけで、利用者は自炊をするが生活は苦しい。年間1億2千万円の収入は見込めるビジネスである。

 生活保護の支給日には、役所の前に受給者から生活保護費を手渡しされるこうした生活保護ビジネスを営む人間の姿が見られる。

 自治体の中には、こうした施設の実態を知りつつ、自分たちでシェルターを作ることを怠っているために、その存在を黙認しているところもある。

 生活保護費は、年間2兆7千万円が費やされている。この金額の中から、どれほどの額が生活保護ビジネスに流れているのであろうか。

 厚銀寮は、番組の取材のせいもあったのか、千葉市の調査がはいったが、自治体の指導には限度があり、厚銀寮はこれからも存続していく。

現生人類がネアンデルタール人を殺害?/気になるニュース

2009-07-24 21:29:44 | 科学

(Photograph courtesy Duke University, Les Todd)

現生人類がネアンデルタール人を殺害?(ナショナルジオグラフィック 公式日本語サイト) - goo ニュース

 聖書によれば、人類最初の殺人はカインによるアベルの殺害であった。しかし、これは神話の世界の話。今回、5万年前に、高度な飛び道具を使用した現生人類がネアンデルタール人の男性を殺害した可能性があるとの研究結果が発表された。

 現生人類とネアンデルタール人は、ある時期、同じ空間で生活していた。両者の間に、どのような緊張関係があったのかは、興味のある問題である。

 今回の研究は、1959年にイラクの洞窟で発見された「シャニダール3号」(Shanidar 3)と呼ばれるネアンデルタール人骨格を法医学的手法で調査したものである。この遺骨は、肋骨1本に切り目が入っており、残りの肋骨は無傷に近い状態であった。左のわき腹を負傷して命を落とした可能性が高いと見られていた。

 「もしこれが事実ならば、この旧石器時代の“殺人”は、ネアンデルタール人に対して現生人類が武器を使用した初の実例となる。ネアンデルタール人ら旧人はそのまま現生人類に進化したのではなく、より高度な文明をもった新人によって滅ぼされたという説の証拠になるかもしれない。」

 現生人類によるネアンデルタール人殺人事件があったのかもしれない。




53万年前の頭蓋骨:障害児を育てていた初期人類(WIRED VISION) - goo ニュース

本が読めるということ/絵本『ありがとう、フォルカーせんせい』

2009-07-24 01:24:16 | 絵本・児童文学
ありがとう、フォルカーせんせい (海外秀作絵本)
パトリシア ポラッコ
岩崎書店

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 読書の楽しみは、色々な世界を知ることができること。でも、字がうまく読めない人がいる。知能は低くないのに、字を読むのが困難な人たちである。ディスレクシアと呼ばれる。俳優のトム・クルーズなど著名な人も多い。彼は、台本を音に変えて、耳から覚える。

 LD(学習障害)は、知的発達に目立った遅れはないものの、学習面で学びにくさを持っている子どもたちを呼ぶ言葉だ。その子によって、読み、書き、算数、話したり聞いたりする力に学びにくさの様々なタイプが見られる。その子にあった学習法をとることで、つらい思いをしなくて済むはずである。しかし、日本では、まだ、そうした学習障害や発達障害を持つ子供に対しては、十分な、学習保障がなされていないのが現実である。アメリカや、イギリスのように法律で、十分な学習環境の保障がなされていない。

 トリシャがこの本の主人公の少女である。家族から、5歳の時に不思議な儀式を受けた。トリシャが持った本に、おじいさんが蜂蜜を垂らして、指先にその蜂蜜をつけ、なめさせる。家族が皆で言う、「ハチミツは あまーい。本も あまーい。よめば よむほど あまくなる!」。
 子どもが本を読む日が来た時の、大人たちの子どもに読書の楽しみを期待する儀式である。
 でも、トリシャは、本が読めなかった。家族が読んで、耳から入ってくる言葉は理解できるのに、字が読めなかった。字がくねくねした形にしか見えなかったのだ。
 学校に入っても、字が読めないことで馬鹿にされた。大好きなおばあさんとおじいさんが天国に旅立ってから、家族は引っ越しをした。新しい学校に行ったら、もう馬鹿にされないと思ったのだが、やはり、字が読めないので同じことになってしまった。ずる休みをするようになった。

 5年生の時に、トリシャのヒーローになるフォルカー先生がやってきた。先生は、生徒のことをよく見ていて、えこひいきをするような先生ではなかった。トリシャは絵が上手だった。先生は、トリシャの絵を褒めてくれた。国語の時間には、トリシャを笑った生徒を叱ってくれた。でも、意地悪なエリックがトリシャに付きまとう。トリシャは、授業以外の時間は、エリックに見つからない所に隠れるようになった。でも、エリックは執拗にトリシャを探し出していじめた。その現場を先生が見つけた。
トリシャは、本当のことは言えなかった。

 でも、フォルカー先生は気がついたのだ。ある日の放課後、濡れたスポンジで黒板の掃除を手伝ってほしいとトリシャに頼んだ。その時に、スポンジで、先生の言う通りのアルファベットや数字を黒板に書かせた。やっぱりだめ、トリシャはスポンジを投げ出した。

 それから、フォルカー先生と国語のプレジー先生と3人で、放課後の特訓が始まった。

 何カ月もたってから、先生が見たこともない本を持ってきた。何が書いてあるのか、意味も全部わかった。

 急いで家に帰った。その本にハチミツを垂らしてなめてみた。

 トリシャは、この本を書いたパトリシア・ポラッコの少女時代でした。

 読書することの意味を、字を読み事が困難なトリシャの姿を通して、子どもたちに教えてくれる本です。LDということも理解して、エリックのような子どもがいなくなるようになってほしいものです。まだまだ、学習障害は、社会に認知されていません。学習することに困難さを持っている子どもが苦しまなくてもよいような、学習環境の保障が日本でもされるべきです。本書のような本を通じて、発達障害の理解が深まることを期待しています。

ぼくは、ディスレクシア―読み書きが困難な学習障害(LD)の息子と母の成長物語
リサ ワインスタイン
河出書房新社

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日記/患者会の喪の仕事

2009-07-24 00:12:44 | 日記
 透析患者は、仲間内ではよく言うのであるが、綱渡り状態で生きていると。この病気は、見た目からはなかなかわからない。昔の透析技術がまだまだの時は、身体が黒ずむ人が多かった。だから、透析患者といえば、顔が日焼けと違う黒さをしていた。もちろん、身体全体もである。腎移植をすると、色が白くなるといわれていた。最近は、ダイアライザーの性能も良くなったので、真っ黒になるということは少ないようである。
 しかし、合併症や、自己管理の失敗からの血圧低下など、病状が突然悪化することがある。同じ、クリニックのフロアで透析をしているので、透析患者の状態が悪化する姿を厭が応でも見てしまう。そこに、明日の自分の姿を見ることもある。
 患者のベッドがある日突然空く時がある。しかし、特に親しい人以外は、その消息を聞いたりはしない。悪く言えば、無関心を装っている。多分、入院したのだろうと思っても、話題にもしない。結局、いつまでも帰ってこないと、亡くなったのではないか心の中で推量しているのが、患者たちではないか。

 死亡しても、患者会の会員の場合は、役員の方にクリニックから連絡がある。といっても、最近は、個人葬など内輪だけで葬儀を執り行うことがあり、そんな時は、連絡もないこともある。役員が連絡を受けても、最近は、他の会員に敢えて知らせないことにしている。ある会員が、訃報があった時は、その旨を待合室のホワイトボードに張り出せばいいと言ってきた。しかし、透析患者の微妙な心理状態から、その提案はお断りした。

 今日、透析室に入ると、すぐに看護師が紙を持ってやってきた。そういう時は、なんとなくあれかと思う。つまりは、会員の訃報である。今回は、しばらくベッドがありていたAさんであった。訃報を張り出した方がいいといった会員である。

 20日に亡くなったという。看護師は原因は分からないと言っていたが、本当のことはわからない。73歳であった。いつもは、元気に見えて、夏の炎天下も冬の寒風の中も、経営するアパートのペンキ塗りなどの作業をしていると言っていた。また、家庭菜園もやっていた。去年の夏は、暑さの中、動き過ぎて、ダウンしていたが、普段は見た目は元気そうで、患者会のバス旅行や、食事会には、奥さんと一緒に参加していた。

 やはり、綱渡り状態。うまく、バランスをとって綱を渡っている分には、問題がないが、風が吹いてバランスが崩れると落下する。

 憂鬱なのは、喪の仕事である。役員をやっていると、患者会の香典を持って届けなくてはならない。病人が、死の儀式に参加するのは、メンタル上も良くない。第一、斎場へ行くのも一苦労なのだ。半日つぶれることもある。死者を見送るのは、親しい友人が行けば良いのだが、よく知らない会員の葬儀に参列しなくてはならないこともある。役員会で、この喪の仕事を止めるように何度も提案しているのだが、いつも、拒否されてしまう。僕の透析日のサイクルは、僕以外には行く人がいない。だから、憂鬱である。

 今回は、土曜がお通夜で、日曜が告別式である。しかし、土曜は透析日。透析が終わってから、帰宅して、喪服に着替えてから斎場に行くのは、心身両方の負担が大きい。日曜日は、患者会のお楽しみ会である。会食とカラオケ大会。このままでは、日曜の午前中に葬儀に参加するようになる。そして、お楽しみ会には、喪服のまま、遅れて参加ということになる。ネクタイだけ取り外すしかあるまい。斎場へは、はるか離れたバス停まで歩いて、そこからバスで行くことになる。今回も、役員の喪の仕事を止めるように言うつもりだが、また、拒否されるのだろう。

 最近は、自分の時間を削ることを意識するようになった。制限された自分の時間を自分の思うように使いたいと思う。

 でも、喪の仕事は、式に参列している時は、参加して良かったと思ってしまうものである。でも、帰り道がある。

 他のサークルと比べたら、一年間に亡くなる会員の数は遥かに多いのである。

 日曜は、御経の後に、会員のカラオケを聞くことになりそうだ。