1日1日感動したことを書きたい

本、音楽、映画、仕事、出会い。1日1日感動したことを書きたい。
人生の黄昏時だから、なおそう思います。

「下」

2013-01-14 09:58:45 | 韓国語
'밑 'と '아래 '

今日も、'국어 실력이 밥 먹여준다 1 ' (김경원他) 「国語の実力が飯を食わせてくれる 1」からです。日本語の「下」とか「もと」を意味する語に、'밑 'と '아래 'があります。この使い分けも、僕にはとても難しいのです。 

ネイティブの方は、話し言葉ではこの二つの語を完璧に使い分けるそうです。しかし、外国語を翻訳したりする時には、ネイティブの方でも、どちらを使えばいいか頭を悩ますことがあると、この本には書かれています。

'산 밑에 핀 진달래 ' (山すそに咲いたつつじの花)
'산 아래 동네 ' (山のふもとの村)

上の二つは、両方ともに自然な韓国語です。それでは、'밑 'と '아래 'の違いは何なのか?
筆者は、'밑 'は、「事物の一部であるとか、その事物の直接的な影響圏内にある部分あるいは空間」であると書いています。

'밑은 사물의 일부거나 그 사물의 직접적인 영향권 안에 있는 부분 혹은 공간이다.'

これに比べて '아래 'は、「上と対になる場合とか、事物とある程度の距離をおいて離れている空間」を指す言葉です。

'아래는 위와 짝이 되는 경우이거나 사물과 어느 정도 거리를 두고 떨어져 있는 공간을 가리킨다.'

'산 밑에 핀 진달래 'の진달래(つつじの花)は、山の一部として山に含まれており、'산 아래 동네 'の동네(村)は、山から遠くない程度に離れているのです。

おもしろいのは、ここからなのです。'밑 'と '아래 'の、この距離の遠近感が、人間関係の遠近感や心情の遠近感へと拡大されていきます。

'이도령은 홍길동 밑에서 일한다.'(イドリョンはホンキルドンのもとで働く)

上の文には、職階がぴったり一階級の差であるとか、業務上非常に密接な関係であるという意味が含まれています。

'장군의 지휘 아래 병사들이 작전을 개시했다.'(将軍の指揮のもと兵士たちは作戦を開始した。)

こちらのほうは、将軍と兵士の間に距離感が感じられす、互いが顔さえ合わせたことがない場合もあるそうです。

'독재자의 압제 밑에서' (独裁者の圧政のもとで)
'대왕의 통치 아래 ' (大王の統治のもと)

上の二つの文の違いについて、筆者は次のように書いています。

「'독재자의 압제 밑에서'という表現では、支配者と被支配者との間の憎悪と敵対感、暴君の虐政に呻吟する民衆の苦痛が感じられ、'대왕의 통치 아래 'という表現では、統治するものとされるものの間に尊敬と愛が、太平の世を謳歌する民衆の喜びがにじみ出ている」

なるほどなぁ・・・。韓国語の世界にますますはまり込みそうです。

「国語の実力が飯を食わせてくれる 1」

2013-01-13 09:36:29 | 
'국어 실력이 밥 먹여준다 1 ' (김경원他) 「国語の実力が飯を食わせてくれる 1」

これも、韓国の出張帰りに買った9冊の本の中の1冊です。今の僕が求めていたのは、このような本だったのだということを、実感しながら読んでいます。著者たちは、似たような意味をもつ言葉の差異、ニュアンスの違いを、実例を挙げながらとても丁寧に説明していきます。

日本語の「内、なか」にあたる言葉に、韓国語では'안 'と' 속 'があります。メールなどで日本語を韓国語に訳す時、'안 'を使えばいいのか、' 속 'を使えばいいのか、僕は、いつも悩んでしまうのです。

'달이 창틀 속으로 들어왔다.'
'달이 창틀 안으로 들어왔다.'
(月が窓枠の中に入ってきた)

上の文章、속으로がより自然な韓国語なのか、안으로なのか? '안 'と' 속 'の使い分けは、ネーティヴの方でもよく間違えることがあるそうです。

著者たちは、'안 'と' 속 'の違いを次のように説明します。まずは、次元です。' 속 'は、3次元空間の内部を指し、'안 'は2次元の面の内側あるいは1次元の線の近い方を指す言葉です。

'속은 3차원 공간의 내부를 가리키고 안은 2차원 면의 안쪽 혹은 1차원 선의 가까운 쪽을 가리킨다.'

上の窓枠の例文は、窓枠は2次元の平面であるので'안으로'が自然な韓国語です。' '100미터 안 '(100メートル内)、 '50킬로미터 안'(50キロ内)は1次元の直線を、'10년 안'(10年以内)は時間の流れを1次元の直線と考えた時の表現です。'집 안'(家の中)は、平面的に家の内と外を区別する表現なのでしょう。

そしてもう一つ、筆者たちは、内部が空っぽである時、非正常であれば' 속 '、からっぽでもべつに異常ではないとき'안 'を使うと述べています。

'내부가 비었을 때 비정상이면 속이고,비어도 별다른 이상이 없을 때 안이라는 것이다.'

たしかに、'마음 속'(心の中)や'머리 속'(頭の中)には、喜びや悲しみや悩みがいっぱいつまっています。さきほどの'집 안'(家の中)。新築の家には、家具も何もなくても別に異常ではありません。

読んでいて、なるほど、なるほどの連続なのです。それでは、冷蔵庫の中は、'냉장고 안 'なのか'냉장고 속 'なのか。解答は、とてもよい本なので、本で確かめてください。

「目に火をともす」

2013-01-12 09:01:20 | 韓国語
'눈에 불을 켜다 ' 「目に火をともす」

これも日本でもよく知られている慣用句です。①あることに集中して熱心にする、②頭にきて目を大きく見開く、の二つの意味があります。日本語では、①は目の色を変える、目を皿にする、②は目を三角にするが、近い表現なのでしょう。

이번 시험에서 꼭 일등을 하려고 눈에 불을 켜고 공부했다.
今度の試験でからなず一番になろうと、目の色を変えて勉強した。

아버지는 거짓말을 한 동생을 눈에 불을 켜고 야단치셨다.
父は嘘をついた弟を、目を三角にして叱りつけた。

ちなみに、「お尻に火がつく」は、韓国語では、'발등에 불이 떨어지다 '(足の甲に火が落ちる)と言います。

매일 놀기만 하던 아이들이 발등에 불이 떨어지자 서둘러 공부하기 시작했다.
毎日遊んでばかりいた子供たちが、お尻に火がつくやあわてて勉強を始めた。

昨日、4月に行われる韓国語能力試験の願書を提出しました。これまで受けたことがないので、自分の実力がどれぐらいかわからないのですが、無謀にも、最初から高級を受けることにしました。後、3か月。'발등에 불이 떨어지다 'しないように、'눈에 불을 켜다 ' して、勉強します。

「感じ男」

2013-01-10 21:25:10 | 韓国語
'간지남 ' 「感じ男」

こんな言葉があるのですね。「朝鮮日報」の読者の声で出会いました。'간지 'は、日本語の「感じ」からきています。'남 ' は、男性。'간지남 ' で「かっこいい男性」を意味します。

'요즘 신조어에서도 생경한 일본 단어들이 등장해 우리의 정신을 흔들어 놓는다. '간지남'이 그 대표적인 예다. 젊은이들 사이에 '멋있는 남자'라는 의미로 자주 쓰인다. 이 '간지'는 감각, 인상이란 의미의 '感じ'라는 일본말 혼종어로 말 자체도 그렇거니와 말을 받아들여와 만들어낸 모습 또한 그리 좋아 보이지 않는다.'

「最近の新造語でも、生硬な日本語単語が登場して、私たちの精神を揺り動かしている。'간지남 'が、その代表的例だ。若い人たちの間で『かっこいい男性』という意味でよく使われる。この'간지남 'は、感覚、印象という意味の'感じ'という日本語の混成語で、言葉自体もそうであるが、言葉を受け入れてきて作り出す姿勢もまた、あまりよく見えない。」

インターネットで検索すると'간지남 'の代表選手として、オダギリジョーがあげられています。いずれにしても、僕には、関係のない言葉やけど・・・ (-。- ) フゥー

「ごまがあふれる」(2)

2013-01-08 20:15:07 | 韓国語
'깨가 쏟아진다 ' 「ごまがあふれる」

11月26日のブログで、韓国では、幸せいっぱいの新婚生活を、「ごまがあふれる」と言うと書いてから、なぜそういうのだろうと気にかかっていました。「意味で読む韓国辞典」(イオリョン著)を読んでいて、その答に出会いました。著者イオリョン氏は、二つの理由を挙げています。一つは、ごまを収穫する時に感じるひそやかで持続的な快感です。

'깨를 거둬들일 때 무지막지하게 도리깨로 내리치는 보리 탁차과는 드르게 한다.다발로 묶어 세워 바짝 말린 깨는 톡톡 치기만 해도 그 알들이 표현 그대로 솔솔 쏟아져 내린다.그러면 모래 장난을 하던 때처럼 섬세하고 간지러운 촉감이 온몸으로 쏟아져 내린다.그것은 꽝 하고 터지는 맛이 아니라 소리 소문 없이 은밀하게 지속적으로 감지되는 쾌감이다.'
「ごまを取り入れる時、粗暴に穀竿で打ち下ろす麦の脱穀とは異なるやり方で行う。束ねてたてて、からからに乾かしたごまは、ぽんぽんとたたくだけで、そのつぶは、言葉そのままにさらさらとあふれ落ちる。そうすれば砂遊びをした時のように、繊細で、こそばゆい触感が体中にあふれ落ちる。それはばあんとはじける感覚ではなく、音もなくひそやかに持続的に感知される快感である。」

そしてもう一つは、ごまを食べた時に感じる、ひっそりと口の中にしみいる内向的な味覚です。

'깨소금이나 참기름 맛은 분명 꿀 맛,설탕 맛과는 다르다. 겉으로,노골적으로 드러나 있는 맛이 아니라 은근하게 입 안으로 배어드는 냉향적인 맛이다.밖으로 소리 내지 않고 혼자서 몰래 숨죽이고 웃는 웃음과도 같다.'
「ごま塩やごま油の味は、あきらかに蜜の味や砂糖の味とは異なる。表面に、露骨にあらわれている味ではなく、ひっそりと口の中にしみいる内向的な味である。外に声を出さず、ひとりでこっそりと息を殺して笑う笑いのようである。」

ひとりでこっそりと息を殺して笑う・・・なんかわかるような気がするなぁ。新婚カップルを見ながら、ちょっぴりエッチなことを想像したりもしながら、「お幸せそうでほんとうによかったね」っていう時の、そんな気持ちがこもった表現なのだろう。

「ゴールドソロ」と「ソロプアー」

2013-01-07 20:54:48 | 韓国語
'골드 솔로 ' '솔로 푸어 ' 「ゴールドソロ」と「ソロプアー」

11月28日のブログで、韓国で、単身世帯(1인가구「一人家族」)数は453万9000世帯で、全体の25.3%にあたるという記事を紹介したけれど、今朝の「朝鮮日報」、単身世帯の貧富の格差が拡大しているという記事が載っています。貧富の格差の拡大を象徴する言葉として、「ゴールドソロ」と「ソロプアー」という言葉も生まれているようです。
 
'골드 솔로 ' (ゴールドソロ)は、英語の'gold solo 'から来ており、一人暮らしの高所得者層を意味する言葉です。'솔로 푸어 '(ソロプアー)は、生活費を保管してくれる身寄りもない低所得者層のことで'solo poor'から来ています。単身世帯の数は、今年は471万人に増加すると予想されており、そのうちの57%にあたる260万人ほどが、月額所得10万ウォン以下の「ソロプアー」に分類されるとのことです。月額所得30万ウォン以上の単身世帯は、わずか8%です。また、単身世帯の上位・下位20%の所得格差は、14.2倍に上るとのことです。

'부촌'(富村)と'빈촌'(貧村)(11月6日ブログ)。'골드 솔로 'と '솔로 푸어 ' 。韓国社会で、貧富の格差が拡大していることを実感させてくれる言葉です。

「鞄の紐が長い―短い」

2013-01-06 16:53:29 | 韓国語
'가방끈이 길다 ― 짧다' 「鞄の紐が長い―短い」

韓国語の本や新聞を読んでいると、慣用語によく出会うようになりました。これまでは、気づかず通り過ぎていたのでしょう。僕の中で、韓国語の世界が少しずつ変化しているようです。

今日の慣用語、'가방끈이 길다 ― 짧다'は、「朝鮮日報」の「スピーキングがうまくなる中国語」のコーナーで出会いました。

'우리는 학력의 높고 낮음을 "가방끈(가방끈이 길다 ― 짧다)"에 비유하는데,중국에서는 먹물에 비유한다.'
「私たちは学力高い低いを『鞄の紐(「鞄の紐が長い―短い)』に比喩でするが、中国では墨水に比喩する。」

成長すればするほど、鞄の紐の長さは長くなる。学力の高い低いを、紐の長さに比喩した表現です。「国立国語院標準語大辞典」には、次のように書かれています。

• 가방끈(이) 길다
많이 배워 학력이 높다. ¶가방끈이 긴 사람이 오히려 이해관계에 더 철저하다.
(たくさん学んで学力が高い。¶鞄の紐が長い人が、むしろ利害関係により徹底している。)

• 가방끈(이) 짧다
많이 배우지 못해 학력이 낮다. ¶어려운 집안 사정으로 가방끈이 짧았던 아버지는 자식만큼은 대학에 보내려고 무진장 애를 쓰셨다.
(たくさん学ぶことができず、学力が低い。¶きびしい家の事情で、鞄の紐が短かった父は、子供だけは大学に入れようと無尽蔵の努力をされた。)

12月17日のブログでも書いたけれど、韓国の大学生たちは、大学を休学してまで「スペック積み」に追われています。皆が同じ長さの紐を持つようになった今、'가방끈(이) 길다 'という慣用語も、いずれは使われなくなるのではないかと、ふと思ったりしました。

「信じた斧に足の甲を切られる」

2013-01-05 20:00:41 | 韓国語
'믿는 도끼에 발동을 찍힌다.' 「信じた斧に足の甲を切られる」

最近、韓国語のことわざ出会うと、つい目がとまるようになっています。今日であったことわざをメモ。

'믿는 도끼에 발동을 찍힌다.' (「信じた斧に足の甲を切られる」)。これは、日本語の「飼い犬に手を噛まれる」にあたることわざです。1月2日に紹介した「意味で読む韓国語辞典」の中で、著者イオリョン氏は、韓国語で'도끼 '(斧)は「強い男、父の父権を象徴する道具である」と書いています。

'도끼는 힘센 남자,도끼를 들고 짐승을 쫓고 나무를 찍어 생활의 터전을 일구어가는 아버지의 부권을 상징하는 도구이다.'
「斧は、力強い男、斧をもって獣を追い、木を切って生活の場を掘り起こす父の父権を象徴する道具だ。」

「飼い犬」というと、自分より目下の者という意味だけれど、「斧」は対等な男や権力を意味します。'믿는 도끼에 발동을 찍힌다.' と「飼い犬に手を噛まれる」。似ているようで、少しずれている気がします。裏切られた衝撃と痛みは、「信じた斧」に足を切られるほうが強いだろうな。

「目鼻あける間がない」

2013-01-04 17:00:15 | 韓国語
'눈코 뜰 새 없다.' 「目鼻あける間がない」

勉強した表現が、実際に使われているのに出会うのはとても楽しいことです。目が回るほどに忙しい時、韓国語では
'눈코 뜰 새 없다.'(「目鼻あける間がない」)というそうです。この表現には、12月31日のブログで紹介した'살아있는
한국어 관용어 '(「生きている韓国語 慣用語」)で勉強したすぐ後に、'션 '(ション)という歌手が、「障害児童リハビリ
病院」をつくるために広報大使になり、募金活動の先頭に立っているという「朝鮮日報」の記事でであいました。

'네 아이의 아빠이자 연애인으로 일정이 눈코 뜰 새 없이 바쁠 텐데 재단 사무실을 수시로 찾아오는 수고도 마다하지
않을 만큼 재단 일에 열성이다.'
「4人の子の父親で、芸能人で、日程が目鼻をあける間もなく(目が回るほど)忙しいはずなのに、財団に事務室を随時
訪れる労苦も惜しまないほどに財団の仕事に熱意を注いでいる。」

この表現は、忘れないだろうな(^_^)。


「アリラン打ち」

2013-01-03 10:31:53 | 韓国語
'아리랑치기 ' 「アリラン打ち」

昨日、DVDで「明日に向かってハイキック」をみていて、「へぇーこんな風にいうんだ」と思った言葉です。
僕の辞書にはのっていませんが、インターネットで検索すると、日常生活でよく使われる言葉だそうです。
字幕は、'아리랑치기 'を「アリラン打ち」と訳していました。

主人公の一人イ・スンジェが、亡き母を思い出しながらお酒を飲んでいるうちに意識を失ってしまいます。
それを見ていた若者たち2人が、イ・スンジェを介抱するふりをして、スンジェの財布やクレジットカード、
着ていたコートなどを、すべて奪ってどこかへ去ってしまいます。道端で震えているスンジェを、
ジュリアンが見つけて家に負ぶって帰るのですが、その時にこの言葉'아리랑치기 ' がでてきます。

日本語では、「介抱泥棒」とでも訳すのでしょうね。


「意味で読む韓国語辞典」

2013-01-02 10:30:39 | 
韓国出張の帰りに買った9冊の本の中の1冊に、'뜻으로 읽는 한국어사전 '(이어령)(「意味で読む韓国辞典」(イオリョン著)という本があります。この本、とてもおもしろいのです。著者イオリョン氏は、言葉を見つめることを通して、その語にこめられた考え方やものの見方に迫っていきます。読んでいくうちに心が洗われていくような、そんな気持ちになる本です。

この本の'살다와 죽다 '(生きると死ぬ)という項は、「韓国人ほどに、'死ぬ'という言葉をよく使う人もいないと、よく言われる」('한국 사람처럼 "죽는다"는 말을 잘 쓰는 사람도 없다고들 한다')と言う文章で始まります。確かに、韓国の方と話をしていると、'졸려 죽겠다 '(眠くて死にそうだ)とか'피곤해 죽겠다 '(疲れて死にそうだ)とか、'죽겠다 'という言葉がよくでてきます。疲れたとか、悲しいとか、後ろ向きの気分の時ばかりでなく、うれしくてたまらない時や楽しい時にも、'기뻐 죽겠다 'とか'반가워서 죽겠다 'いう形で'죽겠다 'が使われます。会いたくてたまらない時は、'보고 싶어서 죽겠다 '(会いたくて死にそう)なのです。余談ですが、'우리말,가슴을 울리다 '(ウリマル、胸にひびく)の著者チョヒョニョン氏は、'살고 싶어서 죽겠다 '(生きたくて死にそうだ)は、さすがに言わないだろうと書いておられます。

韓国語に'사생 '(死生)という言葉があります。これは、日本語の「生死」のことです。「生死を共にする」は、韓国語では'사생을 같이 한다.'(死生をともにする)と言います。韓国語では、「生」の前に、「死」がまず先に来るのです。「意味で読む韓国語辞典」の著者イオリョン氏は、韓国語で「死」が先に来ることについて、次のように書いています。

'한국인이 죽음이라는 말을 잘 쓴다는 것은 역설적으로 말해 그만큼 생명에 대한 깊은 관심을 지니고 있다는 증거이기도 하다.죽음을 전제로 하지 않고 살아가는 생은 전부 가짜 보석과도 같다.죽음을 잊고 살아가는 사람들,남은 다 죽어도 자기 혼자만은 천년만년 살 것 같은 착각 속에서 살고 있는 사람들일수록 아침 이슬과 물거품의 허상 속에 매달려 산다.그러나 죽음을 생각하며 살아가는 사람들은 죽음이 와도 여전히 남는 단단한 삶의 가치를 얻기 위해 애쓴다.'

「韓国人が、死という言葉をよく使うのは、逆説的に言って、それほどまでに生命について深い関心を持っているという証拠でもある。死を前提にせずに生きて行く生は、すべて偽物の宝石のようなものである。死を忘れ生きて行く人たち、他人はすべて死んでも自分一人だけは千年万年生きるような錯覚の中で生きている人たちであればあるほど、朝の露や水泡のようにはかない虚像の中に縛られて生きる。しかし、死を考え生きて行く人たちは、死が訪れても、なお残る、充実した生の価値を得るために心を尽くすのだ。」

この文章は、著者イオリョン氏が66歳の時の文章です。やがて訪れるだろう死を見つめながら、充実した生を生きようとする著者の思いが、胸にしみこんでくるような文章でした。年の初めにこのような文章に出会えて、とても幸せな気持ちになりました。

「無駄に食う」

2013-01-01 11:23:51 | 韓国語
'헛먹다 ' 「無駄に食う」

日本語で年を取ることを、「年を食う」といいますが、韓国語でも食べるを意味する'먹다 ' を使って、'나이를 먹다.'と言います。
'헛 'は、「中身のない、いつわりの、むなしい」を意味する接頭語です。'나이를 헛먹다.'で「年を無駄に食う」の意になります。

今年もまた一つ年を食いました。60歳目前の今、無駄に年を食って来たのではないのかという思いでいっぱいです。
今年こそは、時の流れをゆっくりかみしめながら、一つ年を食いたいと思っています。