1日1日感動したことを書きたい

本、音楽、映画、仕事、出会い。1日1日感動したことを書きたい。
人生の黄昏時だから、なおそう思います。

この時期になると

2008-03-31 22:49:38 | 日記
今日は、3月31日。この時期になると
新しく始まるラジオとテレビの英会話教室を、できるだけ聞くのだと
毎年、思うのです。続いたことないけど
なに?リトルチャロて?




「自死という生き方」(須原一秀)

2008-03-30 17:35:54 | 
 今日は、雨。「自死という生き方」(須原一秀)を読みました。著者の須原一秀は、この本を執筆した後に、自死します。著者にとって、この本と自死の決行は、「一人称の立場での死の認識論」を展開するという、一つの哲学プロジェクトでした。「平常心で死を受け入れるということは本当に可能か?それはどのようにして可能か?」ということを、哲学研究者の一人として自分自身の心身を賭けて調査・研究したいと、氏は書いています。
 自然死というのは、決して安らかなものではなく、とても苦しいものだそうです。著者は、よい音楽を聴いたり、よい絵を見たり、愛する人とともに歩いたりしたときに、「生きていてよかった!!」と思える体験することを、「極み」と呼びます。種々の「極み」を達成することによって、「自分は確かに生きた」という思いを日々体で納得しているのなら、「病気・老化・自然死」という一連の運命に受動的に流されることを拒否して、自らの尊厳を守るために、主体的に「自死」を選ぶという生き方=死に方があるというのが、著者の主張です。
 確かに、そのような死に方もあるとは思うのです。できるだけ平常心で死を受け入れるために、1日1日大切に生きて、いろんな「極み」を体験しておきたいとも思うのです。しかし、僕は、「自分は確かに生きた」と実感した後で、「自死」を選択するだろうかと思うと、たぶんしないだろうと思うのです。それではお前は、どんな自然死の苦しさに耐えてみせる「積極的自然死派」なのだなと言われると、そうでもないのです。
 僕の父は、肝臓癌で、86歳で他界しました。酸素マスクをいやがる父の姿。確かに父は苦しかったのだと思うのです。僕と父とは、あまり多くのことを語り合わない間柄でした。父が他界する日の朝、父の手を握って、「おとうちゃん、長い間、ほんまにありがとうな。ありがとうやで」って、耳元でささやいたとき、手を握り返す父の握力を感じたのです。今でも、あの握力を、忘れることができません。
 自然死の苦しみの中でも、「これまで生きてきてよかった!」と実感できる「極み」があるのだと、僕には、思えるのです。愛する人の手の温もりかも知れないし、こどもたちの「ありがとう」の言葉かも知れない。それはきっと、去ってゆく者と、残る者が最後に共有する「極み」であると思うのです。
 父も耐えたのだから、僕も、ひとりじゃあかんけど、誰かに支えてもらって耐えたいなぁと思うのです。

 

「楽園への道」(バルガス=リョサ)

2008-03-29 12:44:48 | 
 「楽園への道」(バルガス=リョサ)を読みました。この本は、19世紀半ばに活躍した女性解放運動家フローラ・トリスタンと、その孫である画家ポール・ゴーギャンの物語です。著者バルガス=リョサは、男女の平等と、抑圧され差別されたすべての人の解放を求め闘ったフローラの人生と、証券会社での安定した生活を捨てて、30歳代から絵に没頭し、自らが信じる絵画の本質を求めてタヒチへと旅立っていったゴーギャンの人生を、パラレルに描いていきます。
 精神的にも肉体的にも傷つきながらも、「楽園」を求めて、死の直前まで闘い続ける二人の姿が、とても痛々しくて、胸をうつのです。
 フローラは、性の奴隷として自らを扱う夫と別れ、子どもの親権をめぐる血みどろの争い(別れた夫にピストルで胸を撃たれ、愛する娘を強姦される)の後に、旅をしたペルーとロンドンで、奴隷として、売春婦として、売られていく女性の姿を目撃します。彼女を社会運動へと駆り立てたもの、それは、資本主義社会の中で、労働力を再生産する道具として、人間の尊厳を奪われ、男性労働者の半分以下の給料で働かざるを得ない女性の姿でした。女性が、人間として誇りを持って生き、男性と平等に働ける社会を、すべての働く人と一緒につくりたい、それが、彼女が求める「楽園」でした。
 古き良きヨーロッパが残るポンタヴェンから、ゴッホとの共同生活をするために訪れたアルルを経て、辺境の植民地タヒチへ。ゴーギャンは、絵を描くために、妻と5人の子ども達との生活をなげうって、資本主義社会の価値観に穢されていない「楽園」を求めて、旅立ちます。ゴーギャンを「楽園」へと旅立たせたもの、それは、すべてのものを商品化する資本主義社会の中で、「商品」となることによって、絵が失ったものを取り戻したいという思いでした。ゴーギャンにとって、絵が失ったものとは、「原始社会」がもつ生と性の奔放な輝きであり、生活から遊離していない絵のありようでした。
 ゴーギャンは、フローラの死後、4年目に生まれました。この本を最後まで読み終えたとき、会うことがなかった祖母と孫が、共通の根っこで結ばれているということを、強く感じないではおれませんでした。二人を結びつけている共通の根っこ。すべてのものを商品化することによって、人間の尊厳や精神の輝きを踏みにじる、資本主義社会への異和とNo。
 僕は、祖母と孫のようには、生活のすべてをなげうつことはできないけれど、せめて彼らの100分の1ぐらいは、資本主義社会への異和とNoを、持ち続けていたいと思うのです。ゴーギャンの絵の話も、いっぱいでてくるし、パラレルなストーリーの展開もとてもうまいし、このブログを書き始めてから読んだ20冊あまりの本の中で、ベストの一冊でした。

アントニオ・ネグリの来日が・・・(2)

2008-03-29 09:48:15 | 日記
 アントニオ・ネグリの来日を、日本政府が実質的に拒否したこと
に対して、姜尚中東大教授、市田良彦神戸大教授、木幡和枝東京芸大
教授らが、抗議の共同声明を出したという記事が載っていました。
姜尚中東大教授は、「現在の世界はどこに行くのか、どんな原理で
動いているのかを考える上で、ネグリ氏は世界的に見ても貴重な人。
多くの人の知る権利、学問的な交流をする機会、大学の自治を侵害
された」と問題を指摘しています。
 先週も書いたけれど、僕は、ネグリが日本で何を話すかを、とても
楽しみにしていました。共同声明に、同感です。

さぁ、仕事しよっと。寝不足やけど

2008-03-27 08:54:24 | 日記
昨日は、会社の若い人たちと飲んでたら
話に花が咲いて、時計を見たら23時55分。
大阪駅まで、ダッシュして、神戸行きの普通が24時25分発。
結局家に着いたのは、1時半でした。
ただいま、出社。
ねむたいけど、がんばってお仕事します。
時間を忘れてて、飲んだのは、ひさしぶりでした。
なんか、若返った気分です。

SWINGIN' THREE(セルジュ・デラート・トリオ)

2008-03-25 20:59:57 | 音楽
「SWINGIN' THREE(セルジュ・デラート・トリオ)」を、会社帰りに買いました。
ほのぼのとしたジャケットが気に入ったのです。



セルジュ・デラートは、ちょっと太めのフランスの熟年叔父さんです。
演奏も、ジャケットにまけず、とってもほのぼのしておりました。
すべてのものが芽吹き始めるこの季節には、こんなスウィングが
ぴったりかなっと思うのです。
個人的には、7曲目のMichelleと9曲目のLamentがよかったです。
映画「華麗なる賭け」のテーマ曲だった
「The windmills of your heart(風のささやき)」も
なつかしかったです。
僕の心の風車(windmill)は、
今日は、さわやかに回っております。



卒業式

2008-03-24 19:39:34 | 日記
 今日は、三女の大学卒業式でした。
帰り道、大阪駅で着物や袴を着た女学生の一団を見て、
いまごろ娘も、打ち上げ会なんだろうなぁと思いました。
もう2年、大学院で勉強するけど、親としては、
とりあえずは子育ての責任を果たせたかぁと思っています。
ここ数年は、子ども達が、僕のできないことをやれるようになっていくのを
見るのが、とても楽しみでした。どんどん、親を追い抜いていくのです。
子ども達が切り開いていく新しい世界を垣間見ること。
子育ての楽しさって、そんなところにあるのだなぁと思う
今日この頃です。
卒業、おめでとさん






アントニオ・ネグリの来日が・・・

2008-03-22 09:48:25 | 日記
 小さい新聞記事だったけれど、「帝国」の著者の一人であるアントニオ・ネグリが
来日できなくなったことを読みました。EU市民は、賃金を受け取らなかったら、ビザ
は必要がないという取り決めがあるにもかかわらず、来日直前になって、突然、ビ
ザの申請が、日本政府から要求されたそうです。
 この5年間、ネグリが訪れた22カ国の国で、今回のような扱いを受けたことは
ないそうです。彼が、日本で何を話すのか、とても期待していました。
日本政府の姿勢が、とても、残念です。
 

「アンダーリポート」(佐藤正午)

2008-03-22 02:02:47 | 
 「アンダーリポート」(佐藤正午)を、今、読み終えたところです。この本も、読む始めたら、やめられなくなりました。通勤の電車の中も、昼休みも、帰ってからは浅田真生ちゃんの優勝を見ることもなく、ひたすら読んでおりました。
 マンションの隣に住む男性が、駐車場で撲殺された15年前の殺人事件。この事件の秘密を、検察事務官の主人公が、自らの記憶の再検証と、警察調書や自分の日記を読み返すことのよって、明らかにしていくという物語です。この本、最後まで読むと、もう一度初めから読まないではおれなくなります。
 この本で、次のようなエピソードが紹介されていました。実話だそうです。アメリカ青年が、図書館であった女性に一目惚れをして、その日のうちにラブレターを書いて、翌日彼女に渡そうとしたそうです。しかし、彼女は、別の男との結婚が決まっていて、彼がラブレターを渡そうとした日に、別に町に旅立っていたそうです。そして、40年後、同じ図書館で、彼は彼女と再会し、40年ぶりにラブレターを渡したそうです。彼は、どうしてその女性だとわかったのか?彼女がつけていた香水のにおいが、40年前のものと同じだったからだそうです。
 人間の嗅覚は、味覚の1万倍鋭いそうです。この本の殺人事件の謎解きには、15年前の香水のにおいが、大きな役割を果たします。
 匂いのエピソードとヒッチコックの「見知らぬ乗客」と、1日に2000人が結婚して、700人が離婚するという統計数字。この三つかな・・・この本のエッセンスは。

「犯人に告ぐ」(雫井脩介)

2008-03-20 16:03:00 | 
今日は、昨日から雨予報。
山歩きもできないから、映画にでもいこうかなっと思っていたのですが、
昨晩から読み始めた「犯人に告ぐ」(雫井脩介)が、とまらなくなって結局、
最後まで読んでしまいました。
 川崎市で起きた連続幼児殺害事件。操作の行き詰まりを打開するために、
主人公の特別捜査官が、テレビのニュース番組に出演し、「劇場型捜査」を
行うという物語です。
 テレビでの犯人への呼びかけから、逮捕に至るまでの緊張感に、
キャリア警察官僚と主人公のたたき上げの捜査官との確執や、テレビ局の視聴率競争の話、
主人公達の非力によって、6年前に子どもの命を奪われた被害者家族の癒せぬ想いの話などが、
加わって、とてもおもしろかったです。
2004年の「週刊文春ミステリーベストテン」第1位の本なのですね。
 「レンブラントの夜警」という映画を見にいくつもりだったけど、
こちらは、DVDがでてから見ることにします。



選挙と風車?

2008-03-19 00:03:08 | 自然エネルギーと省エネ
 1kwの風車を、新製品として発売するのですが、噂聞きつけた
自民党の衆議院議員から、選挙のPR用に、一台考えているので、
説明に来てほしいと言われました。洞爺湖サミットも近いことだし、
エコでがんばっているところを見せたいようです。
説明に行くのは行くけど・・・・
なんか、おもしろくないのです。

おもしろくないなんて言ったら、ぜいたくかな。



「フラミンゴの家」(伊藤たかみ)

2008-03-17 22:02:05 | 
 「フラミンゴの家」(伊藤たかみ)を、読み終えたところです。もう、うるうるです。
まもなく訪れる母の死と折り合っていこうとする12歳の少女の姿が、とても健気なのです。
彼女に寄り添う、ガラのわるーい元ヤンキーのおにいさん、おねえさんたちのやさしさに、胸がじーんと来るのです。
会話は、すべて関西弁です。
「そう、この本の命は、関西弁なんや。ごんたくれのやさしさとあたたかさが、関西弁からあふれでてるやろ」って、
つぶやきながら、一気に読んでしまいました。
年とったのかな、涙腺がすっかり弱くなってしまいました



摩耶山

2008-03-16 19:38:06 | 日記
 今日は、天気もよかったので、摩耶山に登ってきました。

洞川梅林で、七分咲きの梅を見て
 
 

少し歩くと、

 

再度公園(修法ヶ原)です。

 

大竜寺から、

 

市が原、ハーブ園を右に見て

 

摩耶山上です。

 

今日の景色は、少し霞んでおりました。

 

川沿いの道を歩いて、帰ってきました。

 

 気持ちよかったです。しかし、僕は、久しぶりに歩いたので、最後は、バテバテになっておりました。
 鍛えなアカンなぁ。