「括弧のことがずっと気になっていた。」この本は、この言葉から始まります。
僕のブログを読み返しても、本からの引用や著者の言葉などには、必ず括弧を使っています。著者の調査によると、週刊誌の見出しや現代思想の文章など、70年代後半から括弧の使用が増えたのだそうです。著者は、この本を書いた動機のひとつとして、「括弧を使わないと書けない、何らかの切実な理由があったのだろう。それはいったい何なのか、そのことを明らかにしたい」と述べています。
著者は、「引用」と「投写」という二つの言葉を使って、括弧の意味論を展開していきます。
「引用」とは、「私が主体的に、アソコにあるものをココに引いてくるという行為」を示す言葉です。これは、他者の言葉を文章の中に引用したりするときに使う括弧の基礎的な使い方に対応しています。筆者は、「引用」ではうまく説明できない括弧の事例を「意味論的括弧」と呼んで、「投写」という言葉で、その働きを説明します。「投写」とは、「他者に対して、括弧に包まれたコレは実はアレなのだ、ということを示す行為」で、引用とは逆に、ココからアソコへと向かうベクトルを持っています。
ココからアソコに投写された事例として、筆者は、革マルが中核派を誹謗したビラの中の次のような文章を紹介しています。
「いまやシミタケこと『議長』清水丈夫は」
ココ(革マル派のビラ)では字面こそ議長と書いているが、それはアソコ(中核派の中)だけでの話であり、われわれは清水丈夫を議長などとさらさら評価していないという意味が、投写によってうみだされているというのが筆者の主張です。
そして筆者は、語る人の内面の奥深く(「深いココ」)へと投写が行われたものが現代思想の括弧であると主張します。
「語るべき対象が、いまだかつて言葉で語られたことがなく、したがってそれを語る言葉がない状態のとき、われわれに何ができるのどろうか。それを他者に表出するためには、とりあえず既存の言葉を借りてきて、それを以って表現するしかない。それがまさに括弧による投写なのである。」
なるほど!!!。筆者は投射の類型として、「いわゆる型」、「○○の言う型」(革マル派のビラのような使い方)、「あの型」、「実は型」、「ここで言う型」(現代思想の使い方)、「○○だってさ型」の6つをあげています。
意味論の本を読むのは久しぶり。とてもおもしろかったです。筆者は括弧による投写の先は、明確なアソコであるべきであり、無責任な括弧の使用はどこにも存在しない場所=虚無への投写の危険性をはらんでいるとした上で、括弧の「ご利用は計画的に」と言う言葉で、この本をしめくくります。肝に銘じておこう。
僕のブログを読み返しても、本からの引用や著者の言葉などには、必ず括弧を使っています。著者の調査によると、週刊誌の見出しや現代思想の文章など、70年代後半から括弧の使用が増えたのだそうです。著者は、この本を書いた動機のひとつとして、「括弧を使わないと書けない、何らかの切実な理由があったのだろう。それはいったい何なのか、そのことを明らかにしたい」と述べています。
著者は、「引用」と「投写」という二つの言葉を使って、括弧の意味論を展開していきます。
「引用」とは、「私が主体的に、アソコにあるものをココに引いてくるという行為」を示す言葉です。これは、他者の言葉を文章の中に引用したりするときに使う括弧の基礎的な使い方に対応しています。筆者は、「引用」ではうまく説明できない括弧の事例を「意味論的括弧」と呼んで、「投写」という言葉で、その働きを説明します。「投写」とは、「他者に対して、括弧に包まれたコレは実はアレなのだ、ということを示す行為」で、引用とは逆に、ココからアソコへと向かうベクトルを持っています。
ココからアソコに投写された事例として、筆者は、革マルが中核派を誹謗したビラの中の次のような文章を紹介しています。
「いまやシミタケこと『議長』清水丈夫は」
ココ(革マル派のビラ)では字面こそ議長と書いているが、それはアソコ(中核派の中)だけでの話であり、われわれは清水丈夫を議長などとさらさら評価していないという意味が、投写によってうみだされているというのが筆者の主張です。
そして筆者は、語る人の内面の奥深く(「深いココ」)へと投写が行われたものが現代思想の括弧であると主張します。
「語るべき対象が、いまだかつて言葉で語られたことがなく、したがってそれを語る言葉がない状態のとき、われわれに何ができるのどろうか。それを他者に表出するためには、とりあえず既存の言葉を借りてきて、それを以って表現するしかない。それがまさに括弧による投写なのである。」
なるほど!!!。筆者は投射の類型として、「いわゆる型」、「○○の言う型」(革マル派のビラのような使い方)、「あの型」、「実は型」、「ここで言う型」(現代思想の使い方)、「○○だってさ型」の6つをあげています。
意味論の本を読むのは久しぶり。とてもおもしろかったです。筆者は括弧による投写の先は、明確なアソコであるべきであり、無責任な括弧の使用はどこにも存在しない場所=虚無への投写の危険性をはらんでいるとした上で、括弧の「ご利用は計画的に」と言う言葉で、この本をしめくくります。肝に銘じておこう。