1日1日感動したことを書きたい

本、音楽、映画、仕事、出会い。1日1日感動したことを書きたい。
人生の黄昏時だから、なおそう思います。

「括弧の意味論」(木村大治)

2011-04-30 20:52:38 | 
「括弧のことがずっと気になっていた。」この本は、この言葉から始まります。

僕のブログを読み返しても、本からの引用や著者の言葉などには、必ず括弧を使っています。著者の調査によると、週刊誌の見出しや現代思想の文章など、70年代後半から括弧の使用が増えたのだそうです。著者は、この本を書いた動機のひとつとして、「括弧を使わないと書けない、何らかの切実な理由があったのだろう。それはいったい何なのか、そのことを明らかにしたい」と述べています。

著者は、「引用」と「投写」という二つの言葉を使って、括弧の意味論を展開していきます。

「引用」とは、「私が主体的に、アソコにあるものをココに引いてくるという行為」を示す言葉です。これは、他者の言葉を文章の中に引用したりするときに使う括弧の基礎的な使い方に対応しています。筆者は、「引用」ではうまく説明できない括弧の事例を「意味論的括弧」と呼んで、「投写」という言葉で、その働きを説明します。「投写」とは、「他者に対して、括弧に包まれたコレは実はアレなのだ、ということを示す行為」で、引用とは逆に、ココからアソコへと向かうベクトルを持っています。

ココからアソコに投写された事例として、筆者は、革マルが中核派を誹謗したビラの中の次のような文章を紹介しています。

「いまやシミタケこと『議長』清水丈夫は」

ココ(革マル派のビラ)では字面こそ議長と書いているが、それはアソコ(中核派の中)だけでの話であり、われわれは清水丈夫を議長などとさらさら評価していないという意味が、投写によってうみだされているというのが筆者の主張です。

そして筆者は、語る人の内面の奥深く(「深いココ」)へと投写が行われたものが現代思想の括弧であると主張します。

「語るべき対象が、いまだかつて言葉で語られたことがなく、したがってそれを語る言葉がない状態のとき、われわれに何ができるのどろうか。それを他者に表出するためには、とりあえず既存の言葉を借りてきて、それを以って表現するしかない。それがまさに括弧による投写なのである。」

なるほど!!!。筆者は投射の類型として、「いわゆる型」、「○○の言う型」(革マル派のビラのような使い方)、「あの型」、「実は型」、「ここで言う型」(現代思想の使い方)、「○○だってさ型」の6つをあげています。

意味論の本を読むのは久しぶり。とてもおもしろかったです。筆者は括弧による投写の先は、明確なアソコであるべきであり、無責任な括弧の使用はどこにも存在しない場所=虚無への投写の危険性をはらんでいるとした上で、括弧の「ご利用は計画的に」と言う言葉で、この本をしめくくります。肝に銘じておこう。


摩耶山へ

2011-04-29 20:04:25 | 日記
今日からゴールデンウィーク。今年のゴールデンウィークは、後半に東京へ泊りがけで行く以外、
たいした予定はなし。今日は、久しぶりに摩耶山まで歩いて来ました。



つつじと



もみじの葉の緑が美しかったです。



修法ケ原池の水がとても少なくなっていました。



摩耶山山頂。



天気が良くて、とても気持ちよかったです。



徳川道。このあたりでつまずいて顔面を強打。眼鏡がこわれてしまいました(^^;。足腰がよわったかな・・・明日は、眼鏡を買いに行かねば。






森林植物園を通って帰ってきました。



家族で植樹したヨーロッパカラマツが、また一回り大きくなっていました。

歩いている間、ブルーノートのコンサートで聴いた上原ひろみの「What a wonderful world」が、頭の中でなり続けていました。こうして歩いている、今この瞬間が、とても幸せに思えた一日でした。

「天職の運命―スターリンの夜を生きた芸術家たち」(武藤洋二)

2011-04-28 19:35:20 | 
強制的な農業集団化、ウクライナでの大飢饉、大粛清、ナチスドイツによるレニングラードの包囲、戦後のユダヤ人への迫害。そしてスターリンの死。この時期、ソビエトロシアにおいて、多くの民衆の命が奪われていきました。

この本は、スターリン独裁体制下において、「個個の芸術家はどう生たのか」ということを、定性的資料をもとに明らかにしたものです。パステルナーク、ショスタコービッチ、メイエルホリド、トロツキイ、インベル、アンドレーエフ、オレーショ、フィローノフ、杉本良吉など。ひとりひとりの生き方を章ごとにまとめながら、全体で一つの物語を奏でるように、とてもうまく配列されています。力作だと思いました。

権力を賛美することを拒みスパイとして処刑された者、生き延びるために権力を賛美する作品を書き続けた者、沈黙を貫いた者、無能を装い生きた者、国家の保護を拒み餓死した者、あこがれの社会主義国に入国したばかりにスパイとして処刑された者などなど。運命に翻弄されながらも、必死で生き抜いていこうとする人びとの姿が、とても哀しかったです。

筆者は、共産主義者を一番たくさん殺害したのはナチスドイツではなくスターリン独裁下のソビエトであったこと、また、ドイツに包囲されたレニングラードで、精神的な支柱を失わないことが餓死から身を守る上でもっとも大切なことであったなども指摘しています。

この本を読みながら、長田弘が「読みことは旅をすること」で紹介しているパステルナークの詩を、あらためておもい返していました。

だから、無名のうちに身をかくせ。
無名のうちに一歩一歩をかくせ。
風景が霧になかに身をかくし
どのような痕もとどめぬように。

一瞬たりともおまえ自身であることを
おまえは避けるな、見せかけに身をかがめるな
生きること、生きてゆくこと、
生きとおすこと、それだけだ。

権力に媚を売るのではなく、自分自身であり続けるために、有名になるな、無名のうちに身をかくせ。
死と隣り合わせの状況の中で、搾り出されたすごい決意表明だと思いました。


★★上原ひろみ×熊谷和徳公演を生中継!★★

2011-04-27 12:51:33 | 音楽
夜の9時半からブルーノート東京で行われる上原ひろみと熊谷和徳の公演が
U stream で生中継されるという情報を、だいごろ君からいただきました。

Good な情報、ありがとうございます。今から楽しみです。
感想は、またあとで。

9時半からパソコンの前でかぶりつきで見ておりました。
上原ひろみのピアノ。「上を向いて歩こう」あたりからスイッチが入りだして
どんどん吸い込まれていきました。
ラストの「ラプソディー・イン・ブルー」もすごかったです!!
演奏が終わったとき、パソコンの前でスタンディングオベーションをしておりました。
アンコール曲の「What a wonderful world」も、胸にぐっとくるものがありました。
生で聴きたかったなぁ・・・。次は、夏かな。

「われら新鮮な旅人」(長田弘)

2011-04-26 19:52:22 | 
今日、久しぶりに本を買いました。この前買ったのはドストエフスキーの「悪霊」だったから、半年ぶりかな。



僕の大好きな長田弘の初期詩集「われら新鮮な旅人」が、装丁も新たに再出版されました。初版は1965年だから、46年ぶりの再出版です。当時26歳だった長田弘も、今年72歳になります。

ちなみに僕が持っているのは、古本屋さんで見つけた1968年版の現代詩文庫初版です。装丁ばかりか、詩の並び方も少しかわって、新しい詩集を見るような気になりました。さっそく、二つを本棚に並べました。

現代詩文庫版におさめられていた「クリストファー詩篇」のなかの「出発」という詩が収められていないのが、とても気になりました。どうして長田弘は、これを入れなかったのかな。「出発」、ほんとうにいい詩なんだけれど。

「スイングしなけりゃ意味ないね」(ホッド・オブライエン・トリオ)

2011-04-25 21:11:01 | 音楽
ホッド・オブライエン・トリオの「スイングしなけりゃ意味ないね」を聴いています。



ホッド・オブライエンは今年75歳のジャズピアニストで、ビバップのスタイルを50年以上つらぬき通してきました。今回のCDでは、12曲中5曲で愛妻ステファニー・ナカシアンがボーカルとして参加。最後の曲の「DEWA NOCHI HOD」では、夫婦仲良くデュエットを聴かせてくれます。

とてもハッピーな気持ちになるCDです。ホッド・オブライエンのピアノ。スイング感にあふれていて、自然に体が動きはじめます。持続すること、そして長生きすることがとても素敵だと思えるCDでした(^^)bGood!

「親鸞展  生涯とゆかりの名宝」

2011-04-24 22:20:59 | 美術館
今日は、京都市美術館で開かれている






「親鸞展  生涯とゆかりの名宝」に行ってきました。吉本隆明の「最後の親鸞」を読んで、親鸞は世界に誇る日本の思想家なのだと思いました。親鸞自筆の「教行信証」が見たかったのです。



「教行信証(坂東本)」です。親鸞、83歳の時の作品だそうです。83歳とは思えな確かな筆づかい。妥協を排して、浄土真宗そのものの解体にまで行きついてしまう思想家としての親鸞の姿が伝わってくるように思いました。先達の浄土教の教えを、注釈を加えながら親鸞自らが書き写した「観無量寿経註」も、細かい文字でぎっしり書きこまれていて、思想に対する親鸞の厳しさ、執念、学習量の多さが伝わってきました。

750年以上前の親鸞の肉筆が見れて、とても満足。その他の展示は、「親鸞聖人坐像」を除いて、大して見るべき物はなかったと思うけれど。

京都の町、この前クレー展で来た時には、桜が美しかったけれど、今日は、新緑がとてもすがすがしかったです。



八坂神社。



知恩院。



青蓮院。



頂妙寺。



そして鴨川。ちょっとだけ雨に降られたけれど、楽しい一日でした。

「母なる証明  Mother」

2011-04-23 18:25:04 | 映画
朝鮮語を勉強するために、今日見たDVDです。字幕を見ながら1回見て、二回目は字幕なしで見ました。原題は「마더 Mother」と言います。



知的障害をもつ息子トジュンと、漢方薬店で働きながら女手一つでトジュンを育ててきた母の物語です。平和な町で、女子高校生が殺害されるという事件が起こります。容疑者としてトジュンが逮捕され、取調べの中でトジュンは殺人を認める調書にサインをしてしまいます。息子は決して殺人などやっていない、母親が、たった一人で真犯人を探し始めるというお話です。果たして犯人は誰なのか・・・。母親役はキム・ヘジャ、ウォンビンが息子役です。

いま韓国で一緒に仕事をしている権さんが、韓国映画の話をすると「ウォンビンは、僕の後輩だ」と必ず言うので、僕までウォンビンが身近に見えてしまいました。この映画は、母の踊りで始まり、母の踊りで終わります。慰安旅行にでかけるバスの中で、全員が踊るラストのシーン。とても韓国らしい風景だと思いました。はじめて韓国に行ったとき、観光バスの中で立ち上がってみんなが躍っているのを見て、とても驚いたのを思い出しました。

で、肝心の映画だけれど・・・皆さんのコメントほどには、感動しなかったというのが正直なところ。朝鮮語を一生懸命きこうとしていたから、しっかり見れていないのかもしれません。

仕事の話とかは、相手の方も僕の力量に合わせてゆっくり話をしてくれるから聞き取れるようになったけれど、映画の会話はまだまだです。語尾が縮約されたりするからかな・・・。寝る前に、もう一度みよう。我ながら本気モードや!!。

「スリナム・アムステルダム  心をあずけて」

2011-04-22 22:55:06 | 映画
いっぷうかわったミュージカル映画でした。



スリナムというのは、南アメリカにあるオランダの旧植民地です。公用語はオランダ語だそうです。スリナムからアムステルダムに留学してきた黒人青年スパイクと、白人女性ロザリーの愛の物語です。

ふとしたことから二人は恋に落ちるのですが、スパイクは裕福な生活を夢見て、ギャングの一員となり、盗みで生活の糧を得るようになります。そして、麻薬の運び屋としてスリナムに戻るのですが、そこで逮捕され、刑務所に服役してしまいます。はたして二人の恋はどうなるのか、てなお話です。ストーリーは、どうってことないけれど・・・・

スパイクの歌うラップと、ロザリーの歌うゴスペル。二つの音楽の掛け合いが、新鮮で、結構楽しかったです。スリナムという国の存在すら忘れていた僕には、オランダ社会の底辺で暮らすスリナム移民の姿も、とても印象的でした。旧植民地国の宗主国への従属的関係は、なかなか解消されないものなのですね。

個人レッスン(2)

2011-04-21 22:13:09 | 日記
今日は、2回目の朝鮮語の個人レッスンの日でした。韓国出張の報告をまずは僕からして、先生からの質問に答える形でレッスンは進みました。あっという間の2時間でした。

話したいことがここまで出てきてるのに、朝鮮語がでてこない。とても歯がゆい気持ちになりました。もっとうまくじゃべれるようになりたいなぁ・・・。月2回だから、1年で24回。100回しようと思うと、4年半。100回目標で、がんばろう。

歯がゆかったけれど、とても楽しかったです。次は、連休明け。連休は、泊りがけで東京に行って、美術館めぐりをする予定だから、そんな話も、ちょっと聞いてもらおっかな。

100t

2011-04-20 22:59:23 | 日記
今日、韓国のポハンヨンイルマン港で製作した100t型消波ブロックの写真が届きました。







日本では80tが最高。100tは、今回の韓国での実施が初めてです。背の高さは5mあります。設計提案してから足掛け2年。やっと実物ができあがりました。全部で1400個ほど製作します。とりあえずは一山超えることができました。一山超えるたびに、もっと高い山が待っているけれど、一歩ずつ登って行きたいと思いました。

「聖書を発見する」(本田哲郎)

2011-04-19 21:20:13 | 
世の中には、えらい人がいると思った一冊です。著者は、20年間、日雇い労働者の町である釜ヶ崎に住み、「釜ヶ崎半失業連絡会」などの活動に取り組んできたキリスト者です。この本は、釜ヶ崎での日雇い労働者とのかかわりを通して、筆者が新しく発見した聖書論です。

この本は、聖書の新共同訳では「悔い改め」と訳されていたメタノイアという言葉を、「低みに立って見直す」と訳しなおすことから始まります。「低みに立って見直す」とは、人の痛みを共感・共有できる低みにしっかりと立ち、その視座から、何を行ない、何を改めるべきかを見直していくという、筆者の思想的なスタンスです。

筆者は、このような立ち位置に立って、神について次のように書いています。

「神様は、上から働きかけて、手を差しのべ、救い上げてくださると、わたしたちがごく自然にもってしまっていた神さまのイメージや働きは、イエスが啓示したものではなかったということ、そして聖書にはそんなことは書いていなかったということに気づいてほしい。これまでお話したことは、この一点につきます。神はいちばん小さくされている人びととともに働くという、そのことです。」

「神はいちばん小さくされている仲間をとおして働き、その仲間を通して力を発揮してくれているのだ、と気づかなければなりません。貧しくも小さくもされていない、そこそこゆとりのあるわれわれのような者はどうすればいいか。・・・中略・・・具体的にはイエスの『身内である、このいちばん小さくされている者たち』に連帯することです。」

「いちばん小さくされている者たち」とは、だれよりも抑圧された貧しい人びとのことです。筆者にとって、それは釜ヶ崎の日雇い労働者に他なりません。そして、筆者は、「神の国」とは、抑圧された仲間たちの解放のために働き、傷つく人がひとりもいなくなる社会を築いていこうとする実践の中から生まれると主張します。

筆者の20年の実践が語らせる言葉だと思いました。筆者に一度お目にかかってお話を聞きたいと思ったし、釜ヶ崎で40年近くがんばっておられる僕の身近な人たちのお話も、改めて聞きたいと思った一冊でした。


「オリコギ」

2011-04-18 21:34:42 | 日記
今回の韓国出張ではじめて食べた料理、オリコギです。オリは韓国語であひるのことです。あひる料理は、朝鮮半島を代表する食べ物で、脂肪分が少ないため、体にもとてもよいとのことでした。



ミリャンのオリコギの専門店です。オリコギの効用が店の前に書かれていました。



で、これがオリコギ。中央部にのっているのは、あひるの燻製です。

オリは英語でduckのことだというから、あひるなんだと思う。鴨とか合鴨は食べたことあるけれど、あひるはないなぁ・・・。あひると鴨って、どこが違うのだろう?辞書を見ると、韓国語ではあひるも鴨もオリといいます。「あひるを食べたのは、はじめて」というと、とても喜んでもらえたから、あひるを食べたと信じたい。


オリコギ屋さんで、韓国海兵隊の出身者の人たちの交流会に同席しました。60ぐらいの熟年から30ぐらいの若者まで、約50人の方が参加しておられました。ミリャンの市長も挨拶に来て、大盛況。このような集まりが、月一度、行われるそうです。海兵隊出身者の交流組織は、各都市ごとにあって活発に活動をしているそうです。「海兵隊は一番だ!!」みなさん誇らしげに語っておられました。地縁、血縁、「先輩―後輩」の人間関係が社会の中に強固に根付いている韓国社会の一面を見たように思いました。

「ドストエフスキー」(山城むつみ)

2011-04-17 23:36:54 | 
500ページの労作です。「悪霊」「罪と罰」「作家の日記」「白雉」「未成年」「カラマーゾフの兄弟」。著者が、7年間をかけて書いてきたドストエフスキー論です。一行一行、一字一句から、ドストエフスキーと向き合い、格闘する筆者の姿が伝わってきます。何度も読み返しながら、時間をかけて読んだ一冊です。

この本を読んで、僕のドストエフスキーの読みがとても浅かったことがよくわかりました。そして、もう一度ドストエフスキーを読み直してみようと思いました。この本で紹介されていますが、哲学者ヴィッドゲンシュタインは、「カラマーゾフの兄弟」を少なくとも50回は読み、全文を暗誦できるほどだったそうです。

筆者は、まえがきでこの本の骨子を次の二つに要約しています。メモ。

A ドストエフスキーの、いわゆる地下室的主人公たちは、ことさらに他者に対して天の邪鬼に反対し不同意を突きつけているように見える。しかし、彼らは、ほんとうは他者の言葉に強く引かれそれに自分の声を合わせたいのだ。ただ、それに声を合わせようとしてどうしても合わせることができないとき、協和と同意の合意点からその微小なズレには激しい斥力を持つ異和が生じる。それは反論や不同意が産み出す反撥と似て全く非なるものだ。のみならず、そのような反撥よりもはるかに強烈な不協和、憤激を呼び起こすのである。本書は、そのような異和を、反論と不同意から生じる反撥と区別して「ラズノクラーシェ」と呼び、この強い斥力こそがドストエフスキーの世界の主な動力となっている。

B 最初の妻マリヤの死という出来事はドストエフスキーの創作に甚大な影響を与えている。ドストエフスキーは、二十八歳で銃殺刑の一歩手前で自分自身の死と向き合ったときに直覚したものを四十二歳になって他者の死において受け取りなおしたのだ。この経験が五大長編を建築してゆくための足場になっている。本書は、マリアの死を、ドストエフスキーの創作史に「後期」を画する決定的な出来事だったと考えている。

「ラズノクラーシェ」、たしかにドストエフスキーの深さはこの言葉から来ているのだと思う。重いなぁ、この言葉は。


「パウル・クレー  おわらないアトリエ」

2011-04-16 23:07:24 | 美術館
京都国立美術館で開かれている





「パウル・クレー  おわらないアトリエ」展に行ってきました。クレーが大好きな僕には、とても楽しい展覧会でした。

「クレーの作品が物理的にどのように作られたか」

展覧会は、クレーが自らとった写真に基づいて、年代順に5つのアトリエを再現するところから始まります。クレーは、アトリエの壁に自らの作品を飾っていたのですが、クレーが飾っていたとおりに作品が展示されていました。クレーの作風の変化もよくわかって、これはなかなかおもしろかったです。

アトリエ再現の後は、「油彩転写」、「切断・再構成」、「切断・分離」、「両面」の順に、クレーのユニークな制作方法が紹介されていきます。



これは、「油彩転写」のやり方で作られた作品。



これは「切断・再構成」。




これは「切断・分離」。一度つくった作品を切断して二つの作品にしています。

この展覧会を見るには、オーディオガイドが必携です。とても丁寧にクレーの制作方法が説明されていました。

楽しかったけれど・・・鑑賞者はとても少なかったです。クレーって、やっぱりマイナーなのかな。レイテ共和国に共感し、ナチスドイツへの反骨をつらぬいたクレーの想いも伝わってきたし、クレーに色彩の美しさを認識させたチュニジアにも行ってみたくなりました。