1日1日感動したことを書きたい

本、音楽、映画、仕事、出会い。1日1日感動したことを書きたい。
人生の黄昏時だから、なおそう思います。

「意味で読む韓国語辞典」

2013-01-02 10:30:39 | 
韓国出張の帰りに買った9冊の本の中の1冊に、'뜻으로 읽는 한국어사전 '(이어령)(「意味で読む韓国辞典」(イオリョン著)という本があります。この本、とてもおもしろいのです。著者イオリョン氏は、言葉を見つめることを通して、その語にこめられた考え方やものの見方に迫っていきます。読んでいくうちに心が洗われていくような、そんな気持ちになる本です。

この本の'살다와 죽다 '(生きると死ぬ)という項は、「韓国人ほどに、'死ぬ'という言葉をよく使う人もいないと、よく言われる」('한국 사람처럼 "죽는다"는 말을 잘 쓰는 사람도 없다고들 한다')と言う文章で始まります。確かに、韓国の方と話をしていると、'졸려 죽겠다 '(眠くて死にそうだ)とか'피곤해 죽겠다 '(疲れて死にそうだ)とか、'죽겠다 'という言葉がよくでてきます。疲れたとか、悲しいとか、後ろ向きの気分の時ばかりでなく、うれしくてたまらない時や楽しい時にも、'기뻐 죽겠다 'とか'반가워서 죽겠다 'いう形で'죽겠다 'が使われます。会いたくてたまらない時は、'보고 싶어서 죽겠다 '(会いたくて死にそう)なのです。余談ですが、'우리말,가슴을 울리다 '(ウリマル、胸にひびく)の著者チョヒョニョン氏は、'살고 싶어서 죽겠다 '(生きたくて死にそうだ)は、さすがに言わないだろうと書いておられます。

韓国語に'사생 '(死生)という言葉があります。これは、日本語の「生死」のことです。「生死を共にする」は、韓国語では'사생을 같이 한다.'(死生をともにする)と言います。韓国語では、「生」の前に、「死」がまず先に来るのです。「意味で読む韓国語辞典」の著者イオリョン氏は、韓国語で「死」が先に来ることについて、次のように書いています。

'한국인이 죽음이라는 말을 잘 쓴다는 것은 역설적으로 말해 그만큼 생명에 대한 깊은 관심을 지니고 있다는 증거이기도 하다.죽음을 전제로 하지 않고 살아가는 생은 전부 가짜 보석과도 같다.죽음을 잊고 살아가는 사람들,남은 다 죽어도 자기 혼자만은 천년만년 살 것 같은 착각 속에서 살고 있는 사람들일수록 아침 이슬과 물거품의 허상 속에 매달려 산다.그러나 죽음을 생각하며 살아가는 사람들은 죽음이 와도 여전히 남는 단단한 삶의 가치를 얻기 위해 애쓴다.'

「韓国人が、死という言葉をよく使うのは、逆説的に言って、それほどまでに生命について深い関心を持っているという証拠でもある。死を前提にせずに生きて行く生は、すべて偽物の宝石のようなものである。死を忘れ生きて行く人たち、他人はすべて死んでも自分一人だけは千年万年生きるような錯覚の中で生きている人たちであればあるほど、朝の露や水泡のようにはかない虚像の中に縛られて生きる。しかし、死を考え生きて行く人たちは、死が訪れても、なお残る、充実した生の価値を得るために心を尽くすのだ。」

この文章は、著者イオリョン氏が66歳の時の文章です。やがて訪れるだろう死を見つめながら、充実した生を生きようとする著者の思いが、胸にしみこんでくるような文章でした。年の初めにこのような文章に出会えて、とても幸せな気持ちになりました。