1日1日感動したことを書きたい

本、音楽、映画、仕事、出会い。1日1日感動したことを書きたい。
人生の黄昏時だから、なおそう思います。

気をつけてね

2010-08-30 19:32:24 | 日記
明日からハイチに行く長女と就職活動中の四女といっしょに、三宮にある韓国料理店「百済」で食事をしました。



これはトゥエンジャンチゲ。



ニラのチジミなどなど。

韓国で食べたものにくらべると、味は日本人向けにちょっとアレンジしているような。でもぼくにはおいしかったです。

ハイチ、無事に帰ってきてね

就職活動、がんばれ


「星空ファミリーコンサート」

2010-08-29 09:20:49 | 音楽
服部緑地野外音楽堂で行われた「大阪センチュリー交響楽団 星空ファミリーコンサート」に行ってきました。



三女が、センチュリーユースオーケストラの一員としてヴィオラで参加。



社会人になってからも、センチュリーユースの活動を続けるといっているので、年齢制限の29歳までしばらくは彼女の演奏も聴けそうです。

大阪センチュリー交響楽団。大阪府の補助金の打ち切りに負けないでがんばってもらいたいと思いました。

「星空ファミリーコンサート」。センチュリー交響楽団の演奏が無料で聴けて、とても満足。ヴァイオリンソロもとても美しかった!!。コンサートは、今日、日曜日も野外音楽堂で開かれます。



「ロジー・カルプ」(マリー・ンディアィ)

2010-08-28 14:11:48 | 
 「ロジー・カルプ」(マリー・ンディアィ)を読みました。作者のマリー・ンディアィは、セネガル人の父とフランス人の母を持つフランス人作家です。訳者のあとがきによると、現大統領になってからのフランスの息苦しさと、「フランスを愛するか、でなければ立ち去れ」という大統領の愛国主義的態度に抗議して、2007年からはベルリンに住んでいるそうです。

 マリー・ンディアィの描く白人主人公たちの、なんたるふしだらさ、身勝手さ、黒人への差別意識、ばらばらに崩壊してしまった家族の絆。そして、そんな白人たちの差別意識・身勝手さを知りながらも、彼らの支えになろうとする黒人の青年。この対比を通して、作者はフランス社会の何を描こうとしたんだろう?フランスの人たちは、この小説にどんな感想を持っているのかな?うーん、とても気になる。




「遥かなる水の音」(村山由佳)

2010-08-23 19:48:07 | 
 「遥かなる水の音」(村山由佳)を読みました。パリで菓子作りを修行中の日本人青年が、「僕が死んだら、その灰をサハラにまいてくれないかな」という言葉を残して死んでしまいます。青年の同居人のゲイの中年フランス人、青年の姉、おさななじみの友人カップルが、青年の遺灰を抱いてパリからサハラ砂漠へトランジションの旅にでるというお話です。

 スペインのセビーリヤ、アルヘシラスからモロッコに入ってタンジェ、フェズ、マラケシュ、エルフード、そして砂漠が見えるメルズーカまで。モロッコの町の情景がとても魅力的でした。いきたいなぁ、タンジェにフェズにマラケシュ。モロッコ料理も食べたい!

旅の記憶をこのような小説にまとめあげることができる作家の才能に脱帽。

そして、心に残った今日の一節は・・・

<生まれ変わったら何になりたい?>

あの問いへの正しい答えを、僕はもう持っている。
生まれ変わらなくて、いい。灰のままで、いい。
砂漠の砂でいい。吹きわたる風でいい。あふれる光でいい。燃えさかる炎でいい。流れる水でいい。森羅万象の中に、ただいればいい。

サハラに立つとこんな気持ちになるのかもしれない。




「ボストン美術館浮世絵名品展」

2010-08-22 18:27:36 | 美術館
 暑さに負けて家でゴロゴロしてばかりもなぁと思い、神戸市立博物館で開かれている「ボストン美術館浮世絵名品展」に行ってきました。



 鳥居清長、喜多川歌麿、東洲斎写楽。ボストン美術館所蔵の浮世絵140点あまりが展示されていました。

 感想は、うーーん・・・

 保存状態が良くて色彩も美しかったし、写楽のデフォルメされた目やあごや、力感が伝わってくる手と足も良かったのだけれど、清長や歌麿の美人画には、どうものめりこむことができませんでした。好みの問題なのだろうけれど。

 浮世絵というと、やっぱり北斎と広重かな。

「ラスト・チャイルド」(ジョン・ハート)

2010-08-19 20:57:29 | 
「ラスト・チャイルド」(ジョン・ハート)を読みました。
最近読んだミステリー小説では、断トツにおもしろかった!!

主人公たちの孤独と喪失感。貧富の格差が拡大していくノースカロライナの風景。崩壊していく家族の絆を縦糸にスリリングに展開していくストーリー。どれをとっても一流品だと思いました。

おすすめの一冊。さっそく同作家の「川は静かに流れ」を図書館で予約しました。






「ソルハ」(帚木 蓬生)

2010-08-15 16:59:39 | 
 「ソルハ」(帚木 蓬生)を読みました。ソルハというのは、アフガニスタン・ダリ語で「平和」という意味です。ソ連軍の侵入、内戦、タリバンの支配、そしてアメリカ軍の空爆。30年を超える長きに渡って戦禍に苦しむアフガニスタン民衆の姿を、少女ビビの成長を通して描いた作品です。

 タリバン政権下で教育を受ける権利や外出する自由すら奪われた女性の姿や、差別され貧しい生活を強いられてきたハザラ人、崩壊していくバーミヤンの石像、基本的人権を奪いかえそうと立ち上がる若者、爆撃の中で肩を寄せ合って生きる人たちなど。日本の少年少女に、アフガニスタン民衆の姿を伝えようとする作者の思いが、よくつたわってきました。

 帚木蓬生は、あとがきの中で、農業研修生として日本で一年間働いたアフガニスタン女性ライラの次のような言葉も紹介しています。

「軍隊はもういりまぜん。日の丸をつけた日本の軍隊(自衛隊のことです)を市民が見たら、いっぺんに日本ぎらいになってしまうでしょう。」

 今日8月15日は、太平洋戦争に日本が敗れた日です。アフガニスタンでイラクでパレスチナで、世界の民衆が戦禍に苦しんでいるという現実に対して、私たちは「平和」な日本で何ができるのか?大きな問いが、読後の残った一冊でした。


「若者よマルクスを読もう―20歳代の模索と情熱」(石川康宏×内田樹)

2010-08-13 19:15:41 | 
 「若者よマルクスを読もう―20歳代の模索と情熱」(石川康宏×内田樹)を読みました。石川康宏と内田樹の往復書簡の形で進む、高校生に向けて書かれたマルクスの案内書です。「共産党宣言」「ユダヤ人問題によせて」「ヘーゲル法哲学批判序説」「経済学・哲学草稿」「ドイツ・イデオロギー」。石川が成立過程と構成、内容を解説し、内田が個人的なこだわりをコメントするという形で、マルクスが20歳代に書いた五つの著作の魅力が熱く語られていきます。

 自称「科学的社会主義者」の石川は大月書店、新日本出版社の翻訳書からマルクスを引用し、レヴィナスの研究家の内田は、岩波文庫や筑摩書房の「マルクスコレクション」から引用する。このあたりの両者のこだわりもおもしろかったです。ちなみに僕は、岩波文庫、「マルクスコレクション」派ですが。

 両氏が引用しているマルクスの文章を読むだけで、わくわくしてくるし、マルクスのすごさをあらためて実感することができました。おもしろかったです。

いつものとおり心に残った一節を引用。内田の文章です。

「若い人たちにぜひ読んでほしいのは、『疎外された労働』について語るときのマルクスの熱さです。貨幣や地代のことなんか、極端な話、どうだっていいんです(なんて言うと石川先生に怒られちゃうけど)。マルクスの人間的なところは、『疎外された労働者』たちのことを考えるとつい興奮しちゃうところなんです。アンフェアな社会の実情を看過できないところです。一人の青年が『人間的に生きるとはどういうことなのか』を突き詰めて、その当時の思想や学習を渉猟、採るものは採り、棄てるものは棄てながら、全速力で『自分の言葉、自分の思想』をつくりだしてゆく、その切迫感を若い人にはぜひ感じ取ってほしいと思います。」

同感。


「哲学者とオオカミ―愛・死・幸福についてのレッスン」(マーク・ローランズ)

2010-08-10 19:32:55 | 
 「哲学者とオオカミ―愛・死・幸福についてのレッスン」(マーク・ローランズ)を読みました。著者のマーク・ローランズは、マイアミ大学で哲学を教える「気鋭の哲学者」です。この本は、ふとしたことで赤ん坊のオオカミと出会った著者が、ともにくらし、ともに旅をし、死を看取っていくまでの、10年間にわたる共同生活の記録です。著者は、オオカミをひとり家に残すことができなくて、大学の授業にも、ラグビーチームの練習や遠征試合にも連れて行きます。朝のジョギングから就寝まで、10年間、著者の傍らにはつねにブレニン(オオカミの名前)が寄り添っていました。この本を読みながら、11年間いっしょにくらした「そら」のことを思い出して、しんみりした気持ちになりました。

 筆者は、ブレニンとの共同生活と死を通して、人間とは何か、死とは何か、愛とは、幸福とは、人生の意味とは何かについて、考察を深めていきます。ニーチェ、サルトル、フッサール、ハイデガーなどの思想も随所に紹介されています。
 オオカミは瞬間の動物であり、人間は時間の動物であるとしながら、人生の意味を考察していく後半の三章は、どのような結論になるのかと思いながら、どきどきしながら読みました。以下は、心に残った文章の抜粋です。

 「オオカミは時間の動物であるだけでなく、瞬間の動物である。人間はオオカミとくらべて、より時間の動物であり、オオカミほどには瞬間の動物ではない。わたしたちはオオカミよりは瞬間を透かしえ見るのがうまく、オオカミはわたしたちよりも瞬間自体を見るのがうまいのだ。」

 「これ以上続けることが無益なとき、行為を続ける目的となる希望がないときに、わたしたちは最良の状態になる。希望というのは、わたしたちを時間的な動物にする欲望の一つの形だ。希望の矢が、未来の未発見の土地へと弧を描くのだ。だが、時には希望の出しゃばりをたしなめて、もとの薄っぺらい箱に戻すことも必要だ。こうしてわたしたちは何とか続ける。そして、こうすることで試練に耐える。こうした瞬間瞬間にわたしたちは(シーシュポスに刑罰を課した)オリンポスの神々にむかって『こんちくしょう』と叫ぶ。」

 「希望は人間存在の中古車販売員だ。とても親切で、とても納得がいく、それでも、彼を信頼してまかせることはできない。人生で一番大切なのは、希望が失われたあとに残る自分である。最終的には時間がわたしたちからすべてを奪ってしまうだろう。才能、勤勉さ、幸運によって得たあらゆるものは、奪われてしまうだろう。時間はわたしたちの力、欲望、目標、計画、未来、幸福、そして希望すらも奪う。わたしたちがもつことのできるものすべて、所有できるあらゆるものを時間はわたしたちから奪うだろう。けれども、時間が決してわたしたちから奪えないもの、それは、最高の瞬間にあったときの自分なのである。」




「博士の奇妙な成熟」(斎藤環)

2010-08-07 08:18:41 | 
 「博士の奇妙な成熟」(斎藤環)読みました。精神分析医で、思春期精神医学が専門の斎藤環の評論集です。「思春期問題」「ひきこもり」「おたく」「ニート」「新しいタイプのうつ病」・・・著者が臨床で直面する課題をとおして、現代社会の姿とその変容を考察していきます。
 この手の分野の本をあまり読んでこなかった僕には、とても難しい本でした。読み終わって、もう一度読み返さねばとおもった一冊。一番心に残った文章が、著者が内海健の「分裂病の消滅」の一節を引用した下の文章であるというのも、僕の消化不良を表しているのでしょうね。
 
「内海によれば、ポストモダン状況は分裂病を消滅させると同時に、メランコリー親和型性格者にとって決定的な一撃となった。それは『大きな物語』の失墜とともに『同一化すべき方向性』が失われためである。その後に残されたのは、『そのつどの強迫』であるという。しかし、そこには強迫を方向づける統制原理が欠けているため、『相手や状況にあわせつつ、コントロールしようとするあり方において、主体は振り回され、自分を見失い、そして短期間で疲弊してしまう』という」

それからもう一つ。
「うまくいく保証などないし、そもそもそこに答えはない。このとき私の確信の背後にあるのは、答えも保証もない場所で実践を促すものこそが倫理であるという、一種の反省的判断(カント)のみである。」

うーん、これもカントか。しばらくしてから、再読。




「働きすぎに斃れて――過労死・過労自殺の語る労働史」(熊沢誠)

2010-08-01 18:53:55 | 
「働きすぎに斃れて――過労死・過労自殺の語る労働史」(熊沢誠)を読みました。今年読んだ本の中で、もっとも心を打たれた一冊です。過労死や過労自殺に追い込まれていった人たちへの著者鎮魂の実証研究です。50件をこえる定性データーを丹念に分析することによって、筆者は、労働者を「強制された自発性」によって、働きすぎへと追い込んでいく、日本の労働現場の「構造的ひずみ」を明らかにしていきます。

 「形成されるべき労働者像とはおそらく、価値基準としては、自分にとってかけがえのないなにかに執着する『個人主義』を護持しながら、生活を守る方途としては、競争の中の個人的成果よりは社会保障の充実や労働運動の強化を重視する『集団主義』による――そうした生きざまの人間像であろう。」

 「労働運動の強化を重視する『集団主義』」をどのようにしてつくりだしていくのか・・・・労働運動の片隅に身をおいてきた者として、筆者の上の言葉が、胸にずしりと響く一冊でした。




 話し変わるけれど、今朝の神戸新聞の「新兵庫人 戦後65年の夏に ①生きる原点」の記事には、深い感銘を受けました。