1日1日感動したことを書きたい

本、音楽、映画、仕事、出会い。1日1日感動したことを書きたい。
人生の黄昏時だから、なおそう思います。

今年もお世話になりました

2010-12-30 20:29:40 | 日記
今年も残すところあと一日。いろんな方に支えられた一年でした。
ほんとうにありがとうございました。

明日からバルセロナとマドリッドに行ってきます。
ガウディーをみて、FCバルセロナの試合を見て、プラド美術館でベラスケスとゴヤを見て、ソフィア王妃芸術センターでピカソのゲルニカを見る。
 
そんなルンルン気分でいたんだけれど、明日の天気は雪と風。
関空、大丈夫だろうか・・・・
飛行機、とぶんかな・・・

天気、よくなってください。(m。_。)m オネガイシマス

28泊29日

2010-12-28 19:57:15 | 日記
28泊29日の長期滞在をした次女とZ太君が今朝旅立っていきました。

「立つ鳥跡を濁さず」
「おしまれているうちに去れ」

というのが、居候生活の極意とのこと。今朝起きると、たしかに部屋は美しく片付いていました。

この1ヶ月、長女や三女や四女がいれかわり訪問してくれて、とても楽しい時をすごすことができました。

子どもから居候へ・・・子育てが終了したことを実感する1ヶ月でもありました。
次は、レバノンで会おうね。>ALL

「罪と罰〈3〉」(ドストエフスキー 亀山郁夫訳)

2010-12-26 09:13:06 | 
第3巻は、第2巻に続いて予審判事ポルフィーリーとラスコーリニコフの対決が、そして老女殺しの罪に苦しむラスコーリニコフの心の葛藤が、迫力ある筆致で描かれていきます。ラスコーリニコフの葛藤に同伴するソーニャの姿がとても神々しいのです。

農奴解放後の社会的な混乱の中で、経済的に困窮する人びとの姿。政治党派や宗教など、肥大化していく観念に憑かれていく人びとの姿なども、とてもリアルに描かれています。

そして流刑地シベリアの大地でのラスコーリニコフの復活。

「しかし彼は甦ったのだ、そして、それが彼にはわかっていた、生まれ変わった存在のすべてで、いっぱいにそれを感じとっていた。では、彼女は―彼女はただひたすら、彼の人生のみをよりどころとして生きていた!」

「彼は彼女のことを考えていた。たえず彼女を苦しめ、その心を怖気づかせていたことを思い出した。彼女の青白い、やせこけた、ちいさな顔を思い出した。しかし、いまの彼は、ほとんどそうした思い出に苦しめられることがなかった。これからは自分が、いかにかぎりない愛で、彼女の苦しみのすべてを購っていこうとしているかを。」

「観念にかわって生命が訪れてきた。」

ラストの復活の余韻に今も浸っています。次は、悪霊をよみなおそう。







Ooh-oo child

2010-12-25 12:37:38 | 音楽
大好きな女性ジャズシンガーを一人あげろといわれたら、僕は、ニーナ・シモンをあげると思います。
野太い声とピアノの腕前、それから不当な差別を許さないという彼女の強い想い。

「Ooh-oo child」が入っているCD「ヒア・カムズ・ザ・サン」は、長女と次女が年子で生まれたころ、毎日のように聴いていました。今朝、このCDをかけていたら「どこかで聴いたことがある、このCDええなぁ」というのが次女の感想。

Ooh-oo child, things are gonna get easier
Ooh-oo child, things'll get brighter
Ooh-oo child, things are gonna get easier
Ooh-oo child, things'll be brighter
Some day, yeah
We'll put it together and we'll get it all done
Some day
When your head is much lighter
Some day, yeah
We'll walk in the rays of a beautiful sun
Some day
When the world is much brighter

あれから二十数年。世の中は決してよくはならなかったけれど、子どもたちは確実に親を乗り越えたと思う。



来年の夏は

2010-12-24 08:34:43 | 日記
次女にZ太君、三女にDごろ君、それから四女。
昨日は、にぎやかな食卓になりました。一か月間滞在してくれた次女とZ太君とも
もうすぐしばしのお別れ。

来年の夏は、4月からZ太君が赴任するレバノンにみんなで遊びに行くことになりました。
褐色の風土とレバノン杉がみたい。



それまで、がんばってはたらこっと。

「お別れの音」( 青山七恵)

2010-12-21 21:31:04 | 
別れがテーマの六つの短編集です。別れと言っても恋人との別れのような劇的なものではなく、職場の先輩や、大学時代の同級生、旅先でお世話になった人などなど、日常生活でふと出会った人との別れが、静かに語られていきます。

工事現場から聞こえる音、靴を修理する音、雨だれの音。これらはこの小説から聞こえてくる音ですが、読み終わったあとも、僕の心の中で共鳴しているように思いました。

別れ後の喪失感にそっと耳を傾けているような、そんな気持ちになった一冊でした。


有馬温泉~森林植物園~弓削牧場

2010-12-19 16:05:21 | 日記
85歳の母親といっしょに有馬温泉に行って来ました。



温泉につかって、おいしいもの食べて、カラオケをしていると・・・
「おじいさん、じょうず」という見知らぬ人の掛け声に、上機嫌でうたう父親のことを思い出しました。


これは、母と別れてから行った



冬の



森林植物園。それから







弓削牧場。




これは弓削牧場で食べたホエイシチュー。ホエイは、牛乳からチーズを作るときに出る副産物だそうです。酸味がきいていておいしかったです。

「アナーキー・イン・ザ・JP 」(中森明夫)

2010-12-18 14:50:24 | 
アナーキスト大杉栄の魂が、17歳のパンク少年の脳中によみがえるというお話。文章の疾走感、明治から大正にかけて生きた大杉栄らアナーキスト達の生き様や想いもたっぷり紹介されていて、とてもおもしろかったです。朝から一気に読んでしまいました。

「何も変わらない。変えられない。この世界は。1ミリも動かせやしなかった。はるかに自由であるはずのこの時代の人びとは、豊かさに窒息している。いつも、みんな泣きそうな顔をして、そうして滅びようとしているのだ。何か大切なものを見失って。やっとわかったよ、僕はどうしてここへ来たのかって・・・」

「僕は泣くために来たんだ。涙を流すために、この世界へ。この時代へ。今にも滅びようとしているこの都市、この国のために、涙を流そうとしている。僕は無力だ。何もできない。泣くことのほかには。だけど・・・。きっと、そのためにだけよみがえったんだ。僕の魂は、僕らの精神は。そう、百年分の涙を流すために・・・」 

これは、よみがえった大杉栄の言葉。時代の閉塞感とそれへのいらだちと。それでもなお権力や権威から自由に、生きていけたらという想いが伝わってくる一冊でした。


NO FUTURE NO CRY
未来はないけど、泣いちゃダメだ!!



今日の夕食

2010-12-17 21:57:39 | 日記
会社から帰ると、毎日夕食ができている。ハッピーな毎日を送っています。
主夫志望のZ太君(次女の夫)の料理の腕は、なかなかなものなのです。
今日の献立は、丁寧にジャガイモをつぶしたポテトサラダにぷりぷりの海老。
おいしかったです。一昨日の筑前煮もグッドでした。




写真、いまいち。
今月末までいてくれることになって、なおハッピー。

リタイア後の生活に備えて、「おとうさんも練習し」と次女からありがたい
お言葉をいただいています。




上原ひろみ with 大阪センチュリー交響楽団 指揮:ロッセン・ゲルゴフ

2010-12-15 07:54:54 | 音楽
大阪シンフォニーホールで開かれた「上原ひろみ with 大阪センチュリー交響楽団 指揮:ロッセン・ゲルゴフ」に行ってきました。

最前列中央の席で、かぶりつきで上原ひろみの演奏を聴いてきました。オーケストラで聴くスパイラルやPLACE TO BEも、なかなか素敵な演奏でした。大阪センチュリー交響楽団に拍手。補助金削減に負けないでがんばってください。もちろんひろみのソロもよかった!! ピアニストとしてばかりでなく、コンポーザーとしての上原ひろみの可能性を満喫できたコンサートでした。

上原ひろみの唸り声、それから本当に楽しそうな笑顔。ぼくまで楽しさ伝わってきて、アンコール2曲目のパッヘルベルのカノンを手拍子で聴いていて、目頭が熱くなりました。サイドプレイヤーとして参加したスタンリー・クラークトリオの演奏で感じた欲求不満解消。

会場オールスタンディングの上原ひろみが帰ってきて、ほんとうにうれしかったです。来年も、またいこう!!

「シェイクスピア&カンパニー書店の優しき日々」(ジェレミー・マーサー)

2010-12-13 20:50:48 | 
これは、老コミュニストが経営する書店のお話です。

シェイクスピア・アンド・カンパニーは、ヘンリー・ミラーやアナイス・ニン、アレン・ギンズバーグなど錚々たる作家が出入りしたことで知られるパリの名物書店です。またこの書店は、50年以上の長きに渡り、無一文の作家や詩人の卵たちに無料の宿を提供してきました。

この本の著書ジェレミー・マーサーも、犯罪記者の生活に疲れ、パリに流れ着いてこの書店で数ヶ月間おせわになったそうです。著者は、この時のシェイクスピア・アンド・カンパニーでの生活の様子を、共同体内部での人と人との軋轢も含めて、結構、正直に書いています。

著者は、86歳で20歳の女性に真剣に恋をし、わがままで、コミュニストであることを誇りに思う書店の経営者ジョージと、シェイクスピア・アンド・カンパニーについて次のように語っています。

「僕はジョージをだれよりも尊敬している。完璧にはほど遠いし、変なところも山ほどあるが、子どものような希望と楽観主義にあふれ、世界を変え、店にとまる人びとを変えることができるとまだ信じている。ともすればシニカルになりがちな時代にあって、それだけでも僕にとっては憧れの存在である。」

「何よりもシェイクスピア・アンド・カンパニーは、川の向こうの大聖堂のような一種の避難所なのだ。だれもが必要なものを取り、与えられるものを与えることのできる場所、店主がそれを許している場所なのである。」


うまくいかないところをいっぱい抱えながらも、シェイクスピア・アンド・カンパニー書店が60年近く存続してきたことに、ただただ拍手。

次にパリにいくことがあったら、とまる度胸はないけれど、必ずのぞいてみよう!!


神戸案内といえば

2010-12-12 13:58:48 | 日記
神戸を案内するといえば、異人館に神戸港に六甲山。
今日は、次女のおともだちをつれて六甲山へ行って来ました。




風が冷たくて、ガーデンテラスもクリスマスモード。




天気が良くてよかった。

新長田でそばめしを食べたいという娘たちを送って、父の任務終了。




これは新長田の駅前の鉄人28号。なかなか迫力がありました。



Relaxin'

2010-12-11 10:23:41 | 音楽
今日はCDジャケットのようなかっこうをして、マイルス・デイビスクィンテットの「Relaxin'」を聴いています。大好きなジャズのCDをあげろといわれたら、これははずせない一枚です。

マイルス・デイビスのトランペットに、コルトレーンのサックス、レッド・ガーランドのピアノに、ポール・チェンバースのベースとフィリー・ジョー・ジョーンズのドラム。マイルスのミュートをつけたトランペットもいいけれど、今日聴いてみると、レッド・ガーランドのピアノも美しいです。題名どおり、ぼくはリラクシングです。

この時期マイルス・デイビスは、移籍問題でプレステージというレコード会社ともめていて、一年間に4枚のレコードを製作しなければならなかったそうです。10月26日には12曲をワンテイクで仕上げたそうですが、その中からの4曲がこのCDには収録されています。後の2曲は、5月のセッションから。

あまたの曲の中から、6曲を取り上げて「Relaxin'」と名づけて発売するレコード会社も、レコード会社との緊張関係の中で一回きりの演奏を平然とやってしまう演奏者たちも、たいしたものだと思いました。

これっきりだという思いの中で、こういう名盤が生まれるというのもわかるような気がする。



さてと、今日は一時帰国中の次女の友達が2名、わが家にやってくるそうな。緊張するなぁ・・・。



「宗教とは何か」(テリー・イーグルトン)

2010-12-08 17:31:46 | 
イギリスには、いまも著者イーグルトンのような、ちょっと強面のマルクス主義者がいるんだなぁというのが、この本を読んだ第一の感想です。それから、ヨーロッパの人たちの日常生活にはキリスト教が強固に根付いているのだというのが第二の感想です。この本のわかりにくさは、キリスト教への日常感覚の差異から来るのかもしれません。

 「神は妄想である」というリベラル合理主義者の宗教批判に対して、宗教は資本主義の悲惨な現実に根ざす抑圧された人々のため息(マルクス)であり、非科学的妄想として簡単に退けてはならない、「理性は、理性そのものより深い部分に横たわる信仰の力や資源に頼らなければならない」として、宗教擁護の論陣を展開するマルクス主義者イーグルトンの姿がとても印象的な一冊でした。

 しかし邦題「宗教とは何か」で期待した内容とは、少しずれていたように思います。原題は「Reason, Faith, and Revolution: Reflections on the God Debate 」。これを、「宗教とは何か」と訳すのは、少し無理があるように思いました。

「アンサンブル コパン」のコンサート

2010-12-06 17:58:46 | 音楽
「アンサンブルコパン」の定期コンサートに行ってきました。三女が、ビオラでおたすけ参加です。

「アンサンブルコパン」は、神戸で活動するアマチュアのアマチュア弦楽合奏団で、結成25年になるそうです。テレマンのビオラ協奏曲やアバのメドレーなどを、ほんとうに楽しそうに演奏しておられました。

ひとつのことを続けるって、ほんとうに貴重なことなのだということをあらためて気づかせてくれる、素敵なコンサートでした。

ぼくも、せっかくやりはじめた韓国語の勉強を、ほそく、ながーーく、続けようと思いました。