goo blog サービス終了のお知らせ 

1日1日感動したことを書きたい

本、音楽、映画、仕事、出会い。1日1日感動したことを書きたい。
人生の黄昏時だから、なおそう思います。

「女ぎらい ニッポンのミソジニー」(上野千鶴子)

2011-01-26 20:47:51 | 
この本を読んで、「ミソジニー」という言葉を初めて知りました。著者上野千鶴子は、ミソジニーを次のように定義しています。

「女を自分たちと同等の性的主体とはけっして認めない、この女性の客体化・他者化、もっとあからさまに言えば女性蔑視を、ミソジニーと言う。」

「男が男として性的に主体化するために、女性への蔑視がアイデンティティの核に埋め込まれている、それがミソジニーだ。」

著者は、このミソジニーを鍵に、「皇室」から「父と娘」「母と娘」「女子高文化」「児童性虐待者」などを取り上げ、ホモソーシャルな日本社会の姿を考察していきます。

ホモソーシャルな社会(男と認めあった者たちの脱性的な絆が支配する社会)は、男になりそこねた者と女を排除し、差別することで成り立っており、そのような社会のなかで、男は、他の男たちから実力を認められ、評価され、賞賛されようとあくせく働き続けることで、権力の支配にからめとられていることが、説得力を持って語られいます。

筆者は、あとがきの中で、この本は、「女にとっても男にとってもーとりわけ男にとってー不愉快な読書経験をもたらすだろう。」と書いています。読み終わって、不愉快な思いはぜんぜんしなかったです。「女は関係を求め、男は所有を求める」とか「男の究極の女性支配への欲求。」とか、確かに僕もミソジニーに深くとらわれているのだと、目から鱗。ここまで言われて、さわやかでさえありました。

ミソジニーを克服するために、筆者は、

「男が主体となるための核心に、女(と女のような男)の他者化と排除を置くことをやめることである。男に(なるべく)生まれついた者にとっては、それは『男でなくなる』恐怖に打ち勝つことを意味する。」

と述べています。うーん、今からでも遅くないかな、ミソジニーと向き合うのは・・・仕事社会からのリタイアも考えている今なら、「男でなくなる」恐怖は少しはやわらぐのかもしれない。




最新の画像もっと見る

1 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (りん)
2015-03-30 08:37:12
読んでみたくなりました
返信する

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。