1日1日感動したことを書きたい

本、音楽、映画、仕事、出会い。1日1日感動したことを書きたい。
人生の黄昏時だから、なおそう思います。

睡眠不足やけど気分爽快

2011-01-30 10:43:03 | 日記
睡眠不足だけれど、気分爽快。
アジアカップ決勝、日本代表、1対0でオーストラリアに勝利。

長友のクロスから李忠成のボレーシュートが決まったときは、思わず歓喜の声を上げていました。オーストラリアの高さに対抗するために岩政を投入して、長友を前に上げたのが、勝因なんだろうな。川島も体を張ってがんばってたし!!

ザッケローニ監督、さすがヨーロッパのチャンピオンズリーグでもまれてきただけのことはあると思いました。戦術もシンプルでとてもわかりやすいし、見ていておもしろいサッカーをしていると思います。

でも、オーストラリアと韓国には、やっぱり力負けしていたと思う。このフィジカルの差をどう超えていくのか。日本代表の今後の成長がとても楽しみです。


'Light As a Feather'

2011-01-29 20:08:08 | 音楽
いまだスペイン旅行の興奮冷めやらず(^^;

スペインというとマイルス・デイビスの'Sketches of Spain'かミシェル・カミーロの'Spain'か、いややはりこれだろうと思って今日聴いたのが、リターン・トゥ・フォーエヴァーの'Light As a Feather'。1973年の作品です。チック・コリアのピアノに、ジョー・ファレルのサックス、スタンリー・クラークのベース、アイアート・モレイラのドラム、そしてフローラ・プリムのボーカルがフューチャーされています。

フローラは、2曲目の標題曲' light as a feather’で次のように歌います。

Clear days feel so good and free
So light as a feather can be

There's a place so easy to be found
If you want I'll take you there right now

Come with me there's music all around
Can't you hear can't you see I am free

73年というと、学生運動も終焉期。重苦しい雰囲気の中で、どう生きていくのかすらわからず、ジャズといえば地下にあるジャズ喫茶でコルトレーンを聴く。そんな日々の中で、どこかから聴こえてきたのがこの作品。

歌詞にあるように、クリアーで、どこか自由で、羽のように軽いサウンドに驚いたのを思い出します。チック・コリアのことは名前しか知らなかったけれど。

で、この作品の最後が、アランフェス協奏曲をイントロにした名曲Spain。

あれから37年・・・
チック・コリアは上原ひろみと二人で元気にこの曲を弾いていたし、去年の暮れはスタンリー・クラークも熟練の演奏を聞かせてくれた。そして、僕も、いろんなことがあったけれど、なんとかここまで生きてこれたと思う。



「バルサ対マンU―世界最高の一戦を読み解く」(杉山茂樹)

2011-01-28 20:20:00 | 
2009年5月27日のUEFAチャンピオンシリーズ決勝戦、「FCバルセロナ対マンチェスター・ユナイテッド」の試合を、両チームが採用した戦術に焦点をあてて、解説した本です。バルセロナの先制点がどうしてうまれたのか、なぜクリスチャーノ・ロナウドがスリートップの中央からサイドに移ったとたんにバルサの追加点が生まれたのかが、説得力を持って語られています。なるほどとうなずいてしまうのです。それはそれとして・・・

筆者は、「サッカーは俯瞰でみろ」と書いた後で次のように書いています。

「バルサのサッカーは、俯瞰で眺めて美しく映った。バルサのサッカーと他の違いはまさにそれだ。ピッチに近いスタンドで、スーパースターのプレイをアップで見るより、上からのぞき込んだ方が感激できる。選手のアップを見たいならテレビで十分。わざわざスタンドに足を運ぶなら、見る場所はスタンドのできるだけ上に限る。
 カンプノウの収容人員は約9万8000人。サッカー専用スタジアムではヨーロッパ最大だ。その最上部に腰をすえれば選手は豆粒のようにしか映らない。世界にはサッカー場が無数にあるが、これは僕の知る限り、二つとない観戦ポイントだ。そこに腰をかけ、ピッチに目をやると、サッカーがまったく別のスポーツに見えてくる。」

この文章を読んで、とてもハッピーな気持ちになりました。そう僕は、今年のお正月にカンプノウスタジアムのこの場所で、パルサの試合を観戦したのです。イニエスタもビジャも確かに豆粒のようだった!!「カンプノウ、行った、行った、行ったね」って、歓喜の声をあげておりました。



ブリジストン美術館

2011-01-27 20:46:25 | 美術館
今日は東京出張。






時間が少しあったので八重洲口にあるブリジストン美術館に行ってきました。



ピカソや



モネや



ルノワール



セザンヌ



クレーなど、美術館所蔵の12の作品を取り上げて、「なぜ、これが傑作なの?」かに焦点を当てた、コレクション展が行われていました。12の作品には、とても丁寧な解説がつけられていました。解説を読んで、絵を眺めているうちに、あっという間に1時間半が経過。あわてて、お仕事に。

この他にも、コローやミレーやルソー、シスレー、佐伯祐三、藤田嗣治などなど150点以上の作品も展示されていました。東京駅からわずか5分。また、時間があるときはよってみよう、ブリジストン美術館。

しかし、東京には美術館がたくさんありますね。これはうらやましいかぎりです。



「女ぎらい ニッポンのミソジニー」(上野千鶴子)

2011-01-26 20:47:51 | 
この本を読んで、「ミソジニー」という言葉を初めて知りました。著者上野千鶴子は、ミソジニーを次のように定義しています。

「女を自分たちと同等の性的主体とはけっして認めない、この女性の客体化・他者化、もっとあからさまに言えば女性蔑視を、ミソジニーと言う。」

「男が男として性的に主体化するために、女性への蔑視がアイデンティティの核に埋め込まれている、それがミソジニーだ。」

著者は、このミソジニーを鍵に、「皇室」から「父と娘」「母と娘」「女子高文化」「児童性虐待者」などを取り上げ、ホモソーシャルな日本社会の姿を考察していきます。

ホモソーシャルな社会(男と認めあった者たちの脱性的な絆が支配する社会)は、男になりそこねた者と女を排除し、差別することで成り立っており、そのような社会のなかで、男は、他の男たちから実力を認められ、評価され、賞賛されようとあくせく働き続けることで、権力の支配にからめとられていることが、説得力を持って語られいます。

筆者は、あとがきの中で、この本は、「女にとっても男にとってもーとりわけ男にとってー不愉快な読書経験をもたらすだろう。」と書いています。読み終わって、不愉快な思いはぜんぜんしなかったです。「女は関係を求め、男は所有を求める」とか「男の究極の女性支配への欲求。」とか、確かに僕もミソジニーに深くとらわれているのだと、目から鱗。ここまで言われて、さわやかでさえありました。

ミソジニーを克服するために、筆者は、

「男が主体となるための核心に、女(と女のような男)の他者化と排除を置くことをやめることである。男に(なるべく)生まれついた者にとっては、それは『男でなくなる』恐怖に打ち勝つことを意味する。」

と述べています。うーん、今からでも遅くないかな、ミソジニーと向き合うのは・・・仕事社会からのリタイアも考えている今なら、「男でなくなる」恐怖は少しはやわらぐのかもしれない。



「プレシャス」

2011-01-25 19:45:54 | 映画
遅ればせながらに「プレシャス」を見ました。ハーレムに暮らす16歳の少女プレシャスが主人公の物語。凄い映画だったと思います。おもしろかったです。



映画は、プレシャスが二度目の妊娠をしたために公立学校を退学になるところから始まります。プレシャスを妊娠させたのは彼女の父親であること、そして母親によるプレシャスへの虐待は、夫を娘に奪われたことによる嫉妬心からであることが次第に明らかになっていきます。仕事に就こうとせず生活保護に依存する母親、読み書きすらできない青年たち。ハーレムに暮らす人々の姿もとてもリアルに描かれています。

フリースクールに通い、同じ境遇の仲間や教師に支えられながら、読み書きを学び、二人の子どもを自分の手で育てていこうとするプレシャスの姿がとても心に残る一作でした。

同じ再生の物語だけれど、「エリックを探して」では感じなかった凄さがこの映画からは伝わって来ました。なぜなんだろう、この違いは。エリックには郵便配達員という定職があったけれど、教育の機会さえ奪われた貧困の中で、黒人として、女性として、そしてシングルマザーとして、差別に負けないで生きていこうとする「プレシャス」という存在のすごさなのかな・・・。


京都ウォーキング

2011-01-24 21:29:30 | 日記
両足院で若冲を見て、少し時間があったので京都を歩いてきました。





六波羅蜜寺で空也上人立像をみて



冥土への入口があるといわれる六道珍皇寺。



八坂の塔から



八坂神社





円山公園を抜けて





知恩院。



特別公開されている三門の天井画を見て



平安神宮まで。冬の京都、すこし寒かったけれどとても気持ちがよかったです。

ぶらりと歩いていると、岡崎で「人体の不思議展」を見に来ていた三女と彼氏にばったり遭遇。一緒に食事をして帰ってきました(^_^)。





建仁寺両足院 雪梅雄鶏図

2011-01-23 22:01:58 | 美術館
京都建仁寺の塔頭「両足院」に行って来ました。冬の特別公開で長谷川等伯の「竹林七賢図」と伊藤若冲の「雪梅雄鶏図」が公開されています。







ここの庭も、なかなか美しかったです。



長谷川等伯の「竹林七賢図」です。等伯69歳のときの作品。晩年になるにつれて水墨画が多くなります。



こちらは伊藤若冲の「雪梅雄鶏図」です。雪の白、鶏のとさかと梅の花の赤、木にとまる鶯と葉の緑。この色づかい、ほんとうに美しかったです。葉っぱもよくみると、虫食いのあとがある。これぞ若冲。冬の寒さの中で生きている動植物のいのちが伝わってきました。



「スタディ・イン・ブラウン」

2011-01-22 10:12:03 | 音楽
土曜日の朝は、ジャズを聴くというのが最近の生活パターン。今日は、クリフォード・ブラウン=マックス・ローチ・クインテットの「スタディ・イン・ブラウン」を聴いています。



クリフォード・ブラウンは、自動車事故で26歳で夭折したジャズ・トランペッターです。このCDの中のクリフォード・ブラウンの演奏は、ほんとうにすごいと思います。もう、ただその一言。

クリフォード・ブラウンというと、僕の大好きな詩人である長田弘は「クリストファーよ、ぼくたちは何処にいるのか」(1965)という詩の中で、次のように書いています。

ああ ぼくは、死んだクリフォード・ブラウンのことを
じつになつかしく想いだす。
荒涼としたペンシルヴァニア州を縦断し
くるしい六月の煙幕に抱かれた
シカゴへむかう朝のきついオートルートで
一六〇キロ以上も 絶望的に
自動車をすっとばして死んでいった青年、
ぼくたちの時代のあつい感情と
なによりも野心と歌にあふれていた
端正な黒人ジャズ・トランペッターの酷薄な一生を。

この詩を始めて読んだのは35年以上も前のことだけれど、今読んでもこの詩には、胸にぐぐっとくる素敵な言葉がたくさんでてきます。クリフォード・ブラウンを聴きながら、今日この詩をを何度も読み直して、一番心に残ったのは次の一節でした。

もしもぼくが 澄みきった
ひとりの勇敢な水夫だったなら、
真白な冬の真白な水夫だったとしたならば、
未知のものへの もっとも神聖な
感情と行為に憑かれたきみたちの航海に
ぼくを参加させてくれ

この歳になっても、「真白な冬の真白な水夫」でいれたら・・・と思う。

「時の地図」(フェリックス・J・パルマ)

2011-01-21 08:21:26 | 
スペインに行く飛行機の中で読んだ本です。著者はスペイン南部アンダルシアの生まれだそうです。

舞台は、1896年のイギリス。恋人を切り裂きジャックに殺された大富豪の息子が、タイムマシンに乗って過去へ行き、切り裂きジャックから恋人を救い出そうとする第一部。上流階級の娘が2000年へのタイムとラベルに参加し、未来でめぐりあった男性に恋をする第2部。そして、「タイムマシン」の著者H・G・ウエルズは、タイムトラベラーであったというお話の第3部。
 
第1部で、タイムマシンは、実は、H・G・ウエルズらが、恋人を喪い失意のどん底にある青年を励ますためにうった大芝居であったことが明らかにされます。なんですか・・・この程度の落ちですかと大きく失望。二部もたいした変化なし。もう、読むのやめようと思ったけれど、他に持ってきている本がない。

仕方なく読んで、第3部。1部と2部を伏線にして、物語は俄然おもしろくなります。エンターテインメント小説だから、内容は詳しく書かないけれど、ストーリーの大転換がとてもたくみでした。

登場人物も多彩。H・G・ウエルズの生涯についてもくわしく紹介されています。あの時別の行動をとっていれば、もっと違った人生があったのに・・という誰もが持つ想いがちょっぴりほろ苦い小説でもありました。



「15歳の寺子屋 ひとり」(吉本隆明)

2011-01-20 08:38:19 | 
86歳の吉本隆明が、15歳の4人の中学生に、1年間「寺小屋」で授業をした時の記録です。授業の内容は次のとおりです。

1時間目 ひとりっていうのは悪いもんじゃないぜ
2時間目 才能ってなんだろうね
3時間目 人生にどっちが正解ってことはないんだぜ
4時間目 特別授業 創作の本質とは
5時間目 恋愛って難しい
6時間目 大人になるってどういうこと?

<個人幻想><対幻想><共同幻想>、「アフリカ的段階」、「現象学」、芥川龍之介から夏目漱石、宮澤賢治、三島由紀夫まで、吉本隆明の思想のエッセンスが、分かりやすい言葉で語られていきます。思想というのは、無限の可能性に開かれた子どもたちに、こういう話をするためにあるのだということをしみじみと実感しました。

「人はみんな、かわいそうなもんだ。それでもなんで生きていくのかっていったら、それは、先があるからでしょう」。これは、吉本が子どもたちの贈った言葉。

「子どもにあることは、大人になっても、みんなある。」これも、吉本の言葉だけれど、四捨五入をすると60歳になる僕も、吉本の次の言葉に大きく励まされました。とても良い本だと思います。


「生きていくことは、たぶん誰にとっても行きがけの道なんですよ。立派な人にはまた特殊な見え方があるのかもしれないけれど、僕ら普通の人間は、悟りを開いて帰りがけになるなんてことはまずないんだってことが自分でわかっていれば、まずそれでいいんじゃないか。人は誰しも行きがけの道を行く。そうして迷いながら、悩みながら、ただただ、歩きに歩いていくうちに、ああ、これこそが自分の宿命、歩くべき道だったんだと思うことがあるんじゃないか。『命なりけり』と気づく時がくるんじゃないか。
 やりたいこととやるべきこと、どちらをやればいいのかなんてわからないんですよ、きっと。いつまで経っても。その時その時で悩んで、考えて、考え抜いて選択するほかない。どっちがいいかはわからないまんま、また、その先を行く。
 だけど、そうすると、いつか、『これが自分の歩くべき道だったんだ』と思うこともあるかもしれない。そういういつかを頼みにして、ただ歩き続ける。そういうものなんじゃないでしょうか。」



「旅に溺れる」(佐々木幹郎)

2011-01-19 08:03:08 | 
山形・鶴岡の黒川能、高知・赤岡の絵金祭り、沖縄の琉球國祭り太鼓。ネパールやチベットでの無墓文化と鳥葬儀礼、チベットの聖山カイラス、ネパールの城郭都市ローマタン、アイルランド、そしてフランスニースのマチス美術館。詩人佐々木幹郎の旅のエッセイ集です。

マチス美術館、チベットの聖山カイラスやローマタンの写真を見ていると、生きているうちに一度は行ってみたいという気持ちになりました。

山形県鶴岡市黒川の人たちは、500年間伝わってきた民俗芸能「黒川能」を守るために、太平洋戦争末期、能役者に来た赤紙を破り捨てたそうです。日本の各地で、祭りを守り育てようとする人びとの話を読んでいると、元気をもらったような気持ちになりました。

この本で一番心に残ったのは、「死が降りてくるとき」というエッセイに出てくる「冬虫夏草」の話でした。「冬虫夏草」は、冬の間に土の中にいたコウモリガなどの幼虫に、コリディセプス・シネンシスというキノコが寄生したもので、夏になるとそのキノコが生長し、新芽のように土の中から顔を出すそうです。チベットでは生きていた虫が土の中で死に、夏になると植物に変身すると信じられてきました。

著者はあとがきで、寺山修司が死ぬ8ヶ月前に書いた詩「懐かしのわが家」一節を引用しながら、次のように書いています。


「ぼくは不完全な死体となって生まれ
 何十年かかかって完全な死体となるのである

と、書かれている。そのとき、人間ではなく、一本の桜の木が「内部から成長を始める」のだと。」

この一節を読んだとき、僕の心の中で、やがておとずれる僕自身の「死」のイメージが一個の形になるのを感じました。




「小暮写眞館」(宮部みゆき)

2011-01-18 06:11:59 | 
人を傷つけたという思いや傷つけられた痛みは、いつまでも心の奥深く残るものだというお話です。

高校生の主人公英一一家が、幽霊が出ると噂されている小暮写眞館に引っ越してくるところから物語は始まります。英一のもとにもちこまれた3枚の「心霊写真」の解明を通して、夫とその親、父と子、新興宗教と家族の軋轢などによって心の傷を負った人々の姿が描かれていきます。

街と街、人と人を結ぶ鉄道が、多くの人たちを乗せて駅から出発していくように、主人公たちに支えられながら、新しい一歩を踏み出していく人びとの姿がとてもさわやかな一冊でした。ほろりとする場面もあったし・・・・・・

でもしかし、「火車」を始めた読んだ時の凄みはなかった。これは、ケン・ローチの映画「エリックを探して」とまったく同じ感想。宮部みゆきは老けこむ歳ではないし、なにかあったのかな・・・。

それとも、このさわやかさは、時代の不安の裏返しなのだろうか?






ボティン

2011-01-17 06:47:32 | 旅行
マドリッドのマヨール広場のそばに「ボティン」というレストランがあります。



1725年の創業でギネスブックに世界で一番古いレストランとして登録されています。ヘミングウェイのお気に入りのレストランとして有名ですが、1765年にあのゴヤも皿洗いとしてここで働いたそうです。



厨房にならぶ子豚の丸焼き。



にんにくのスープ、ソパ・デ・アホと



子豚の丸焼きを食べました。味は、微妙。地元の人たちはペロリと食べていたけれど、あまりに量が多い。泣きそうになりながら食べてきました。次に行くことがあれば、他の料理をたのもう・・・



これは、バルセロナのバルです。ぶらさがっているのは生ハムです。



米の変わりにフィデオという細いスパゲッティーのようなパスタを使うフェデウア。



イカ墨ご飯アロス・ネグロ。これはおいしかったです。



しつこくアップしてきた旅日記も今日で終了。最後に旅の思い出の個人的ベストショットを一枚。次は、盆休みにレバノンにいく!!!

ディッセン・ボルネミッサ美術館

2011-01-16 08:19:25 | 美術館
これは、プラド美術館のすぐ向かいにあるディッセン・ボルネミッサ美術館です。



ロマネスク時代から現代まで、800点の絵画が所蔵されています。



ここで一番気に入ったのはマネのこの絵。



青がとても美しかったです。



え、これがゴッホの絵。



ゴーギャンもこんな絵を画いていたんだという驚きの作品もあったりします。ふたつとも初期の作品なんだろうけれど、とっても普通の絵。彼らが、独自のスタイルを生み出すまでに、たくさんの苦労があったのだと思いました。

ゲルニカとラス・メニーナスを見た後で行ったので、ひとつひとつの展示品がちょっぴり小粒に見えました。これは仕方ないことです。