1日1日感動したことを書きたい

本、音楽、映画、仕事、出会い。1日1日感動したことを書きたい。
人生の黄昏時だから、なおそう思います。

デュエット  チック・コリア&上原ひろみ

2008-01-31 21:27:03 | 音楽
 僕が今大好きなミュージシャンの一人に、上原ひろみがいます。去年の年末も、おととしも、彼女のコンサートに行って、元気をもらってきました。テクニックもそうだけれど、彼女の音楽に対する真っ直ぐな姿勢が大好きです。
 今日、チック・コリアと上原ひろみが、ブルーノート東京で、去年の9月に行ったライブアルバム「デュエット」が届きました。CD2枚+DVD。DVDを、今、聴き終わったところです。DVDには、ビートルズの「フール・オン・ザ・ヒル」とチック・コリアの十八番「アランフェス協奏曲/スペイン」が入ってました。
 僕は、もう、このDVDだけで満足です。上原ひろみの真っすぐ伸びた背筋とクリアーで力強いタッチ。まあるくなったチック・コリアの体とピアノ。二台のピアノが、ほんとうに楽しそうにからみあっていました。このコンサート、行きたかったなぁ。普段は全然思わないんだけれど、今日は、東京がとってもうらやましいです。

清水鯖の刺身と四万十海苔の天ぷら

2008-01-30 20:39:32 | 日記
 昨日と今日、風力発電の打ち合わせで高知に出張してきました。今日の太平洋は、広くて、水平線のずっと向こうまで見渡せて、とてもおだやかな気持ちになりました。リタイアした後は、こんな海の見えるところに小さな家を建てて住めたらなぁと思いました。
 昨日の夜は、高知市内にある「仙樹」という居酒屋で食事をしました。地元では、人気のある居酒屋だそうです。関西では食べれない美味しいものをということで、注文したのは次の通り。
 清水鯖の刺身。マンボウの唐揚げ。うつぼのたたき。鯨の刺身。きびなごの天ぷら。四万十のりの天ぷら。のれそれ(謎の稚魚)。野菜の天ぷら。お茶漬け。
 マンボウは、大ぶりのイカの味がしました。うつぼのたたきは、なんとも評価のしようがない味で。清水鯖の刺身は、新鮮で、くさみもなくて、歯ごたえ抜群でとってもおいしかったです。これは、絶品。のれそれも、ちょっぴり甘みがあってグッドでした。
 来週は、博多に出張の予定。また、おいしいものをさがそっと。いま、インターネットで調べたら、のれそれって、穴子の稚魚なんですね。

「バグダッド101日」(アスネ・セイエルスタッド)

2008-01-28 21:14:07 | 
 アスネ・セイエルスタッドの「バグダッド101日」という本を読みました。アスネ・セイエルスタッドは、1970年生まれ、ノルゥエー在住の女性ジャーナリストです。この本は、フセイン政権崩壊時に、バクダットにとどまり、世界にバクダットの様子を配信し続けた作者のルポルタージュです。
 この本を読むと、死だけは、金持ちにも貧乏人にも、ブルジョアにも下層の労働者にも、平等に訪れるという常識が、決してそうではないことを思い知らされます。アメリカ軍の爆撃が始まるはるか前に、イラクの大金持ちは、ヨーロッパや近隣のアラブ諸国にさっさと避難していきます。アメリカ軍の民間住居や市場、街路などへの爆撃によって、愛する子どもや両親を失ったのは、イラクにとどまり、そこで生活し続けるしかなかったイラクの普通の人たちでした。
 作者アリエスは、爆撃で大やけどをし、手を切断した少年の「僕の手を返して」という叫びや、最愛の人を失った女性の失意を直視しながら、イラクの普通の人たちの、フセインやアメリカに対する本音の言葉を聞こうと格闘します。そして、作者のアリエス自身も、101日間の滞在を通して、「いつでも立ち去ることができる外国人ジャーナリスト」から、「そこにとどまり続けるしかない一人の女性ジャーナリスト」へと変化していきます。真摯に日常生活を送る普通の人たちを、いじめ、踏みにじる戦争に対する、彼女の憤りとやるせなさが、ルポルタージュの行間から、聞こえてくるのです。この本は「私はバクダッドにいた」という文章から始まるのですが、彼女は、イラクの人たちとともに、たしかに、あの時、そこにいたのです。
 アネスは、彼女の通訳であったアーリアと、行動をともにするなかで、お互いにはげまし合う関係を作っていきます。フセイン政権崩壊後、アーリアの心の秩序も崩壊していくのですが、アネスがバクダットを離れる前日、アーリアはアネスの部屋にやってきます。フセインに対する自らの思いを、アネスに必死に伝えようとするのですが、アーリアから言葉が出てこないのです。長い長い沈黙。この沈黙が、アネスが101日の滞在で聞いた、イラクの普通の人の、もっとも重たい本音の言葉だと思いました。

新日曜美術館 松林図屏風

2008-01-27 21:49:19 | 美術館
 NHK教育テレビの新日曜美術館を見ました。パティシエ 辻口博啓さんが同郷の画家長谷川等伯の松林図屏風の魅力を語っていました。番組を見終わって、この人が作るお菓子を一度食べてみたいと思いました。
 松林図屏風の松は、強風を受けながら必死で耐えている、ふるさと千里浜の松だと、辻口氏は言います。等伯がふるさとから京都に旅立つときに、水路、海から見た松、これが等伯の心の原点だと、辻口さんは言います。確かに、海からみた千里浜の松は、等伯の絵そのものでした。
 時の権力者のおかかえ絵師として大きな力を持った狩野派からはなれ、さまざまな妨害を狩野派から受けながら一人孤独な営為を続けてきた等伯。最愛の息子を失った等伯が、人生の悲哀を感じながら、自らの原点を確認するために描いたモノクロの絵、それが松林図屏風でした。
 等伯の松林図屏風の余白について辻口さんは、次のように語っています。
「松林図屏風の余白の中には、僕の心を写す鏡がある。うれしいときにはうれしさを、悲しいときには悲しみをうつしてくれる鏡がある。ともに悲しみ、喜んでくれる鏡がある。その余白によっていつも励まされてきました。余白。それは日本の技術の核心です。抜くことによって生じる美。抜く技術。洋菓子のなかに、余白を作っていきたい」
 この言葉を聞いて、この人は、もう誰もマネする人がいないところまでお菓子作りを極めたのだぁと思いました。等伯のように、孤独に耐えているのだなぁとも思いました。余白を実感できるケーキ。すてきやね。東京に行ったときは、必ず、立ち寄ってみようと思います。
 今日は、美術番組三昧の1日でした。

日本の心の旅SP 甦る浮世絵ロード

2008-01-27 16:55:59 | 旅行
 「日本の心の旅SP 甦る浮世絵ロード」という番組を見ました。先週、「ヴィクトリア アンド アルバート美術館所蔵 浮世絵名品展」で、広重と北斎の浮世絵を見たばかりだったので、とても面白い番組になりました。
 <構図>、<モチーフとしての雨や雪>、<連作>、<色彩>、<風景の中に描かれた感情>、<旅>。番組では、モネの300点の浮世絵コレクションやジベルニーの庭、ゴッホの浮世絵の模写等を紹介しながら、広重や北斎が、印象派の画家たちにいかに大きな影響を与えたかを明らかにしていました。
 旅の行く先は、モネのジベルニーの庭、ルーアン大聖堂、セザンヌのセント・ヴィクトワール山、ゴッホのアルル、マルモッタン美術館にオランジュリー美術館。番組を見ていて、むしょうに行きたくなりました。次の旅行は、エクス・アン・プロヴァンスのセント・ヴィクトワール山かな。
 広重が食べた甘酒屋さん、とろろ汁の店、彼が泊まった旅館が、300年経ってもまだ営業しているのですね。甘酒もとろろ汁もおいしそうだった。これは、近くに出張することがあれば立ち寄ってみようと思います。

美の巨人たち カイユボット「床を削る人々」

2008-01-27 12:17:30 | 美術館
 不覚、朝9時からのNHK教育テレビ「新日曜美術館」を見るつもりが、起きれば9時50分。今日は、長谷川等伯の特集。夜8時からの再放送を念のために録画して、昨日録画しておいた「美の巨人たち」を見ました。
 「美の巨人たち」は、ギュスターブ・カイユボットの「床を削る人々」の特集でした。この絵は、オルセー美術館の中で、たしかに印象に残る絵の一枚でした。床を削る三人の鉋職人の労働が、窓から差し込む光によって輝いていたように思うのです。
 番組は、この絵を描いたカイユボットが、印象派の画家たちのパトロンであり、彼が集めた印象派のコレクションが、オルセー美術館の設立に大きな役割を果たしたことに焦点を当てていました。
 カイユボットが、繊維業で財をなした大ブルジョアの跡取りであったこと、「床を削る人々」のあの床は、カイユボットの家の床であったこと、カイユボットの絵は広角レンズでとった写真を元に描かれたこと、彼の絵が敬愛するドガの絵のとなりに展示されていたことなどが、今日の僕の新しい発見でした。
 あらためて「床を削る人々」の絵を見直すと、斜め上からの視線に、ブルジョアの跡取りのカイユボットと働く人々との距離があるのかなぁと思いました。
 さてこのあとは、3時からの「日本の心の旅SP」という番組があるようです。「広重の五十三次と共にフランスと東海道を旅する」。どんな番組なんかな。これも録画です。

大阪大学交響楽団定期演奏会

2008-01-26 22:59:28 | 日記
今日は、シンフォニーホールで開かれた大阪大学交響楽団の定期演奏会に行ってきました。一年二回の定期演奏会。ここ数年は、皆勤しています。前回の6月の演奏会は、メンバーも替わったばかりで、金管楽器の乱れもあったし、オーケストラの一体感としては、ちょっぴり不満の残る演奏でした。
 しかし、今回の演奏は、七ヶ月のハードな練習の成果だと思うけれど、とてもよかったと思いました。今回のメインは、サンサーンスの交響曲第三番(オルガン付き)でした。アダージョの弦、とても安心して聴けたし、安らかな音が出ていたと思います。第四楽章のクライマックスが終わった後で、大きな拍手を送りました。自分たちでお金を出して、会場を借りて、指揮者の人に来てもらって、一生懸命の演奏を聴かせてくれてた大阪大学交響楽団の皆さんに、感謝です。
 サンサーンスの交響曲第三番というと、パイプオルガンで有名だけれど、シンフォニーホールのパイプオルガンは、天に昇っていくイメージの音がしていました。ドゥオーモの中に入って、クーポラの天井を仰ぎ見たときにように、そしてシスティナ礼拝堂でミケランジェロの天井画を見たときのように、天に昇る音を聞きながら、シンフォニーホールの天井を眺めていました。

追想 オスカーピータソン

2008-01-25 22:38:20 | 日記
今日の日経新聞の夕刊に、オスカー・ピーターソンへの追想録がのっていました。その中で、小曽根真は、師オスカー・ピーターソンに次のような言葉を贈っています。
 「彼の音楽は無条件で誰をもハッピーにする。生きている喜びをそのままスイングさせるとオスカーの音楽になる。」
 とても、良い言葉だと思いました。

  生きている喜び そのまま スイング
  生きている喜び そのまま スイング
  生きている喜び そのまま スイング
  
こうして繰り返すだけで、心がスイングしてくるし、なぜかハッピーな気持ちになるのです。今日の感動の一言でした。
  

ペルセポリス(その2)

2008-01-24 20:43:06 | 映画
マルジャン・サラトビ監督の「ペルセポリス」を見ました。この映画は、マルジャン・サラトビの自伝コミックを、サラトビ自らが、映画化したものです。マルジャン・サラトビは、イラン生まれの37歳。現在は、フランス在住の女性です。
 映画は、イスラム革命以降の、イラン社会の抑圧的な状況をモノクロの画面で描いていきます。モノクロの画面は、抑圧的なイラン社会の象徴であるとともに、イラン社会から少し距離を置いて、自らの体験を一つの事実として、客観的に描こうとした作者の思いのあらわれのような気がしました。色を付けてしまうと、イラン社会への怒りと、そこを離れてしまったうしろめたさのようなものが、制御できずにあふれ出してくるように思えるのです。
 イスラム革命以降のイラン社会は、非常に抑圧的で重苦しい社会です。女性は、ベールを被り、肌を人目にさらすことを禁じられ、女性というだけで差別されています。ロックを聴くことも、アルコールを飲むことも、男女が人前で手をつなぐことも許されず、自由を求め、国家に異議を唱える人たちは、捕らえられ、処刑されていきます。
 主人公マルジのおじさんも、反革命分子として処刑されてしまいます。マルジの知人の女性のコミュニストは、処女を殺すことを禁じられているイスラム社会で、投獄され、革命防衛隊の男性に強姦された後に、処刑されます。
 こんな社会の中で生きるマルジは、ロックが大好きな女の子なのです。戦果を報告する国営放送のすぐそばで、大きなボリュームでロックを聴き、「パンクは死なない」というゼッケンをつけて街を歩き、国家の思想を教室で教えようとする教師に、授業中に公然と抗議したりするのです。こんなマルジのことを心配した両親は、マルジにオーストリア留学をすすめ、マルジもイランを後にします。
 ヨーロッパでの生活は、みずからが「異邦人」であることを、マルジに自覚させるものでしかありませんでした。ホームステイ先を何度も代わり、失恋をし、傷つき、街をさまよって、命を落としそうになる。マルジは、ベールを被りなおし、再びイランへと帰っていきます。
 しかし、ここでもマルジは「異邦人」なのです。イランに残り、革命と戦争で心身ともに傷ついた人たちと、ヨーロッパで平和な生活をおくった自分とのギャップに苦しみます。マルジはこの時、ロックの歌に自らの思いをこめて、イラン社会の抑圧ともう一度闘っていくことを決意します。しかし、強大な権力の前で、マルジ一人の力は、あまりに小さいのです。
 この映画を見ている間、僕の頭の中で、ハードロックが鳴り響き続けていました。イランにいても、ヨーロッパにいても、一人の女性として尊厳を持って生きたいというマルジの叫び。それが、マルジのロックなのです。国家の暴力と個人の生が激しく対峙するとき、緊張の中で軋みをあげる個人の叫び。それが、マルジのロックなのです。祖母のように私自身に「公明正大」に、おじさんのように私の自由を求めて、私は私らしく、一人の女性として生きたいというマルジの思いが、ずっしんと伝わってくる映画でした。マルジの「パンクは死なない」のです。

 


ペルセポリス(その1)

2008-01-23 23:19:38 | 日記
 今日は、仕事の帰りに、マルジャン・サトラピ監督の「ペルセポリス」を見てきました。なかなか良い映画でした。しかし、観客は、わずかに8人。良い映画なのに寂しかったです。イスラム革命以降のイラン社会の閉塞状況と、私らしく生きたいと苦闘する主人公マルジの叫びが、アイアンメイデンのハードロックにのって、ずぅーーんと伝わってきました。もっと感想を書きたいけれど、もう、こんな時間。感想は、後日ということで。おやすみです。


南京町 『ロクツボヤ』

2008-01-22 23:20:06 | 日記
神戸の南京町にあるベトナム家庭料理の店「ロクツボヤ」で、ランチを食べました。
フォーとベトナム焼きめしのベトナムランチ(780円)と、香草サラダ(100円)を頼みました。香草をフォーにいっぱい入れて食べたけど、なかなかおいしかったです。食後に出てくるハス茶もグッドでした。今日一日の、ちいさな感動でした。
 しかし、株、よくさがってますね。この先、どうなるのかな。図書館で、サブプライム問題の本を、予約しました。世界が大きく変化していく前兆なのでしょうね。勉強しなければ。

美の巨人たち 宮川香山「渡蟹水盤」

2008-01-21 21:14:51 | 美術館
先週の「美の巨人たち」は、とてもおもしろかったです。宮川香山、「渡蟹水盤」。宮川香山も「渡蟹水盤」も、初めて耳にする名前でした。水盤に必死でしがみついている陶器の蟹の精密さとリアルさを見たとき、思わず「すごいなぁ!!」と叫んでいました。
 この蟹を作るには、自ら、土を選び、土をこね、土の性質を知り尽くし、乾燥速度が違う水盤と蟹の部分を調整し、焼き上がり後の形の変化を計算する必要があったそうです。
 宮川香山の作品は、伊藤若冲や浮世絵がそうであったように、海外で高い評価を得、たくさんの注文が寄せられたそうです。海外からの注文をこなすうちに、宮川香山のスタッフは50名をこえるまでになったそうですが、この時、宮川香山は、「技巧を極める」という課題と「50名の生活を支える」という、時には二律背反する課題に直面したそうです。宮川香山は、より簡素な陶器を考案することで、この問題を解決していくのですが、陶器でリアルな造形を作ることは、いったん断念します。番組で紹介された「渡蟹水盤」は、断念から30年後に、死に直面した香山が、最後に作り上げた作品だそうです。
 水盤にしがみつく香山の最後の蟹は、「技巧」と「生活」の間で苦闘し、それでもなお、技巧の極地に向けて飛躍したいと願う、宮川香山の姿そのももであるような気がしました。ぜひ、本物が見てみたいです。

ヴィクトリア アンド アルバート美術館所蔵 浮世絵名品展

2008-01-20 17:47:53 | 美術館
 今日は、神戸市立博物館で開かれている「ヴィクトリア アンド アルバート美術館所蔵 浮世絵名品展」に行ってきました。ヴィクトリア アンド アルバート美術館所蔵の浮世絵160点が展示されていたのですが、保存状態がとてもよくて、浮世絵の鮮やかな色づかいと、繊細で細やかな筆づかいがとてもよくわかりました。
 歌麿も春信も魚屋北渓もよかったけれど、やっぱり僕は、北斎と広重の浮世絵がすごいと思いました。
 遠景の富士と中景の大浪と近景の波。大浪の上を櫓だけで進んでいく船と船にしがみついている人たち。北斎の「神奈川沖浪裏」からは、私たちをとりまく世界の奥行きの深さと厳しさと、それと対峙しながら生きている人間の営為とがしっかりと伝わってきました。「凱風快晴」も「山下白雨」も、とてもいい絵でした。「凱風快晴」の、富士の赤と山裾の緑。青い空と白い鰯雲。この色づかいはすごかったし、緑の色と赤の色の微妙な変化を見ていると、風によって靄が少しずつ晴れていく富士の姿を感じるとることができたように思います。
 山裾での雷と黒い富士、頂上に行くにつれて晴れ渡っていく赤い富士。「山下白雨」この対比も素晴らしいと思いました。北斎のこの三つの浮世絵は、日本の美術館でも見たことがあるのですが、今まで見たものの中で、一番美しかったです。
 広重の、画面からはみ出した富士山も印象的だったし、輪郭線を用いないで色の濃淡で遠近を表現した手法も、すごいと思いました。浮世絵を見ていると、北斎も広重も、西洋の遠近法をよく知っていたのだと思いました。展示の最後のほうで、ゴッホの「夜のカフェテラス」の構図にそっくりな広重の絵が出てきて、色づかいも構図も光の表現も、たしかに浮世絵は、印象派の画家に影響を与えたのだと納得しながら会場を後にしました。ほんとうにおすすめの展覧会です。

Blindfaith

2008-01-19 23:56:17 | 音楽
NHK衛星第二放送で、「Blindfaith」のハイドパークでのコンサートを聴いてます。
  ERIC CLAPTON エリック・クラプトン/ギター
  STEVE WINWOOD スティーヴ・ウインウッド/キーボード、ヴォーカル
  GINGER BAKER ジンジャー・ベイカー/ドラムス
  RICK GRECH リック・グレッチ/ベース・ギター
すごいメンバーですね、たった一枚のレコードしか出さないで解散してしまったけれど。ただいま、CLAPTONの名作、「HAD TO CRY TODAY」の演奏中。この曲は、名曲です。しかし、CLAPTONは、とても控えめです。
 69年7月の演奏。69年といえば、東大の安田講堂の攻防戦も、プラハの春が終わったのもこの年だった。あれから39年。まさか世界が、こんな方向に変わるなんて、ぜんぜん思いもよらなかった・・・。

 

「捨てられるホワイトカラー」(バーバラ・エーレンライク著)

2008-01-19 16:24:47 | 
 今日は、バーバラ・エーレンライクの「捨てられるホワイトカラー」を読みました。前作の「ニッケルアンドダイムド」では、ウエイトレスやウォルマートの店員、清掃労働者として自ら働きながら、アメリカの不安定雇用労働者の実体をルポした筆者が、今回は、職を求めるホワイトカラーの労働者として、一年間の就職活動をすることを通して、アメリカのホワイトカラーが置かれている実体を明らかにしようとした本です。
 2005年に発行された本ですが、この本を読むと、ITバブルの崩壊以降、ホワイトカラーに対する過酷な人減らしと解雇が進展する中で、アメリカのホワイトカラー労働者が、精神的にも経済的にも非常に不安定な状況に置かれてきたことがよく分かります。それとともに、就職カウンセラーやネットワーキングと言われる就職活動情報交流会、エグゼクティブのために就職活動研修や宗教団体など、ホワイトカラーの不安を食い物に、金儲けをする組織が、いかに多いかに驚かされます。日本でも同じなのですが、労働者の不安に寄り添い、助け合わなければならない労働組合が、アメリカでは全く無力なのです。
 コーチを雇い、ネットワーキングに参加し、就職活動研修に参加し、6000ドルを投資して、筆者は一年間の就職活動を精一杯行うのですが、結局得た職は、机も事務所も保険もない、個人事業者としてのアフラックの保険外交員という仕事だけでした。筆者と同じ時期に失業し、ネットワークキング等で知り合ったホワイトカラーの人たちは、誰一人、企業に戻ることができず、生活の糧を得るために不安定な臨時雇用の職に就いていると言うことでした。
 失業した人たちが、「失業したのは社会や会社のせいではなく、すべてあなたの自己責任だ。敵はあなた自身の中にある」とカウンセラーになじられる場面や、失業後も朝早く起きて、ネットワーキングなどに「出勤」し、就職活動という仕事を夜遅くまでこなしている姿は、ほんとうに身につまされるものでした。
 中小企業の倒産は増え続け、「日本は経済の一流国ではなくなった。海外のやり方に学ばなければならない。もっと改革を」とさけぶ大臣の姿を見ていると、アメリカのホワイトカラーの現実は、日本の私たちの姿そのものであると思いました。
 筆者は、失業者に対するセーフティーネットとして、失業保険の期間を北欧のなみに延長することと、国民皆保険の制度を確立することを主張した上で、雇用の不安に怯えるホワイトカラー労働者が、決して一人で悩まず、ともに手をつなぎ、支え合っていくこと、このような失業と不安を生み出す企業と社会に、手を取り合って闘っていくことの必要性を主張してこの本を結んでいます。
 企業内にとじこもって、そこに働く労働者の雇用と生活の安定のみに自らの課題を置くのではなく(もちろんそれもとても大事ですが)、失業者の不安をネットワークしていく労働運動のあり方が、たしかに今、問われているのだと思いました。