今日の午前中、会議で、校区内にある津民小学校を訪問しました。
秋の空気とキンモクセイの香りが漂っていました。
鉄筋の校舎の造りではありますが、校門から歩いてグランドに入ると、なんとなく趣のある学校です。
今は、全校児童が5名しかいませんが、津民太鼓など、活躍が発信されています。
石で造られた校門に、板で「津民小学校」と書かれているところも風情があります。
相撲場もあります。土俵上には校章も入っています。
伝統行事となっている「津民相撲大会」が毎年開催されています。
グランドに入ると、なんと、二宮金次郎の像がありました。
おっ、いいね。
かつてはあたりまえのように、ほとんどの学校の校庭にこの像がありました。
今は、あまりそれを見かける機会はありません。
学校の風景も時代とともに変わってきています。
ところで、二宮金次郎ってどんな人か知っていますか。ネットから・・・。
『裕福な農家の長男として生まれました。
しかし、14才で父を、16才で母を亡くします。金次郎は祖父の家に身を寄せます。
金次郎は、きょうだいたちと一緒に暮らしたいという思いから、働きながらも勉強も続けていきます。
「百姓も知識や知恵を持たなければならない。」
と考えています。
いつかは、二宮家を再興すると心に誓い、苦しい生活ではあったけれども、薪を町へ売りに行く時には、薪を背負って歩きながら本を読んでいたと言われています。
そんな能力が開花し、多くの村などを立て直します。
56才の時には、天保の改革を行っていた幕府に登用されます。
二宮金次郎像が学校に置かれるようになったのは、自らの力で貧困から立ち直り、幕府のために活躍をするという功績を残したことを小学生のモデルにしたかった」
のもその一因となります。
戦時中は、金属を兵器に変えるために、銅像もその対象になりました。二宮金次郎の銅像も小学校から撤去されていきました。
さらに、現在は、歩いて本などを読むのは危険だと言う考えもあって、座って本を読む二宮金次郎像も出てきました。』
勤務先の弟や妹もいて、休み時間に会話もしました。また太鼓の演奏も聴かせてもらいました。
先生たちと素敵な学校を創っていっています。
日々努力、日々学び、日々チャレンジです。
たくさんの楽しい思いが背中に背負えるように、頑張りましょう。
秋の空気とキンモクセイの香りが漂っていました。
鉄筋の校舎の造りではありますが、校門から歩いてグランドに入ると、なんとなく趣のある学校です。
今は、全校児童が5名しかいませんが、津民太鼓など、活躍が発信されています。
石で造られた校門に、板で「津民小学校」と書かれているところも風情があります。
相撲場もあります。土俵上には校章も入っています。
伝統行事となっている「津民相撲大会」が毎年開催されています。
グランドに入ると、なんと、二宮金次郎の像がありました。
おっ、いいね。
かつてはあたりまえのように、ほとんどの学校の校庭にこの像がありました。
今は、あまりそれを見かける機会はありません。
学校の風景も時代とともに変わってきています。
ところで、二宮金次郎ってどんな人か知っていますか。ネットから・・・。
『裕福な農家の長男として生まれました。
しかし、14才で父を、16才で母を亡くします。金次郎は祖父の家に身を寄せます。
金次郎は、きょうだいたちと一緒に暮らしたいという思いから、働きながらも勉強も続けていきます。
「百姓も知識や知恵を持たなければならない。」
と考えています。
いつかは、二宮家を再興すると心に誓い、苦しい生活ではあったけれども、薪を町へ売りに行く時には、薪を背負って歩きながら本を読んでいたと言われています。
そんな能力が開花し、多くの村などを立て直します。
56才の時には、天保の改革を行っていた幕府に登用されます。
二宮金次郎像が学校に置かれるようになったのは、自らの力で貧困から立ち直り、幕府のために活躍をするという功績を残したことを小学生のモデルにしたかった」
のもその一因となります。
戦時中は、金属を兵器に変えるために、銅像もその対象になりました。二宮金次郎の銅像も小学校から撤去されていきました。
さらに、現在は、歩いて本などを読むのは危険だと言う考えもあって、座って本を読む二宮金次郎像も出てきました。』
勤務先の弟や妹もいて、休み時間に会話もしました。また太鼓の演奏も聴かせてもらいました。
先生たちと素敵な学校を創っていっています。
日々努力、日々学び、日々チャレンジです。
たくさんの楽しい思いが背中に背負えるように、頑張りましょう。