かったかくんのホームページ

日々感じたこと、心に残ったこと・・・綴っていきますね。よかったら、立ち寄って下さい。

オフコース「言葉にできない」

2009年02月26日 | Weblog
「えっ。」の言葉の抑揚で相手がどう感じるかの学習についての研究です。用事で家に帰ろうと思い、朝電話をかけました。

「今日、家に帰ろうと思う。」

と話しました。そのとき、

「えっ。」

という言葉。

 ①その「えっ。」が、「えっ。」で抑揚がないか、下がっている場合は、つまり、「えっ、なんで突然帰ってくるの。突然言われても困るわ。」とまあ、そんなふうな感じ。

②「えっ。」で、イントネーションがあがる場合、「えっ、帰ってくるの。まあうれしいわ。」という感じ。

同じ「えっ。」でもイントネーションによって、伝わる感情が違うし、相手の気持ちと立場を理解することができます。それがうれしい場合と、実に悲しい場合があります?!

 今日の朝の「えっ。」はどうだったでしょう。突然「帰るよ。」言われた家族。たいがいは、②なのですが、今日は、なんと、答えは、①でした。そこには、家族の用事が存在をしていました。
  職員室で、「今日帰ると言ったら、「えっ。」(もちろん①)でしたよ。」と言うと、
「そりゃ、そりゃ、すでに忘れられているんではないかな。」
「存在感がないかも。」
・ ・・・・・
とまあそんな言葉をかけられた朝でした。でもなんとなく納得したような気持ち?

 関係ないのですが、写真は、今日の朝の通勤途中の道路から見えた山並みです。霧がきれいでした。車を止めて見ていました。ちょっと雄大な景色に感動。なぐさめは、この眼前の美しい景色でした。


この景色は、間違いなく②の「えっ。」でしょう。♪ラララーラララーララ言葉にできない~♪

ぐっときた時間

2009年02月25日 | Weblog
今日の朝は突発的なしなければならないこともあって、あわただしく時間が過ぎていきました。1時間目が授業でしたが、かろうじて間に合うことができました。

 今日は、3年生の最後の授業。どんな授業にしようかなど迷っていました。パソコンに向かってしまうと、どうしても個人作業になってしまいます。最後ということを考えました。その結果、マルチメディアを通して、生徒たちに考えさせる授業をしました。生徒たちも真剣に考えていました。生徒たちに何かを与えられた授業だったかなと思います。

 終わったら、ちょっと寂しい気持ちになりました。ぐっとくるものがありましたがこらえました。

 相変わらずにぎやかな生徒たちです。でもそれぞれに個性があって、話すとさらに楽しい3年生です。最後にサプライズで色紙をいただきました。一人一人の顔を思い出しながら、職員室に戻って読みました。

◇ありがとうございました。いつもおこられていたけれど、どんなことに対しても情熱的でとてもたよりになりました。(D)
    ・まあ、よく、情熱的・・・とか言うことばをしっていることだ。でも情熱的=おこる?!ではないよね。
 ◇昼休み、野球などして楽しかったです。高校生になってもがんばります。  (Y)
    ・確かに楽しかったよ。こちらが楽しませてもらった感じ。
 ◇先生と遊んだ時間が楽しかったデス。わたしがいなくなってもメタボにはお気をつけ下さい。先生のウェストが細くなることを願っています!!(笑)(Y)
    ・最近確かにやばい。ズボンがきつくなっているのだあ。
 ◇いつも楽しくて、雨の日親が来るのが遅くなってもずっと一緒に待っていてくれておもしろい話をしてくれてうれしかったです。高校生になっても頑張ります。(A)
    ・涙がでるようなうれしい言葉・・・ありがとう
◇ バッティングセンターに連れて行ってくれてありがとう。今後ともごひいきに。(T)
    ・おう、そんなこともあったね。でもきみは確かにうまかった。

釜山への旅

2009年02月23日 | Weblog
旅行積み立てで、家族で釜山の旅に出かけました。ほとんどが社会・学生となっているので家族で・・・というと、本当にそろうのが大変です。


① 日程の調整をする。
② 突発的な事故が家族みんなにない。
③ 病気などをしない。

いろんな要素がすべてそろわないと行くことができません。それを見事クリアーして、家族初のプチ海外旅行に行きました。プチというのは、より近い外国ということです。


 ビートルに乗ってレッツラゴー!高速艇の旅です。わずか3時間の旅で、異国情緒のある釜山へ。ビルが多いのが特徴です。住宅が少ないのです。ほとんどの家族がマンションに住むそうです。車の数や車線が多く、割って入る車だらけで、釜山では日本人が運転するのは、容易なことではないでしょう。


 また、今回は偶然にウォン安でいろんな物を安く買えたり、食べたりすることができました。子どもたちは、カジノにいったようですが、ほとんどがグルメツアーとなりました。

 泊まったのが、西面のロッテホテルでした。ロッテホテルの近くには、屋台や市場がたくさんあります。散策すると、日本では味わうことのできない雰囲気に出合います。まずは、ちょっと南下して国際通りの方に行きました。子どもたちのショッピングツアーです。若者の街となっています。しかし、まだ昼食を食べていなかったのです。国際通りで着いてからビビンバを食べました。

 ビビンバの味は格別です。キムチなどがついてくるのがいいですね。腹ごしらえができてから買い物です。


 夜は、西面で焼き肉パーティを。散策をしながら、おいしそうな店を探しました。店に入ると、ほとんどが日本人でした。さすがウォン安。釜山、ソウルは人気のコースです。

 ふだんは肉を食べませんが、この日は満腹になるまで食べました。しかし、2つ課題が・・・?!自分たちで見つけましたが、実際は、ツアー会社の紹介してくれたところが量も多く、安かったようです。


 お土産は、ロッテホテルの地下街に行くと一番いいかな。しかし、最近は、釜山にアウトレッドの店がたくさんできているので、ウォン安のときは、そこをめがけて行くのもいいかも。

 なんとか旅行をすることができました。釜山の街も活気がありますが、外から見た日本のすばらしさも感じることができました。

交流ができました

2009年02月19日 | Weblog
 勤務先では総合学習の時間に「ふれあい学習」を行いました。
 
体にハンディキャップをもつ方が学校に訪問してくれました。その中で、生徒たちと交流を深めました。


[まわりの人に、いっぱい理解してもらってありふれた当たり前の生活をしたい。]



という願いを持っている方々です。4人来校してくれました。職員の方と一緒に来ていただきました。体育館でコンサートやトークショーなどを繰り広げてくれました。「コンドルは飛んでいく」などの演奏をしてくれました。こんな話を聞くことができました。

 
 狭間町から来ている方が、「お母さんの誕生日に、お母さんに会いたい。」という気持ちを持っていました。そこで、施設の方たちが、協力して実家に夕方遅く行ったそうです。玄関の前で、演奏の準備をして、お母さんを外に招きました。お母さんにとってはサプライズの帰省であり、サプライズの演奏会でした。お母さんが玄関を出るとわが子がいて、そして、心のこもった演奏会が開かれるのです。


 ハンディを持ちながら、人と人とのコミュニケーションを大切にし、目標に向かっていく様子をいろんな体験を通しての話をしてくれました。一つひとつの言葉が心に響いていきました。

 給食も一緒に食べました。生徒たちは優しく食べる介助をしていました。しかし、それは、してあげるという目線からではなくて、自然の行為であったと感じます。

4人の方たちは、

◇街であったときなど、にっこりわらってもらって話しかけてもらいたい。そして、「どうしましたか。」「どうしましょうか。」と困っているときは、ちょっと声をかけてもらえるとうれしいです。

◇私たちだけでなく、まわりをみて、困っている人がいたら、相手と自分の中で、心のスロープをかけてもらいたい。

と話をしてくれました。

 生徒たちは、この体験を通して、障害を持つ方に対してのたくさんの理解をしたと思います。車椅子も押している姿を見ました。来られた方にピアノの演奏を聴かせている生徒もいました。

 生徒たちは、これからの生活の中で、友だちにまわりの人に優しさをもって接して欲しいと願います。 

 施設の方は、言葉が明瞭でない人でも何をいいたいのかをはっきりと理解して、生徒たちに伝えてくれている姿に、ふだんの温かい関わりを感じ、感動をしました。

満腹・・・回転寿司店に

2009年02月19日 | Weblog
日田に来て、ほとんど夕食は、自分で作ります。生協の集配が生命線です。けっこう、小家族に便利のいい品物も多いです。週に一度ですが助かっています。野菜などは、家との行き帰りに道の駅など地産の野菜を売っているところがたくさんあるので、そこで買います。できるだけ野菜もたくさん食べるようには心がけています。料理することはあまり苦にはなりません。(でも;片付けるのは、ご飯を食べたら、ゆるりとするときだけに勇気と思い切りが必要となります。)

風呂あらい、手洗いの洗濯(洗濯機がない)帰ったあともがんばっています。


かったかくんのアパートの近くの単身赴任の先生と一緒に、夕食を食べに行くことになりました。新聞に入っていた広告に、回転寿司「スシロー」オープンとあったので、そこに行くことになりました。

 日田には、ここ何日かで回転寿司店が日田に2つできました。既存の回転寿司店とあわせるとかなりの店数になります。そんなに多くてだいじょうぶかなあって思うけれど、消費者にとっては開店記念で、全皿九〇円。魅力でした。ちょうど夕飯時だったこともあるのでしょう。行ってみると、すごい人でした。駐車場もいっぱい。そこは、現代的です。待ち時間なども表示されています。

おなかも減って順番が来たときは、その最高潮に来ていました。バナナダイエットも忘れて、皿を積み上げていきました。「よくそんなに食べれるね。」と一緒に来た先生。しかし、あとで皿を数えると同じでした。まったく。確かに人が多いということは、回転寿司の回転がいいので、ネタも新しいです。寿司以外でも、うどんやスィーツなどメニューも豊富でした。ちょっとは運動もしなくてはね。


 かっぱ寿司も九州で福岡の2店舗に続いて、3店舗目。大分県で初らしい。タッチパネルがあるとか。今日オープンです。さすが、2日続けては行けませんでした。


 帰りに既存の回転寿司の前を通ると、車が一台しか止まっていませんでした。インターネットに、


「全皿105円の回転ずし業界で売上高1位の「かっぱ寿司」(東証1部上場)と、2位の「スシロー」(同2部上場)が 2月中旬、そろって日田市に進出する。思わぬ“黒船来航”に既存の店は 迎え撃つ態勢だが、人口7万4000人の小さなパイを巡って激しい攻防は必至。街中のすし屋さんは困惑顔だ。」


という記事が。生き残り競争も大変みたいです。 

花粉症・・・その後

2009年02月18日 | Weblog
 おとといのテレビで、花粉症改善というようなテレビが放映されていました。
うーーん、しっかりと見ました。食いつくように。

①薬は・・・
②食べ物は・・・
③プチ手術

などいろんな角度からアプローチしていました。

番組が終わってから、早速、言っていた薬を子どもにも教えて、待ち合わせて薬店に買いに行きました。

「今、テレビであっていたんですが・・・。」

控えていた紙を取り出しながら、薬名を言いました。出してくれました。う~~ん、意外と高い。

しかし、備えあれば憂いなし。まだ使用するまではいきませんが、とにかく効くということ。食べ物は、これまた縁があって、ピロリくんと対戦をしてからというものずっと愛用しているものでした。だから、今年は、まだかかりがおそいのかな。これこそ、禍転じて福となすです。

 今までは、これほどまでにチャレンジしていなくて、相当ひどく苦しんでいましたが、ちょっとだけ今回は、抵抗してみようと思っています。

お別れ球技大会

2009年02月17日 | Weblog
雪が舞い散る一日でした。グランドにはうっすらと雪が積もりました。久しぶりに寒い一日となりました。冬が一気に戻ってきました。三寒四温です。

 その中で、今日は卒業式を前に3年生のお別れ球技大会が行われました。保体委員会の主催です。体育担当の先生が、

「先生たちもチームを作ります。」

とよびかけました。ということで、みんな張り切って?!体育館に行きました。寒い一日でしたが、体育館は生徒たちの熱気に満ちていました。昼休みから練習をしているチームもありました。体育館の中は、寒いということは感じませんでした。各学年、2~3チームを作っています。その中で、先生たちのチームも混じりました。


 前回の大会は、2年生が勝利をしました。今回は、3年生も最後ということだけあって張り切っています。体育館に歓声がこだましました。応援する声、ゲームでお互いに出し合っている声。にぎやかでした。先生たちもふだんは、体を動かす機会が少ないので、その分、気合が入っていました。しかし、体と心がミスマッチ。空回りすることもしばしば。


「サーブは入らなかったけれど、手にボールがあたっただけでもすごいですよ。」

審判「○○先生、胸がタッチネット。」
○○先生「やっぱりね。」

どういう意味?


「ジャンプしたけれど、足が浮かない。」

そんなチームでした。結局先生たちのチームは、1勝1敗1分でした。生徒も先生もみんなで楽しい時間を共有することができました。3年生も全員が夕方5時過ぎまで、学習をしています。その中でちょっとだけの気分転換もできた時間でした。


お別れ球技大会。これから卒業式に向けた取り組みがいろいろと始まります。これからの3年生の未来を期待する気持ちと、また別れの寂しさが混在するこの頃です。

心からお悔やみ申し上げます

2009年02月16日 | Weblog
昨日の夜、友だちからメールが入っていました。

「U先生が亡くなられた。」
という内容でした。

 U先生とは、本耶馬溪の小学校時代の教頭先生、そして、違う小学校時代では校長先生でした。2度同じ職場に勤めさせてもらいました。ショックなニュースでした。久しく会っていませんでしたが、本当に楽しく過ごした日々が懐かしく思い出されてきました。葬儀に参列させていただきました。

 最初の小学校では、ちょうど新しい校舎ができる年に一緒に赴任をしました。夏の暑い中、理科室の移転作業、校舎の移転作業と企画をしてくれました。グランドが使用できなくなり、半年間は校舎内での活動でした。でも校長先生をはじめ、みんながまとまって1年間を過ごすことができました。能登半島や由布院などいろんなところに旅行にも行きました。旅行先でいろんな逸話もできています。鮮明に覚えています。昼休みなども楽しい会話が弾みました。先生たちも生徒たちもきっとあの頃の学校が楽しいと思えるものであったと思います。

 あれから20年近くが経過しようとしているのですが、今でもそのときの先生たちのメンバーがちょくちょく集まって食事などをしています。突然の不幸だったので、仕事の関係で葬儀に参列できない人が多かったのですが、初盆にはみんなで行こうと話しています。


 次の小学校では、校長先生として赴任をしてきました。とにかく器用で、踏み板を作ったり、平均台を作ったり・・・子どもたちのためにいろんなものを製作していました。今もきっとその作品は学校に残っているものだと思います。ここも校舎建築がありました。完成する前に異動をされましたが、その礎をつくってくれました。野菜を持ってきてくれたり、本当に優しい先生でした。


 同じ時代に生きてきて、先生として頑張ってこられた方が亡くなるのは本当に寂しい限りです。


 葬儀で遺影を見ていると、そのまま飛び出してきそうな気がしました。柔和な顔の写真でした。葬儀の間、遺影を見つめていました。昨年は奥様を亡くされました。その悲しみが癒えないうちに先生までも旅立たれてしまいました。

 父が生前、「いろいろ教えておかないといけないものがたくさんある。」と言いながら、いつしか逝ってしまいました。先生からももっと教えてもらいたいものがありました。

 梅の花咲く、そして冬が過ぎ去ろうとする2月。U先生はみんなのもとから離れていきました。しかし、心の中では先生との思い出はしっかりと刻み込まれています。

 
 長い間ありがとうございました。

花粉症との闘い

2009年02月15日 | Weblog
 春らしい陽気な天気でした。写真のように裏の畑の梅の花も満開になっています。とてもきれいです。写真をとるために木を見上げると、めじろんくんが枝の間を飛び回っていました。いい鳴き声です。しかし・・・気になるのは、花粉症です。ちょっとずつぐずぐずしてきまじめました。まだ本格的な花粉症までは至っていませんが、花粉症が完璧に襲いかかってくるのもそう遠くない話でしょう。

 でもそれまでは、抗戦もしていきたいとがんばっています。薬店に行くと、花粉症コーナーにいろんな薬や対策用品が並んでいます。ちょっと立ち寄るのも最近のマイブーム?!です。

 何より災い転じて福となす・・・かな、インフルエンザの流行が花粉症対策となっています。勤務している学校は、インフルエンザ流行時には全員マスク着用でした。マスクをすることに違和感がなくなっています。車から校舎に、校舎から車への移動はマスク着用。それから、昼休み、生徒と外で野球をするときもマスク着用。「先生、かぜひいているの。」と一緒に野球をする生徒。「花粉症対策。」最近は、その姿になれたのかもう言わなくなりました。

 2枚重ねをしています。中は、毎日取り替えるお安いマスク。50枚くらい入っていて一箱300円台です。でもその値段でもワイヤーがついているものもあるので、チョイスするときは注意しています。外側はちょっと値段高めの効き目のありそうな?マスク。特に外で体を動かすときは鼻の穴の中に塗るクリームも使用しています。

 現状維持の末期状態です。目が最近かゆくなってきました。テレビのコマーシャルで、「プラノプロフェンを一般用アレルギー用目薬に日本で初めて配合した新一般用医薬品」という言葉。意味はわからず日本初という言葉につられてついつい目薬購入。さすが、ゴーグルまではかける勇気はありません。

 ここまでは善戦しています。しかし、そのチャレンジ精神むなしく最近、陥落しかけています。5月いっぱいくらいまでこの戦いは続きます。

大分県勢の活躍を

2009年02月15日 | Weblog
別府明豊高校は、秋の九州大会を激戦の末、ベスト4に入り春の第82回全国高校選抜野球大会に出場が決定をしました。大分県では、38年前の津久見高校に続いての2年連続の選抜出場。快挙です。さらに今回の選抜には上野丘高校も21世紀枠で出場を果たし大分県から2校が選ばれています。大分県勢の活躍を祈っています。

 明豊高校の激励会が行われました。1.2年生の選手がそろった中での激励会。選手たちの言葉などにも、緊張感があふれた昨年の激励会とはまた雰囲気が違い、昨年の悔しさから、経験を積み、さらに頼もしさ、たくましさを感じこの春の活躍を予感させられるような気がしました。スタッフも若返りを果たしています。コーチ陣もエネルギッシュな若手で固められています。甲子園に出ることから、今年は、甲子園で勝つ、甲子園で明豊高校の旋風を巻き起こす野球をきっとしてくれることでしょう。

 メンバーとにぎやかに記念撮影もしました。この明るさとまとまりを大切にして戦いに挑んでほしいと願います。

桜の花咲け

2009年02月14日 | Weblog
 今、入試戦線の真っ只中です。学校の子どもたちは、私立高校、高専、県立推薦など試験、合格・内定発表などが行われています。このあとも県立一次入試、二次入試と続いていきます。

 「合格しました。」と職員室にやってくる生徒。今まで努力してきただけに、喜びもひとしお。さらにそれが最終進路決定の生徒は、これで受験が終わるだけに笑顔もさらに輝き、声も上ずります。受験は、ほとんどの子どもたちが初めて経験する大きな壁です。自分の努力で自分の力でその壁を打ち破っていきます。

 かったかくんの子どもたちが大学を受験するときは、合格発表はインターネットです。たいがいの学校は、10時に発表になります。10時前からパソコンの前に座っています。受験番号を確認しておいて、そして、一〇時。子どもがアクセス先をクリック。受験番号がドーンと出ます。

「ない。」

記憶していた子どもの受験番号が。がっくり。これは、滑り止めの学校だったのに。親子共々ショックを隠しきれません。次の日は、本命の学校です。しかし、滑り止めの学校がだめだったということで浪人生活も現実味をおびてきました。

 次の日、ほとんどあきらめの胸中でした。家族みんながパソコンの前に。「奇跡でも・・・」と思い、一〇時を待っていました。一〇時になるのが遅いこと。いやに待ち時間が長いこと。アクセスしてもつながりません。それはそうでしょう。待ちくたびれて10時前にちょっとチャレンジ。一〇時です。「あった。」みんなで涙を流しながら抱き合って喜び合いました。パソコンの前で親子が抱き合って喜ぶ・・・まったく関係のない人が見たら、きっと妙な光景でしょう。

 今は、大学の合格掲示板や「桜咲く」というような電報で知るアナログの時代ではなくなっているのです。

 昨日、正看の国家試験を受ける教えた生徒に電話をしました。もうすぐ試験です。「がんばっているよ。でもプレッシャーを感じる。」という言葉。高校・大学だけでなく、この季節いろんな分野で試験が行われています。

 まだ受験をしていく人たちは、進路が決定するまで落ち着かない日々だと思います。でも合格を勝ち取るのは、誠実な努力と最後まであきらめない気持ちだと思います。関わってきたみんなに、いっぱいいっぱい声援を送ります。

師匠のところに

2009年02月12日 | Weblog
カメラのストロボを譲っていただけるというので、西谷の知り合いのところに行きました。その方は、自分にとっていろんな意味で師匠です。


 パソコンのことに関してかなり詳しい方です。中学校勤務になったときに、パソコンを使ったことがありませんでした。それで教えるというのですから、必死でした。そのとき、同じ学校の先生がいろいろ教えてくれました。

 また西谷の知り合いの方も、わからないときには、実に丁寧に教えてくれました。そんな人と巡り会えたのでなんとか切り抜けることができました。新しいソフトなどに関心をもつので、勉強になります。当時はまだそれほど使われていなかったプレゼンテーションソフトのパワーポイントも習いました。知らない人も多かったので、ちょっとだけ自慢でした。好奇心旺盛な方です。


 夕方の西谷に行きました。懐かしい山あいの田園風景でした。しかし、西谷に行く道は、以前よりいろんな箇所で広くなっています。すでに廃校になっていますが、小学校の校舎は残っています。子どもたちがいないだけで建物はあのときのままです。上にあがってカメラのことを話してくれました。ストロボの使い方も教えてくれました。いろいろと実に詳しく話をしてくれました。いつまでたっても野球にパソコンにカメラに・・・と師匠です。

 ストロボは、大切に使いたいと思います。まずは、卒業式にというところかな。

豆田が無電柱に

2009年02月11日 | Weblog
日田は江戸時代、天領でした。2回だけ大名の支配もあったそうですが、それ以外は江戸幕府の直轄地として賑わいをみせていました。代官、郡代が支配をしています。政治・経済の中心として栄えています。町人文化も栄えています。

位置的にいろんな地域と交流しやすい場所に存在をしていることを日田に来て感じます。豆田町は江戸時代の建物が存在をしています。藩が支配していた場所とは、残っている史跡などに違いがあります。

 その町並みを保存しようと、豆田町の無電柱工事が進められていました。そして今日、完成記念式典が行われました。豆田町から電柱が消えました。さらに趣のある通りとなっています。記念すべきこの日は、草野本家などすべての旧跡が無料で公開となりました。すごい人手でした。

そこは、無料ということをちゃっかりと利用して草野本家などいろんな場所を訪れました。初めて訪れる場所がほとんどでした。通りから見る風景も落ち着いていますが、中に入るとはるか昔にタイムスリップした感じがしました。作り、置物など歴史を感じさせました。広間、縁側、庭園・・・すべての旧跡に、昔の繁栄をしのばせます。日田の良さを再発見することができました。

また時期的に、どこに行ってもきれいなひな人形などが飾られていました。正式なひなまつりは2月15日から3月いっぱい行われます。3月1日は、城町の桂林荘公園で「豆田ながしびな」が行われます。ぜひ、時間のある方は行かれてみてください。10時から無料で紙のひな人形を配布しているそうです。


いろんな場所が無料公開だけあってたくさんの観光客が散策をしていました。
日田の近くでは、うきは市の吉井などでもひな祭りが行われています。
以前、豆田に行った感想を書きました。2回目になりますが、豆田の町でおしゃれな時間をもつことができました。

春の訪れを感じるとき

2009年02月11日 | Weblog
 2月も半ばを迎えようとしています。立春をすぎ、春の香りを感じることがあります。例年より春の訪れが早いと天気予報などで報道されています。

 梅の蕾がほころびはじめました。固い蕾だった梅が花をつけ始めました。梅の木の近くに行くと、いい香りが漂っています。「うめ祭り」という言葉もいろんな地域で聞かれるようになっています。正月に竹の中に入れた梅の枝の蕾も花が咲いています。

 夜明けが早くなりました。今まで学校に着いてもまだ暗かったです。しばらくして夜明けとなっていました。ラジオで言っていましたが、今の時期は一日1分夜明けが早くなっているそうです。最近学校に着くと、明るくなっていることに気づきます。日の出の様子がとてもきれいです。

 卒業式、入学式の言葉が聞かれるようになりました。昨日は、学校では、校区内の6年生とお家の方を呼んで、中学校入学説明会を開催しました。授業見学、説明会、部活見学と進めていきました。6年生も目を輝かせながら学校生活の様子を見ていました。一方中学3年生は、入試、卒業式の季節となりました。今、私立高校の合格発表、県立高校の推薦入試・・・卒業式の準備、確実に春が来ています。 

 先日、学校の連絡員の方がすいせんの花を持ってきていました。今、学校のいろんなところにすいせんの花が飾られています。とてもいい香りがします。

 昨日薬店に行きました。花粉症の薬がたくさん店頭に並べられていました。消臭剤などさくら的なものが置かれ、店内もさくらを意識したピンクの色合いの雰囲気にかえられていました。消臭剤を一つ買って部屋に置きました。ほんのりと春の匂いがしています。


 晴れた日に外に出ると、確実に太陽の暖かさを感じます。身を縮める冬の日の寒さとは違い、外に出たとき、気持ちの高まりを覚えます。今日も天気がよさそうです。花粉をちょっと気にしながら、陽気を感じたいと思います。

 写真は卒業のしおりの表紙を飾るために撮った写真です。

心優しい子どもたちの心

2009年02月10日 | Weblog
 勤務地は、学校から家庭まで地形的に距離は遠くなくても、急な坂道・薄暗い箇所などがあり、お家の方たちも下校などに心配するところがあります。それで、車で来る生徒もかなりいます。

 昔は、車で来なかった、子どもたちは甘えている・・・と言う人もいますが、少子化、そして不審者による事件などを考えたときに、時代が移り変わり仕方ないところが多いです。時代時代で物事を考える必要も否めないです。お家の方々の立ち場を思ったときに、ただ、昔は・・・ではすまないところがあります。


 部活が終わり、薄暗くなっています。お家の方の迎えを待つ生徒がいます。みんなが帰ってしまうまで、一緒に待っていることがあります。時には、30分、40分となるときもあります。基本的には、長く待つときは、待機しながら学習する部屋があります。しかし、予定の時間と来る時間が違う生徒もよくいます。その生徒は外で待つことになります。


 生徒と待ちながら、話をする中で、授業やふだんの学校生活では隠れている部分が見えることが多いです。それは、マイナスの部分ではなく、生徒の良さを感じることがほとんどです。今日もある生徒と待ちました。かなり待ったけれどなかなか来ません。

「きっと、お兄ちゃんを駅に迎えに行ってから来るんだ。」

どの辺りか公衆電話からお家の方に電話をかけました。いつもかったかくんをからかったりする元気な生徒も、「うん、わかった。」どういう内容をしゃべったかわかりませんが、遅くなったおかあさんを電話口で文句を言ったりしません。「優しいんだね。」と言うと、「おなかがすいているので、そのエネルギーがない。」・・・・。でもその言い方にもなんとなくほのかな温かさが感じられました。

 たいがいの生徒がそうです。それは、ふだんから、お家の方の頑張っている仕事ぶりや家庭での振る舞いを見ているからなのでしょう。それをきちっと生徒が理解をしています。先日は、違う生徒が最後の一人となりました。「お母さんは仕事があるから仕方ない。まあ、しばらく待つとしようか。」家庭がしっかりと基盤となって生徒たちを成長させています。


 将来の夢を語ってくれる生徒もいます。


 待っている時間の中に子どもたちの純粋な心に触れることが多いです。学校のちょっと向こう側の外の姿をのぞくことができます。

 肌寒い夕暮れ時に、あったかい話を聞くことができるのです。