かったかくんのホームページ

日々感じたこと、心に残ったこと・・・綴っていきますね。よかったら、立ち寄って下さい。

かっちゃんの野球教室

2010年04月29日 | Weblog
いろんな人との出会いがあります。そんな出会いの中で、とてもうれしいこともあります。今日は、顧問の先生がいないということで、部活に出ました。そんな中で、かつての教えた生徒のかっちゃんがきてくれました


夜になって、今日は、肌がひりひりします。今日は、部活の顧問の先生がいないということで、頼まれて、練習試合に出ました。陽射しが強い一日でした。


一人では心細かった?!ので、大学を出て今年地元に帰ってきた高柿かっちゃんに、かつて教えた一緒に出るように頼みました。かっちゃんもちょうど、今日は、時間があったようで快く引き受けてくれました。



試合は、一試合目は自分が、そして、二試合目は、かっちゃんが監督をしてくれました。中学校時代は、捕手として守りの要のかっちゃんでした。そして、高校でも野球を続け、主将としてチームを引っ張っていきました。そして、大学へ。月日の経つ早さを感じます。



大学を卒業してから地元に戻って来ました。野球が大好きなかっちゃんです。先週も「今日は、部活があるんですか。」と電話がかかってきました。こちらは、行くことができませんでしたが、かっちゃんは、後輩の指導をしてくれました。



そうやって、教えた生徒たちがまた学校に来てくれて、次の生徒たちに野球そして、生徒たちの在り方についてつないでくれることが何よりもうれしいことで、そして、頼もしく思います。



 練習が終わってから、やはり今日来てくれた卒業生のとしくんと3人で、やはり野球部の卒業生のひろみちゃんのいるうどんやに昼食を食べに行きました。



「先生、昨日初めて給料をもらいました。お世話になったので、今日はぼくがごちそうします。」



 思いがけない嬉しい心づかいのプレゼントでした。この間まで中学生であった思いをするのですが、すっかり社会人としてたくましく頑張っている話もご飯を食べながら聞かせてもらいました。生徒たちも今日は、かっちゃんの指導を受けながら、野球の技術そして、野球の取り組み方を学ぶことできました


たけのこのエピソード

2010年04月27日 | Weblog
初夏になっています。こいのぼりが泳いでいる家もあります。また、学校の校庭のつつじもきれいに咲き始めています。そんな中での旬のたけのこのエピソードです


初夏になっています。ゴールデンウィーク辺りに近づくと、イメージするのは、「たけのこ」です。幼い頃、この季節になると、建材店を営んでいた父や母から「山にたけのこを掘りに行って。」とよく頼まれていました。



友だちと遊びの約束をしていた時は、特につらい。一輪車にくわなどを積んで、歩いて山まで。姉たちと行くときはいいのですが、一人で行くときは、何本もたけのこを掘ったとき何度も上から下まで持っておりる作業をしなければなりません。


今考えると懐かしい思い出ですが、当時は、初夏のこのシーズンはうれしいようなそうでないような・・・という子ども心。


今は、なかなか仕事などがあって、たけのこを掘りにいけません。隣地の人からは、「たけのこがいっぱいできているよ。掘りに来た方がいいよ。」
と教えてくれます。



 でも最近は、それがわかっているのか、近所の方が何人か掘りに行ってくれます。
「たけのこ掘っていいかなあ。」
「どうぞ、どうぞ。」
でも、そこは、近所のつきあい?後から、
「あんたんところでとれたたけのこ。」
と言って料理して持ってきてくれます。感激です。ちょっとしたお互いのコミュニケーションになっているたけのこです。




 先日、裏の梅を植えている畑の草切りをしていたときに、
「めずらしいなあ。草を刈るなんて。」


「○○さんの梅ちぎりのために、刈っているんやら。」
毎年、「梅をもらうで。」とのりさん。後から、いろいろとお礼に野菜などを持ってきてくれます。「そうかえ、ちゃんとがんばって草を刈っておいてな。」


 これから、初夏、梅雨の時期での実りとなります。

久しぶりのグランド

2010年04月25日 | Weblog
久しぶりに生徒たちと野球を通して楽しむことができました。部活の担当の先生の異動の関係で2週間ほど部活の指導を行いました。学校の中とはまた違った生徒たちの姿を見ました



 勤務校の野球部の先生が大学の方に行きました。「新しく顧問の先生が決まって生徒たちの様子がわかるまで、部を見てくれませんか。」ということで、春休みから2週間近く、野球部を担当しました。


 短期間というのが難しいところがあります。前の先生のやり方があるので、わずかな時間の中でいっぺんに自分のペースに持って行くことも生徒はとまどうだろうし、次の先生へバトンタッチということも考えなければならないので、先のことを考えて部のまとまりを中心に指導をしていきました。



この中で、学校の中とはまた違った生徒たちの姿を見ることができました。しかし、生徒たちは真剣にがんばっていきました。


 特に、みんなが楽しく感じる部・・・ということを伝えました。例えば、
①準備や片付けはみんなでしよう
一部の人たちがするのではなくて、学年、そして部全体で考えて取り組もう。
休憩するときは、次の練習の準備をしてから、休憩に入ろう。

②時間を有効に使おう~時間の逆算をしよう~
練習が9時から行うときは、準備は何時からすればよいか考えて、取り組もう。

③部活でのあいさつを学校生活の中でも生かそう。

④道具を大切に使おう。
グローブやバットなどはきちんと並べて練習をしよう。




など、これから高校野球で頑張る生徒もいるでしょう。またこれからの野球以外のところでも生かされることを伝えました。わずかな期間だったので、完全にとまではいきませんでしたが、どこかで覚えていてくれたらと思います。


 全国大会予選は、残念ながら、一回戦で敗退をしましたが、技術的には、課題がはっきりしているだけに、これからうんとレベルが高くなれるチームであることを確証しました。



白球を追いかけてⅠ

2010年04月24日 | Weblog
 自分の体験から
 そして、また先日も書きましたが、ジャイアンツの木村選手の追悼試合から野球を通して、
いろんなことを感じることがありました。
   
 その2つをちょっとまとめてみますね


今日と明日は、野球の話を2つします。


今日は、グランドに倒れ、今月の7日に亡くなった読売ジャイアンツの木村選手の話です。


今日のジャイアンツの広島のゲームは、木村選手の追悼試合でした。ニュースで今日1日の木村選手のことが出ていました。試合前の「お別れ会」のこと。スポーツ報知の記事には、原監督の弔辞が掲載されていました。



『7日にくも膜下出血のため37歳の若さで亡くなった巨人・木村拓也内野守備走塁コーチの「お別れの会」が24日、都内のホテルで行われ、原監督が涙ながらに弔辞を読み上げた。

 指揮官は「木村拓也君、今日は君が一緒に戦ってきたジャイアンツのみんながお別れに来てます。若かった時に活躍したカープのみんなも集まっています」と遺影に向かって語り始めた。涙がほおを流れるのをぬぐうこともなく「君はすべての事に対して臆することなく、勇気を持って戦う姿勢を持っていました。君の元気な野球少年そのものだった。選手に必要とされる素直さ、朗らかさ、謙虚さを兼ね備える選手だった。その精神は私たちの心の中で、間違いなく脈打っています。一緒に戦うぞ。タクヤ、ありがとう」と唇をかみしめた。』



原監督の涙が木村選手の人柄を物語っています。



 試合も、長男の恒希くんが始球式。見事な投球で歓声が沸きました。映像を見ていると、木村選手にそっくりでした。父親の突然の死をどう受け止めているのでしょう。尊敬、悲しみ・・・まだ一ヶ月も経たないけれど、父親が立っていたグランドに立ちました。



 わずか10歳の恒希くんですが、堂々とした姿でした。お母さんのコメント。

「息子には『楽しんでらっしゃい』と始球式に送り出したのですが、主人の後ろ姿を見ているようで、涙が出てしまいました。私たちにとっては普通の夫であり、父でしたが、周囲の方々やファンの方のお心遣いに触れ、19年もの間、一生懸命、積み重ねてきた主人と、皆様の温かいお気持ちに恥じぬよう、家族みんなで生きていきたいと思っております。」



 家族の方々は、みんなが一緒になってきっと一生懸命に辛さを乗り越えようとしているのでしょう。




 試合も白熱しました。投手の西村選手は、立ち上がりから苦しいマウンド。しかし、ピンチの時は、肩につけられていた喪章を一生懸命にさわっていました。



 広島もジャイアンツも粘りの試合。しかし、ジャイアンツは、2対3のビハインドから、満塁のチャンスを作りました。そこで最後は、同じ年にジャイアンツにトレードで入団をした同期の谷選手。逆転満塁ホームラン。ドラマでした。高めのボールかもしれない球をダイナミックなフルスイングで左中間スタンドに持っていきました。



 そして、涙のヒーローインタビュー。ベンチ前では、恒希くんを抱きしめながら、語りかけました。



 恒希くんもこれから父親の熱い気持ちを本当に感じるときがやって来るでしょう。そして、父親の好きな言葉の「前を向いて」強く歩いていって欲しいです。


いとこのお米の研究

2010年04月23日 | Weblog
 姉からの電話で新潟にいるいとこが「テレビに出るよ。」という連絡。さっそく先週予約録画をして、いとこが出ている「アインシュタインの眼」という番組を見ました。米博士。米の研究では、日本でも有名な研究者。楽しく見ることができました



新潟に住んでいるいとこのけんちゃんが、テレビに出るということで、姉から連絡をもらいました。


「アインシュタインの眼」というNHKハイビジョンテレビでの番組でした。本当は、姉は、このメイン司会者が古田敦也さんだったので、見ていたのです。しかし、なんと、偶然にもゲストが研ちゃんだったというのです。


 ハイビジョン?とんでもない・・・こちらの田舎で映るはずがない・・・。調べてもらうと、BSでも後日放送されるということで楽しみにしていました。



 米のメカニズム、発育について、品種はもちろん、米のおいしい炊き方、保存の仕方などお米のことならなんでもOKという人です。けんちゃんは、「米博士」です。お米に関しては、日本の第一人者です。


 最近、一般の方にもわかりやすい「お米」についての本を出しています。以前は、筑波で研究者として活躍をしていましたが、今は、大学で研究をしながら教鞭をとっています。



 以前、本を送られてきた時に、単身赴任をしていたので、おいしいご飯の保存の仕方がとても参考になりました。そして、役立てることができました。



 テレビでは、お米を炊いている様子をMRIで映像として見せてくれながら、古田敦也さんと軽快なトークを繰り広げていました。おかげ直接お米についての話をしたことはありませんが、豊富な知識にびっくりしました。こちらも勉強になりました。でも生活に役立てられるかどうかは・・・。チャレンジしてみたいと思います。



 おばに電話をかけました。「見てくれたんですね。」と活躍をしていることをうれしく感じているようでした。写真は、テレビに出ている様子です。


幕末のドラマ

2010年04月22日 | Weblog
「龍馬伝」今、テレビドラマの話題作です。幕末には、いろんなドラマがあり、興味をわかせてくれます。
 現実には、多くの血が流れ、人が人を殺す時代でもありました。そんな中、明治という新しい時代を迎えていきます


 学生時代は、そんなに歴史に興味があったわけではありませんが、先生になってから、日本の歴史に興味を持ち始め、いろんな歴史的な場所を訪れたりもしています。



 小学校勤務時代、クラスの子どもたちと一緒に学習していった6年生の歴史。社会の時間にテレビで、教育テレビの番組を見ました。

 またテレビで放映されていた「まんが日本の歴史」を授業ごとに見ていきました。これがまたおもしろかったのです。歴史に興味を持つには、最高の番組でした。単元が終わるたびに見ます。しかし、途中で、なんと放送が中止されました。みんながっかり。



 クラスみんなでテレビ局に手紙を書きました。そのときは、「申し訳ありません。」という手紙と子どもたちにテレビ局のグッズをいただきました。


 しかし、まもなく手紙のかいがあって?再開されました。

 真田幸村や新撰組、坂本龍馬などの正月などに放映されたドラマも見ていきました。子どもたちは、歴史が大好きになっていきました。かったかくんは、特に、幕末のストーリーに興味を持ちました。それから、幕末の史跡をかなり見て回っています。



 そんなこんなで、今は、「龍馬伝」にはまっています。まちがいないなく「龍馬伝」の時間帯に電話がかかったら居留守?!です。



 で、今日は友だちから、日曜劇場「JIN~仁~」のDVDをいただきました。幕末通としては、大感激です。さっそく今晩からの最高の楽しみになりました。


幸せな笑顔の二人

2010年04月20日 | Weblog
中学校時代の同級生。長い春を超えてついに結婚。

とても幸せな笑顔いっぱいの披露宴でした



4月18日(日曜日)に福岡マリノア近くの結婚式場で、三光中学校時代、担当したUちゃんとHちゃんの結婚式そして、結婚披露宴が行われました。



二人にとって長い春を超えていきました。二人が高校1年生の時のことです。Uちゃんが夕方学校にやってきました。


「先生、Hちゃんとつきあうようになった。」
と、職員室に来て教えてくれました。Uちゃんは、高校に進学してからもサッカーを続けていました。


 休みの日などの夕方などに、二人がグランドで一緒にサッカーボールを蹴ったり、しんじくんがサッカーをしている姿をHちゃんが見つめている姿を何度か見たことがあり、それがとても印象に残っています。


Uちゃんは、小学校の頃からずっと、サッカーを続けていました。そして、中学校では、副将を務めました。みんなから好かれるそして信頼されていたUちゃんです。



一方、Hちゃんは中学校時代、吹奏楽部に所属をしていました。打楽器担当でした。コンクールなどに向けて頑張っていた姿が思い出されます。優しいUちゃんとHちゃんです。きっと幸せな家庭を築いていくことでしょう。




 昨日の結婚式では、パソコンが得意なHちゃんが手作りのものが多かったです。かわいいディズニーを基本としたカード等が準備されていました。三光中学校の同級生も駆けつけていました。遠くは、兵庫県からも戻ってきていました。



卒業生たちとの再会、そしていろんな演出もあり、楽しく時間を過ごすことができました。帰るときに結婚式の写真を近くの写真店でプリントアウトしてアルバムの贈り物にして、手渡しました。



 また心に残ったのは、Uちゃん、Hちゃん二人のきょうだいたちのきくばりです。一生懸命に写真を撮ったり、まわりの雰囲気を盛り上げたりしていました。


またUちゃんの高校生の弟と妹が連弾で、木村カエラの「バタフライ」のピアノ演奏。サプライズ演出だそうです。結婚式がさらになごやかになりました。突然の演奏にみんな静かに聴き入っていました。

 


 
 Uちゃん、Hちゃんともに、終始笑顔いっぱいの披露宴でした。こちらも幸せ気分をプレゼントしていただきました。



 幸せな二人の様子を写真で見て下さい。


天瀬の空から

2010年04月19日 | Weblog
 先日、ふと新聞を見ていると、五馬中学校の歓迎遠足の様子が掲載をされていました。
毎年、あまがせフラワーパークに歓迎遠足に行きます。

 「自分で考える日」が月に一度あります。この日は、自分で考えて掃除する場所を考えたり、ノーチャイムで行動をします。また「自分で考える日」の取り組みで年に二度、服装も自分で考えて、コーディネートしてくる日もあります。この歓迎遠足の日がその二度のうちの一回です。

 生徒たちもフラワーパークに行くのを楽しみにしています。現地では、花の種を袋に詰めて、風船で飛ばします。何となく夢があります。熊谷さんという方がいろいろお世話をして下さっています。五馬中学校の伝統行事です。花の種が飛んできたと連絡があります。天瀬から飛んでいった種がそこでまた花を咲かせるなんていいですよね。

 新聞記事を読みながら懐かしく感じました。

ちょっと立ち止まって

2010年04月18日 | Weblog
 ふだんの生活の中で、何気なく過ぎていくこともちょっと立ち止まってみると心が温かくなることも多いです。先日、100年の時計のことが土曜日のある新聞に掲載されました。


修理をしていただいた時計も、快調に動いて、しっかりと歴史を刻んでいます。「一週間に一度だけ、ぜんまいを巻くことを忘れないように。」と注意を受けています。



 ボーン、ボーンという時報の音が、遠い昔を思い出させてくれます。このことが、ある新聞に掲載をされました。編集部の方とメールでやりとりをして、文章を少し校正してもらっています。やりとりの中で、文章の書き方を教えてもらえます。とても参考になります。



 時計の復活。感謝の気持ちでいっぱいです。


 できる限り、人との関わり、自然美しさ、人の気持ちの心遣い・・・いろんなものを感じながら、感謝をしながらこれからも、歩んでいきたいですね。


みんな笑顔

2010年04月16日 | Weblog
 勤務先の学校では、一年生も次第に学校生活に慣れてきています。授業も始まりました。
 すでに部活動に参加をしている生徒も。そして今日は、八面山に歓迎遠足に行きました。



 快晴とまでは行かなかったのですが、雨の心配もなく、中学校、恒例の歓迎遠足が行われました。


 この日の遠足のために、生徒会執行部は、放課後遅くまで、企画、準備をしてくれました。その姿を見てきて、本当に頼もしく感じました。そのために、今日は、ほとんど先生たちの力を借りずに、現地では、生徒会執行部の進行の中で、みんなが楽しく過ごすことができました。


 そのことは、参加をした生徒たちはしっかりと感じたことでしょう。
場所は八面山野外音楽堂。そこまで歩いていきます。道のりは、4キロほど。少し汗ばむ程度でたどりつきます。



 菜の花が咲く中、会話を弾ませながら、音楽堂へ。このように学校を出て全校生徒で活動する行事は、歓迎遠足だけです。それだけにみんなの気持ちもうきうきです。



1時間ほどで到着。すぐに全校レクリエーションです。しっぽ取りゲームなどで交流をしていきました。芝生なので、思いっきり走ったり、転げたり、芝生に寝ころんだりと生徒たちは、体をうんと動かしました。



 いっぱいいっぱいの素敵な笑顔をみせてもらいました。次に縦割り班ごとの自己紹介、班ごとのゲームを楽しみました。ここは、3年生がしっかりとリードしてくれました。生徒の一体感を感じました。3年生がうんと頼もしく感じました。



 音楽堂についてこの間、1時間30分。生徒たちは、本当に楽しかったのでしょう。ほとんどの生徒が芝生をずっと走り回っていました。「やっぱり生徒たちは、元気がいいよね。今日の部活は疲れでできるんかなあ。」とその元気良さにびっくりしていました。


 良い雰囲気でした。昼食をとったあとは、クイズを含めたゲーム。これもまた斜面を全力疾走していきます。


 だんだんと学校行事が減ってきています。そんな中で、実施される行事を充実させていきたいものです。友だちを思いやるとか、友だちと友だちと関わり合うというのは、心を解放させてくれるこのような遊びが一番であると思います。



 ゲーム機などで時間を保てる時代になっています。そのために人と関わり合いにくい生徒が増加しているのも事実です。ときどきは、学校で地域でみんなが人を大切にできる、心に暖かい空気が流れる時間を創っていくことは、今だからこそ大事ですよね。



 笑顔の生徒の写真を掲載します。三光中学校のホームページでも今日の様子を載せています。

姉の手づくり新聞

2010年04月15日 | Weblog
春が過ぎていくのを感じます。校庭の桜の花が散るとともに、つつじの花のつぼみがほころびかけています。

すでに咲いている場所もあります。春からそして春へと季節は移り変わってきています。


春、そして初夏へと季節は移り変わっています。今日の新聞を見ていると、今までは、花見の場所の記事がたくさん出ていましたが、今日の新聞には、各地の藤の花の祭りのポイントの記事が出ていました。見ていると、いろんなところに藤のきれいなところがあるんですね。



しかし、新年度がスタートして、今は、たくさんの書類と格闘をしています。4月になってから、相当な書類を作成をしています。4月だけは、関わりから部活にも出ているので、その分、仕事は、終わってからしなければならないので、帰るのも遅くなります。




でも生活は、充実しているような気がします。そんな中で、先日、関西にいる姉から、手紙が届きました。封筒を開けると、姉が作った手書きの家族新聞が入っていました。姉の独特の字で綴られています。温かみのある新聞です。姉の家族のことをはじめ、今は亡き父の言葉などを書き込んでいます。ゆっくりと読みました。



あわただしい中ですが、読んでいるとほっとするようなそんな新聞でした。



姉が結婚してから、ときどき発行をして、父や母、きょうだい、親せきに送っていました。父や母たちも姉からの新聞を楽しみにしていました。いろんな人の近況も掲載をしているので、姉の新聞からたくさんの人の様子を知ることができます。これからも、発行を楽しみにしています。



愛読者だった父の仏壇の前にもコピーをしておこうと思ったら、すでに連れ合いが置いてくれていました。



今月は、県南に住んでいる姉が大分合同新聞社から、父のこともイメージしながら、絵本を発行しています。「うすもも色のランドセル」という本です。今忘れかけているような感性を呼び起こしてくれます。イラストレーターの方も本当にかわいい、きれいな絵を描いています。絵本が好きな方は、是非おすすめの本です。もし希望する人がいましたら、プレゼントします。連絡下さいね。


 
姉たちの優しい言葉から学ぶことが多いです。

新入生との出会い

2010年04月13日 | Weblog
 入学式が行われました。勤務先の中学校では54名の生徒が入学をしてきました。

 今まで、2・3年生で生活をしてきただけに54名の生徒が入学してくると、学校もさらに活気がでてきました。これからの1年生の活躍を期待しています


 54名の生徒が中学校に入学をしてきました。入学式が始まる前に教室に行ってみました。ちょっとした緊張感。静かに先生の話を聞いていました。その中に、フレッシュなものが見えました。



 自分の中学校の入学式のこと。今は、全校で100人くらいになっています。しかし、そのときは、過疎地とはいえ、一学年に200人いました。全校生徒が600人です。今日、ある方が言っていました。人数は忘れましたが、統計で見ると、市と郡が合併をしてから、かなりの人数の方が旧市に住居を移したということです。


 一気に生徒数が激減をしています。



 当時は、通学手段は、耶馬溪鉄道でした。中学行くために、列車に乗るのがとても楽しみでした。列車に揺られながら、中学校へ。早速、入学式の日には、列車で学校に行きました。学生カバン、学生帽、学生服・・・そして、列車通学。ちょっとだけ大人になったようなそんな気分でした。



 でも、中学校にはいやなこともありました。時代は、規則で頭髪は丸坊主ということでした。みんな中学校に入るときに、小学校時代では伸ばしていた頭髪を刈ります。母が、伸びていた毛を坊主にしてくれました。でも・・・。バリカンで刈ってくれました。そのあとに、カミソリで、きわをそってくれたまではOK!


 しかし、なんと額のところを見事に丸曲線に剃ってしまったのです。



 会う人から、「その丸さは、どうしたん。」と心配されました?!額を隠しながらの生活。心配するだけ、伸びるのが遅く感じられました。でも今ではいい思い出かなあ。



 昨日入学した生徒も、いろんなところで、この日おこったいろんなことが、思い出になってくるでしょう。今の新しい気持ちを大切にしながら、中学校でもたくさんの経験を積んで、大きく成長をして欲しいと感じます。



子どもたちのエネルギー満開

2010年04月11日 | Weblog
 4月8日(木曜日)は、一学期の始業式でした。
 春休みは、部活に来る生徒たちは、いっぱいいましたが、でもなんとなく、学校に、にぎわいを感じることができませんでした。しかし、ついに新学期。学校に生徒たちににぎやか
な声が響き始めました。桜の花は満開を過ぎましたが、学校は、生徒たちのエネルギーが満開となりました。



 新学期がスタートしました。春休みまで静かだった校舎に活気が出てきました。生徒たちの元気のいい声が響いてきました。


 一年のスタートです。この日は、欠席者も0でのスタート。本当に久しぶりのことです。
 生徒たちは、まず、担任が誰なのかが気になります。ちょこちょこ職員室を訪れては、様子を探ります。机の位置などを確認?!
「あんたたち、用事もないのに、職員室にこないの。」
と注意を受ける姿も何となくほのぼのとしています。



 始業式では、新しい先生たちの紹介などがありました。



 校長先生たちのあいさつなどが終わると、いよいよ、担任の発表。しかし、教室に戻ってから、紙にクラス名簿が発表されています。担任が発表されても、自分がはっきりどの先生なのかはわかりません。しかし、学年2クラスなので、間違いなく担任2人のうちのどちらかです。サプライズ学年もあったので、発表の時は、いろいろわき上がりました。



 教室も変わり、クラスメートも変わり、そんな中で、また一年のドラマを生徒たちは創っていきます。熱く感動すること、一人では心細くなるような悲しいこと、ぼろぼろになりそうになるくらいつらいこと・・・いろんなことを受け止めていくことが生徒たちの成長につながっていきます。それが生徒たちにとって生きていく長い道のりの中でのエネルギーになっていきます。



 この一年間、生徒にエールを送りながら生徒とともに歩んでいきたいです。


かったかくん流学級経営論・学力論⑪

2010年04月11日 | Weblog
「わたしの学習」「課題学習」を自主学習に入れる


 わたしは、家庭学習の自主学習に「わたしの学習」「課題学習」の2つを必ずするということを取り入れてきました。


「課題学習」は「何を勉強したらいいかわからない」子どもに、こんな勉強の仕方があるんだよという支援です。中学校に入学して、いきなり自主学習を家庭学習でしてくるといってもどんな学習をしたらいいのかわからない生徒が大部分だと思います。自分で見つけて勉強をしてくることは、とても難しいことなのです。



 家庭学習を充実させるためには、まず勉強法を知らせなければなりません。そのために、その布石として自主学習の中に課題学習を取り入れるのです。そうすれば、受験期を迎えたときに、学習法も身につけていることになります。
例えば、
・漢字のドリルノートのP18を覚えるまで書いてくる
・社会のドリルの解説をていねいに写してくる
・計算ドリルのP20を取り組んでくる
・理科のプリントを取り組んでくる
などを指定します。



課題学習の内容を少し説明をします。知識が足りない子どもがドリルだけをしても効果が薄いし、知識がないのに、問題はとけません。だから、解説(まとめ)を写す・・・問題を解くこの繰り返しを行います。知識を持たせるトレーニングとドリル学習を交互にしていきます。



また課題学習では、みんなが同じ課題をしてきているので、教えあいができます。次の日の帰りの会の中の10~15分間、「なるほどコーナー」を持ちます。


あまり長い時間をとると、部活動の先生から、「あのクラスは部活に出てくるのが遅い。」と苦情が出てきます。
「知識を持たせるトレーニング」の次の日には、班の中でお互いに問題を出し合います。時には、班対抗クイズ大会と銘打って先生が、課題の中から問題を出してもいいと思います。




「ドリル学習」の次の日には、わからなかったところを班の中で、お互いに聞き合います。教えあいます。理解できた生徒は、まだ理解できていない生徒に教えます。これで理解できる生徒をどんどんと増やしていきます。



友だちが理解できるように教える・・・確実に自分が理解できていないと教えることができません。


ここで先生の何人かは言います。
「わからない生徒が恥ずかしい思いをするではないか。」
そんな先生は、そういうことを言いつつ、なにも対策を講じないのです。


だから、そこでふだんからの学級づくり、集団づくりが問題となってくるのです。間違ったところを恥ずかしいと思わすような、授業中に間違った生徒を嘲笑するような経営をしてはいけないのです。聞く方も自然に聞くことができるし、教える方もていねいに教えられるような学級でなければならないのです。



「わからない生徒が恥ずかしい思いをするではないか。」
一理あるようですが、実は、学級経営ができていないのかも知れません。



 授業時間の確保と同時に集団づくりがしっかりしていなければ、学力はつきません。「今年の生徒はできが悪い。」で一年間が終わってしまいます。「間違ったところが分かることで成績はあがるんだ」「わかりやすく友だちに教えることができたとしたら、確実にあなたは理解できているよ」ということを徹底して子どもに教えます。


クラスの雰囲気が大切です。ここで、学力の最低のラインが上昇します。わからない子ども、一人ひとりに先生一人が教えることは、どう考えても不可能です。クラス全員で取り組めば、可能となります。



「クラス全員の学力をつける」要素がここにもあるのです。先生である以上、このテクニックを身につけることは重要です。この取り組みをするためには、わからない、間違ったからといって、叱ってはいけません。そこで、この取り組みは、ストップしてしまいます。




 常に学年通信や学級通信に「間違いは成績をあげるための宝だ。」と伝えています。

クリームを使ったのは僕ですか?

2010年04月08日 | Weblog
 若葉がめだつような場所も出てきています。春から初夏へと少しずつ季節は移り変わっていきます。外に出ると、紫外線も強くなってきています。
 外でスポーツをするときは、日焼け止めクリームも必要ですね。そんな中で、今日は、こんなこともありました



 日中は暑くなってきています。学校の環境整備の方は、最初は、よかったけれど、学校の敷地は広く草を刈るのも大変だね・・・という言葉。暑さを体で感じる季節となっています。
 


 ところで、今日学校に行くと、サッカー部担当になった先生が、カバンから、日焼け止めクリームを出していました。「やっぱ、これからは、これが必要だね。」何か、自慢げ。続けざまに、「これって、もらったんだよね。」
・・・・確かに入れ物もご立派。資生堂で間違いなく高いお値段だ。



「だれから、もらったんですか。」と聞くと、
「そりゃいえねえ。しかたねえ、くれるんだから。」くそお。「自分のは、前、三光中学校にいたときに買ったんだけど。」




 放課後、部活を見に行くときに、サッカー部の先生はすでに部活に行っていませんでした。前の席の先生に、「あのクリームは、どこだったかなあ。」と聞くと、「そこの引き出しだったかも。」あった、あった。



 自称「毒舌キャラです。」のサッカー部の先生の前の席の先生は、
「どのくらい使っても、お年を召されているので、わからないですよ。」うーーん、毒舌先生もよく言うよね。



 ドピュッ、ドピュッと勢いよく多めにクリームが出てきました。しっかりと塗り込みました。さすが、塗り心地もいいです。



 野球のところに行く前に、折角だから、ちょっとサッカー部のところに立ち寄りました。
「よく効く日焼け止めクリームを塗って出てきたんですよ。」
と先生に言うと、
「そうか、あんたもクリームを買ったかえ。」「うん、まあ。」



「あっ、今日は、出てくるときに、日焼け止めクリームを塗ってくるのを忘れた。」と先生。


今日は、使用していないのか。あなたが使用しない分、しっかり私が使ってあげている。



「引き出しに入れているやつですよね。においもいいですよね。」
「まさか、先生、俺のを使ってるんじゃないかあ。まったく。」



 まあ、スポーツマンシップで、敵に塩を送るということで。「そのクリームを使ったのは、僕ですか。」「か」はいらない。