かったかくんのホームページ

日々感じたこと、心に残ったこと・・・綴っていきますね。よかったら、立ち寄って下さい。

思い出の場所での結婚式

2010年10月31日 | Weblog
昨日、教えた生徒の結婚式に森の風に行きました。とてもきれいな花嫁さんでした。友だちもたくさんかけつけていました。幸せそうな姿を見てとてもうれしくこちらも幸せを分けてもらえたような気がしました

 
 昨日は、教えた生徒の結婚式。小学校時代の友だちも駆けつけていました。受付ももちろん小学校時代の友だちが頑張っていました。懐かしく感じました。みんなが今でもとても仲良く接しています。家族と同じような感覚です。


 ビデオを撮れるところだけ少し撮ってということで、花嫁さんの記念の姿も撮りました。


 あの当時のみんながそれぞれにドラマをもって過ごしてきています。みんながみんなを今でも大切にしています。また花嫁さんのそしてお父さんたちの温かさにふだんから接しています。生き方の中で、みんなが花嫁さんの幸せをとてもうれしく思っています。


 前日、思い出をたどりながら新聞を創る中でジーンと来るものがたくさんありました。もちろん友だちたちもそう感じています。綺麗な姿を見ているだけで、感動で涙をふいています。



 静粛な結婚式とにぎわった披露宴でした。ビデオを撮っていたので、いい位置から二人を見ることができました。ちょっとした仕草の中に、花婿さんの優しさ、花嫁さんの周囲の方への気遣いを見ることができました。また親戚の方の喜びをたくさんうかがうことができました。新郎新婦のたくさんの素敵な笑顔を見ました。
 今日は、家の方に映像をDVDに編集して持って行きました。


 結婚式場は、もとみかん畑でした。担任をしていたときに、秋の遠足で行った場所です。袋にたくさんみかんを詰めて持って帰っていました。その思い出の場所での結婚式。


 あの頃と同じ気持ちのいい秋風が吹いていました。

「福沢諭吉」を学ぶ

2010年10月30日 | Weblog
NHK大河ドラマ「龍馬伝」で幕末を疾風の如く駆けてきた坂本龍馬の、生き方を見てきました。ドラマも終わりに近づいています。今月末には、龍馬を狙った「近江屋事件」のシーンがあります


 時代を変えた人たち。坂本龍馬は、薩長同盟、船中八策、大政奉還などに行動力で、幕末を動いていきました。そんな中、同じ、幕末に活躍をした人がいます。中津藩の「福沢諭吉」です。1万円札の顔になっていますが、龍馬の動きとは違って、学問を通して、世の中を変えていこうとしました。



 先日、学校では、大分県先哲資料館の村上先生をお呼びして、先哲学習会を開催しました。


 生徒に授業の時に、「福沢諭吉って何をした人?」「福沢旧邸にいったことがある人?」と言っても、「先生、よくわからん。」と言う声。名前は知っていても、どんなことをした人、中津とどういう関係があるのかということを知っている生徒は、ほとんどいませんでした。そんな中で、村上先生は、生徒にもわかりやすく福沢諭吉について、中津と絡めながら話をしてくれました。



 身分制度に反発して、1歳から19歳まで過ごした中津を離れます。「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言う言葉は、有名です。この言葉も生徒たちは、聞いたことがあるでしょう。しかし、史料をみると、『「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」といいますが・・・そのためには、学問を身につけなければならない。』有名な人間平等宣言はそういう意味だそうです。村上先生がていねいに説明をしてくれました。


 坂本龍馬より一つ年上ということ。龍馬の華々しい生き方とは違って、地味な面が多いのですが、新しい世の中のしくみを創っていった先哲です。



 昨日、生徒たちの朝読書の様子を見に行ったときに、2年生の生徒が「福翁自伝」を読んでいた生徒がいました。すごい。ちょっとしたきっかけでふるさとの先人たちのことにも興味をもてるというのは、うれしいですね。



 講話が終わって先生に、福沢諭吉と坂本龍馬の接点を聞いてみました。「ほとんどないのですが、三菱とのつながりはあります。」と説明をしてくれました。福沢諭吉の弟子が、三菱の番頭であったそうです。だから、岩崎弥太郎と諭吉とのつながりは、あったと想像されると興味がわくように話をしてくれました。


 先日、JRに乗ったときに、JRの雑誌「プリーズ」を見ました。その中に、福沢諭吉特集がありました。「明治27年、諭吉は、耶馬溪にも息子2人を連れて観光に来ています。その美しさに感動を覚えている。」という文章を目にしました。


 故郷の先哲にもちょっと、目を向けて見るのも勉強になりますし、楽しいですよね。

思い出を辿りながら

2010年10月29日 | Weblog
明日は、樋田小学校時代に教えた生徒の結婚式です。楽しみにしています。結婚式の新聞を作るために、倉庫からアルバムを持ってきました。いろんな思い出がよみがえってきます

 
明日は、樋田小学校勤務時代の教えた生徒の結婚式です。結婚式用の新聞を創るために倉庫からアルバムや当時の学級通信などを持ってきました。見ていると、その生徒のことはもちろんのこと、当時のいろんな思い出がよみがえってきました。楽しいドラマがたくさんあります。



 そのクラスを担任したとき、樋田小学校の校舎が改築工事にはいりました。木造校舎を壊して、新しい校舎を建設しました。春に運動会。それからが大変です。すぐに校舎の建設にはいりました。グランドが使えなくなりました。木造校舎で過ごすことはできたのですが、教室の窓の2~3メートルのところに、校舎が建ち始めました。


 教室も暗く、遊ぶところは、体育館か教室。しかし、そんな中で、みんなが楽しくいろんな思い出を創っていきました。クラス劇、いろんな百人一首大会への参加、お楽しみ会、校舎落成式、グランドが使えないので、田んぼをかしてくれて遊んだこと、5年生で、卒業式を創りあげたこと、いろんなところにみんなで遊びに行ったこと・・・今でも忘れることのできない思い出がたくさんあります。


 また、あの頃のみんなと卒業してからずっと、今でも縁が持てていることが、とてもうれしく思います。


 今度は、自分の方がいろいろとみんなに世話をしてもらっていることもたくさんあります。

「立場が逆になったね。」と話すことが多いです。


自分にとっても当時の思い出とクラスの子どもたちが大切な宝物です。


明日の結婚式が楽しみです。


写真は、木造校舎が壊される前にみんなでとった思い出の一枚です。

中津市駅伝競技大会開催

2010年10月28日 | Weblog
一昨日は寒い一日でした。コートを着ていてもおかしくない、着ないといることができないような寒さでした。そんな中で、中津市駅伝大会が行われました


 三光中学校周辺周回コースで、中津市駅伝競技大会が開催されました。今年は、ほとんどの中学校が参加をしていました。三光中学校からも男子・女子それぞれ1チームが参加をしました。


 夏の炎天下の時から練習を重ねてきていました。三光中学校は、お家の方の木村さんを中心として、渡辺さんがずっと指導をしてくれていました。その様子をときどき見てきました。野球とはまた違った駅伝の競技特性があります。指導する言葉や指導内容がまた勉強になります。練習内容もかなりハードな部分が多いので、生徒たちも苦しさを乗り越えていく力強さも必要となります。



 出場した生徒たちは、この日は、練習した成果を出すために、自分の割り当てられた区間、そして、レースに出ることのできなかった生徒は、選手のアシストをしていました。とにかく全員でのぞむレースです。選手も補員も一緒になってたすきをつないでいきました。
 陸上部がないために、どうしても自分の部活やクラブチームとの掛け持ちのなかでの駅伝。なかなか練習も思うようにできませんでした。しかし、指導される方が考えてくれた効率のよい練習で、試合にのぞみました。



 女子は、3年生がいないために、市や県の新人戦があり、まとまった練習ができていませんでした。その中で、2年生を中心に走り抜きました。結果は5位でしたが、5区間でのレースでしたが、チーム5人という補員もいないぎりぎりの中でがんばりました。



 男子は、予想通りの試合展開。今津中学校を三光中学校が追いかける形となりました。1区でよしきくんが今津に食らいつき、2位でしたが、大きく差をつけられずに2区にたすきを渡しました。その気迫が伝わったのか、みんながしっかりと粘りの走りでたすきをつなぎました。最終区のはやたくんは、区間賞をとりました。2位でしたが、昨年に続いて中津市第2代表として11月の県大会への出場権を得ました。


 苦しい練習の中で、葛藤もありながら、生徒同士励まし合い2ヶ月間頑張り抜いてきました。何もしなければ何も生まれることもありませんが、生徒たちは、いろんなことにチャレンジしながら心も体も強くなっています。

思い出の宝をありがとう☆

2010年10月25日 | Weblog
子どもの結婚式の写真やビデオが、子どものいとこたちから続々と送られてきています。いろいろとみんな一生懸命に撮影をしてくれていました。思い出が映像となって宝物になっています

 
 結婚式が終わりました。またいつもの生活に戻っていますが、おいやめいたちからそのとき撮影をした写真やビデオなどが送られてきています。感謝の気持ちでいっぱいです。忙しい中、こうしてしてまとめてくれたことがとてもうれしく思います。そのときのことを思い出すことができます。


 みんないいショットを撮ってくれています。どちらかというと、今まで撮る側だったのですが、逆の立場です。


 データで送られてきています。必要な写真をこれから焼き増ししていきたいですね。


 データでもらえると、今は、デジタルブックなどにしていろんなまとめ方をすることができます。少しずつ、まとめていきたいと思っています。ブログを通してありがとう。

西谷温泉公園でのひととき

2010年10月24日 | Weblog
先日、西谷温泉公園に行きました。きょうだい家族と宿泊をしました。時間の関係で、ゆっくりとまでは
いきませんでしたがゆっくりとまでは行きませんでしたが、楽しく過ごすことができました


 きょうだいたちが集まることがあり、夜は、西谷温泉公園のログハウスに泊まりました。西谷は第2のふるさとです。以前20歳代のときに、西谷小学校に勤務していました。20歳代のうちの6年間ですから、青春時代の半分以上は、西谷で過ごしたわけです。いろんな楽しい思い出やたくさんのすばらしい人たちに巡りました。今でも交流を続けているお家の方や子どもたちがたくさんいます。



 西谷には、温泉があります。勤務していたときには、向尾(むふう)というところにありましたが、そこがなくなり、樅木というところにうつりました。よく生徒たちと入りに行っていました。



 しばらくしてから、西谷温泉公園ができました。温泉そして、ログハウスなどがあります。本耶馬渓中学校に勤務したときには、学年で泊まりに行ったことがあります。思い出の一こまです。



 そんな西谷温泉公園にログハウスの予約を入れて久しぶりに行くことになりました。たくさんの懐かしい人たちに会うことができました。ちょうど、ログハウスのちょっと下でお祭りが行われていました。



 温泉公園に着いて車から降りたときに、ちょうど、ゆうちゃんのお父さんがいました。「先生、久しぶりやなあ。お祭りがありよるから、あとで、おいでね。」とお誘いがありました。もとをしているとのこと。太鼓や笛の音色が聞こえてきていました。胃お祭りには行くことができませんでしたが、子どもたちは、お祭りの賑わいを感じてきたようです。



 お祭りに来ていたしゅんくんのお父さんがログハウスを訪れてくれました。本館には、じゅんいちろうくんやようへいくんたちのお母さんが受付にいました。頑張っている様子を聞きました。「先生に怒られてことを今でも話すんですよ。」そんなことは忘れてもいいんです・・・。


 朝は、農産物をおさめになんちゃんのお父さんが車で来ていました。「先生、一緒に温泉にはいったちこなあ。」となんちゃんのお父さんとたけちゃんのお父さんの3人で風呂に入ったときのある珍事件?!をしばらく懐かしく話しました。あれから20年が過ぎましたが、みんなが元気で何よりでした。うれしい再会がたくさんありました。



 写真は西谷温泉公園のホームページからです。是非、一度訪れてみて下さい。気持ちのいい温泉です。

貪しないために・・・

2010年10月21日 | Weblog
今、慌ただしさのピークです。いくつかの事務局などを持っているので、その行事がこれからたくさん行われます。その取り組みをしています



明日は、中津市から豊後高田市までの先生たちの研修会です。この会の事務局を担当しています。参加者すべてを合わせると100人近くなるので、企画をするのに、夏からから少しずつ取り組みをしてきました。研修内容の確認、準備する物、日程の調整、来賓の方の臨場申請、参加者の弁当注文・・・など、みんなと協力しながら進めてきました。



いよいよ明日になりました。そのあとは、懇親会となります。懇親会の出席確認まで担当となります。いろいろ準備などの経験をしながら、勉強になることも多いし、いろんなことが見えてきます。がんばらねば



 今日は、夕方、会場づくりに行きました。準備は整いました。みんながいい形で研修を終えることができることを願っています。



 中津市の研究部長をしている会があります。11月に県外先進地視察があります。平行して、その計画もしています。福岡県の「学力向上」の取り組みの先進校に行きます。交通機関との連絡調整、相手方との話など詰めることが多いです。これも日が迫っているので、最後の調整をしていっています。
帰ったら、ぐったりとなることが多いです。計画や調整などを進めていくので、表にはでることは、少ないのですが、無事一つひとつが終わったときには、充実した気分になります。



 今日、お家の方が、学校に冊子を持ってきてくれました。読んでいる「三人の石工」の話がありました。ある旅人が石を切っている三人の石工に「今何をしているのか。」と尋ねたとき、

一人目は、「親方から言われて城の塀の石を切っている。」二人目は、「家族を養うために石を切っている。」「このあたりで一番りっぱな城壁を作るために石を切っている。」と答えたという話です。


自分の仕事の目的をしっかり持て、心を込めて努力しよう・・・ということらしい。三人目の石工までにはなりきれない・・・まだまだ修行が足りません


さらに読み進めていくと、「目に見える近くのことだけにとらわれてしまうと、どんどん忙しくなり、むなしくなる・・・遠くのことにまなざしや思いを馳せ、そこから生まれるうっかりすると見過ごしてしまいそうな小さな感動や喜びに敏感であれ。「遠きをはかる者は富み、近きをはかる者は貪す」」
 ・・・貪してしまいそう・・・。



年末までに、いろんな会で講演会2回、公開学習会1回の企画をしますが、それが終わるまでは、ちょっと慌ただしい日々が続きそうです。貪しないためにコスモス園の横を通るときに今日のコスモスの花の写真をパチリ。とても綺麗でした

クラス全員の学習力をつける~かったかくん流学級経営論・学力論⑭~

2010年10月20日 | Weblog
 今日、1年生の学校での朝の10分間の学習タイムの時間のとき、生徒たちは、社会の用語22個を書いて覚えていました。


 わずか、10分間です。書く量も知れています。そんな中で、生徒たちによって、取り組み方が違っていました。22個の用語を覚えていくのです。どのようにこの10分間の取り組みをするのが有効なのでしょう。

 以前、新出漢字を覚えるコツを書いたことがあります。これもそれに応用できると思います。


 次の写真がそのプリントです。




これを指導する側が何も言わなければ、上から順に生徒たちは書いていきます。しかし、10分間の勝負です。それでは、早い生徒でも半分くらいまでいって、残りの半分の用語には手つかずという状態でしょう。


 10分間の効率の良い学習は、以前にも書いたように、

①同じ用語を続けて書くのではなく、左縦一列を書きます。すべての用語を最低一度は書きます。まったく書かないということはなくなります。もし、上から順に書くと、一度もふれない用語が出てきます。



②2列目に入ったときは、すでに一回目書いて覚えている字は書きません。自信のない用語を書きます。




③3列目、さらに覚えにくい漢字を書きます。



このように繰り返して指導していけば、生徒は効率のよい学習に気付きます。時間が余れば、縦向きに埋めていけばいいと思います。枠を埋めればいいものではありません。目的は覚えることにあります。


 ほとんどの生徒が横向きに書いていました。「10分しかないんだから、下向きにかいてごらん。」とアドバイスをしました。



 漢字の要領です。


漢字ドリルを用います。
 ドリルの中に、新出漢字が20個あったとします。同じ漢字を何度も書かせる方法はとりません。20個の新出漢字を続けて20個どんどん書かせます。次、2回目です。覚えたことに自信のある漢字は、「もう書かなくていい。」と言います。3回目です。さらに覚えていた字が出てきます。書く漢字が減ってきます。2回、3回、4回と・・・覚えた漢字が増えて、書く漢字が減っていきます。0になったら終わりです。

 0になったら、完全に覚えているというのです。、大切なことは、漢字ドリルなどで、「100字書いてきなさい。」の指導より、「覚えるまで書いてきなさい。」
でいいのです。


 覚えていない生徒は、「100字では足りません。」すでに覚えている生徒は、50字でもいいのです。時間をかける必要はありません。他の教科や他の課題に時間をあてさせます。


コスモスでHPの更新

2010年10月19日 | Weblog
今、三光中学校周辺は、コスモスが咲いています。満開そして色とりどりのコスモス。とてもきれいです。コスモス祭りが開催されていて、学校周辺はにぎやかです


 学校のホームページの更新の担当をしています。トップページの写真をしばらく変えていませんでした。そこで、学校を背景にしたコスモス畑の写真を撮影するためコスモス園へ。以前の写真との差し替えです。


 朝、ちょっとコスモス園に行ったのですが、すでにたくさんの観光客の方が見えて、コスモスの花の美しさを堪能していました。


 コスモス祭りの主会場は、毎年少しずつ変わります。成長の関係で続けて同じ所では植えることはできないそうです。近い距離なのですが、わずかずつ位置が変化しています。


 今年は、三光中学校により近いところです。歩いて数分のところにあります。10日前に親戚が来たとき一緒にコスモス園に行ってみました。そのときは、まだ、花はほとんど咲いていませんでした。しかし、今は、見頃となっています。見応えたっぷりです。


 朝、日の出前には、写真家たちも太陽が昇るのを待ち構えています。いろんな角度から、被写体のコスモスをとらえようとしています。20haの広大な田んぼに2000万本のコスモスです。壮大です。



「先生、学校に来るとき、コスモスがきれいなんで。」
「家ん人たちが、コスモス園で農産物などを販売しているよ。」



など、コスモスを媒体にして、会話も弾みます。


 ふるさとにあるきれいなコスモス園が、生徒たちにとってもちょっと自慢のようです。


 ところで、校舎をバックに、写真はしっかり撮らせてもらいました。

故郷の秋

2010年10月18日 | Weblog
今日の朝、温度計は10度を切っていました。ちょっと寒い朝でした。秋がどんどんと深まっていきます。この間まで、「猛暑の夏」と言っていたのが嘘のような感じです


この土日も本当に天気のいい日よりでした。秋晴れのさわやかな一日でした。外に出ると、秋の陽射しが心地よさを感じさせてくれます。いろんなところで自然の美しさを見ることができました。



 朝、耶馬溪スポーツ祭に行くとき、川沿いを歩いていきました。川の水が朝日に照らされていて、まぶしく感じました。せせらぎの音がまた川の美しさを引き立てていました。ふっと立ち止まって見入っていました。その風景がとても味わい深いものがありました。



 帰って庭にいると、マリーゴールドの上を蝶々が気持ちよくふわふわととんでいます。マリーゴールドの苗をたくさんいただいたので、庭に地植えしています。盛りは過ぎたような気がしますが、まだまだきれいに咲いています。




 午後からは、築城の方に行く用事がありました。その帰りに新吉富の道の駅の裏にたくさんのコスモスが咲いていました。秋風に心地よく揺れていました。三光のコスモス園とはまた違った風情があります。ここにもたくさんの家族連れが秋を感じようと訪れていました。




 一日の中で、秋の穏やかな光景を目にしました。気持ちも和み、秋が深まっていくのを体で知ることができました。

耶馬溪スポーツ祭

2010年10月17日 | Weblog
耶馬溪スポーツ祭が行われました。かつては、耶馬溪町民体育大会という名で毎年開催されていましたが、市町村合併によって、耶馬溪スポーツ祭として、規模を縮小しながら毎年行われています。

町を4つの小学校校区に分けての対抗戦です。耶馬溪スポーツ祭は、かつては、町民体育大会でした。野球、サッカー、校区対抗リレーなどでたくさんの出場者がありました。しかし、今は、野球などのスポーツはなくなり、レクリエーションスポーツが主流となって続けられています。野球がなくなってからは、声もかからなくなりました。



 今日の朝、6時過ぎ電話。こんなに早く誰だ。休みなのに。
「かったかちゃん、今日何かする?」
と地区の公民館館長さん。
「なんかある?」
なんかあるといってもまだ6時過ぎだ。



「スマイルボーリングのメンバーが足らなくなったんだけど、出られんかなあ。」



 今日は、昼過ぎから福岡の方で、葬儀があるので、11時くらいまでならということで、参加させてもらいました。


 8時過ぎに会場の小学校に行きました。かつては、小学校では、夜、地区のソフトボール大会などがあり、何かにつけて、行く機会がありましたが、そんな行事もなくなり、本当に久しぶりの小学校でした。ここ数年は行っていません。少し早く着いたので小学校の周りを歩いてみました。なんとなく懐かしく感じました。スマイルボーリング・・・20年前くらいに学級で親子スマイルボーリング大会をしたことがあります。それ以来です。




 5人制です。ピンを交代ごうたいに倒していきます。ルールは簡単なのですが、ピンの前に鉄の枠があり、それを通過しなければ倒しても得点になりません。集中しなければ、枠に球が当たってしまいます。単純なルールですが、プレイをしながらちょっとムキになります。結局2勝1敗で2位でした。1位のチームはとてつもなく強かったです。久しぶりに会う地区の方も多く、会話も弾みました。11時までに完全にゲームも終わりました。


 かつての町民体育大会のようなにぎわいはなかったのですが、楽しく過ごすことができました。

感動の景色

2010年10月16日 | Weblog
いつか、登ってみたい・・・と思っていた皿倉山に登る機会がありました。皿倉山は、展望台に登ると、響灘、洞海湾から関門海峡まで見渡すことができます。大自然のパノラマです。おもわずシャッターを押しました


 皿倉山は、北九州にあります。都市高速から、九州自動車道から、鹿児島本線から・・・街から見えます。たくさんのテレビ塔が頂上に立っているのですぐにわかります。雑誌などで頂上からの景色がよく掲載されています。綺麗な景色に一度訪れてみたいと思っていた場所です。



 この休みに登山口近くに用事で行く機会がありました。せっかく来たのだからと思い、いざ頂上へ。しかし、頂上へと言ってもケーブルカーを使ってです。登山は楽に・・・。


 ケーブルカーの名前がちょっとおしゃれです。2台が交互に登ったり、下りたりしています。名前はなんというかわかりますか。1台は、「はるか号」、もう1台は、「かなた号」と言います。「はるか」「かなた」。いいでしょ?はるかかなたまで見える景色のところまで誘導してくれます。色合いもよく、かわいいケーブルカーでした。ふだんは、ケーブルカーなどに乗ることはないので、ちょっとわくわく気分でした。



 皿倉山の標高は622mあります。山麓駅までわずか5分の旅でしたが、登るときに木々の間から見える海沿いの景色が何となく趣があります。さらに、そこからまたスロープカーがあります。山麓駅から山頂展望台まで3分で結んでいます。全面ガラス張りで車窓から見える壮大な景色が、社会のいろんな喧噪を忘れさせて気持ちを和らげてくれます。



 登ってみると、この360度のすばらしいパノラマだけではありませんでした。皿倉パラグライダーフェスタ2010大会が開催されており、山頂から、多くのパラグライダーが飛び立っていました。目の前を、頭上や眼下に美しいパラグライダーがフライトしていました。こんなに間近にパラグライダーを見たのは初めてでした。海、空、街並み、パラグライダー・・・素敵な景色にちょっと感動でした。



 爽やかな秋風に吹かれながら、時間のたつのも忘れて、その風景を眺めていました。



 

スペースワールドなどに行った帰りでも、是非立ち寄ってみて下さい。おすすめの場所です。


子どもの結婚式

2010年10月13日 | Weblog
 先日、子どもの結婚式でした。二人の幸せな姿を見せてもらいました。新しい家庭を二人でしっかりと築いていってもらいたいと思います


子どもの結婚式が終わりました。これから、二人で幸せな家庭を築いてもらいたいと思います。


 式は二人で創りあげていきました。二人でできる範囲の中で、周囲の人たちに心配りができるように頑張っていました。

 ここまで来れたことにお互いと二人を取り巻くいろんな人に感謝してほしいと願います。双方の来賓の方や友人たちとの話やスタンツの中で、家庭の中ではわからない職場
や過去の学生時代などの姿も知ることができました。今まで知らなかった部分を発見することができることもうれしいことの一つでした。



 3連休の中日でしたが、忙しい中、駆けつけてくれ、感謝しています。
新しい生活がスタートして、本人たちは、喜び、不安などが交錯していると思います。でも少しずつ、少しずつ二人で新しい生き方を模索しながら確立させていって欲しいと思います。
 
 
 式が終わり、今ほっとしています。



思い出の一日にして下さいね

2010年10月08日 | Weblog
子どもの結婚式が近づいています。親が式のためにすることはほとんどありません。子どもたちが手作りで頑張っている姿がなんとなくいいなって感じます。

 子どもの結婚式も近づいてきました。二人の子どもがいますが、親が働いているので、二人を父や母が昼間は見てくれていました。子どもを見るために仕事もやめるくらい父も母も子どもが好きで、勉強を教えてくれたり、いろんなところにも連れて行っていました。


 父が病気になってからも「孫たちが結婚するまで死なれん。」と言うのが口癖でした。晴れの姿を見たい、孫が選んだ人に会いたい・・・しかし、現実には、父は他界し、母は病気のために治療をしています。思いはあっても時の流れは、その思いを打ち消してしまいます。父や母の生活の大部分を孫たちを育てるためにあててくれたことに対して、今ここに立って改めて感謝の気持ちです。


 連れ合い方の父や母も、「早くなることはあっても、遅くならないようにね。」と二番目の子どもによく話をしています。


 それだけ大切な人の結婚式というのは、大きな節目なのでしょう。


 野球部の保護者の方が、病気でした。家族みんなで北九州にお見舞いに行ったこともあります。「せめて、娘の結婚式には出たいよね。そこまで生きていないとね。」と式に出ることを目標に、苦しい治療にも頑張っていました。そして結婚式。福祉タクシーを使いながら、式だけにはなんとか参列することができました。「行ってきたけど、きつかった。でも娘はきれいだったよ。」と話をしてくれました。その目標がかなって、安心したのか一ヶ月ちょっとたって、旅立っていってしまいました。




ピンクがかった遺影は、「幸せになってね。」と笑顔で語りかけているようでした。



 現在の結婚式は、ほとんど、本人たちがするので、親がすることはほとんどありません。かつては、親が筋道を立ててくれてそれに子どもがのっかるというような感じでしたが、結婚式場の方が本人たちをサポートしてくれています。だから中味もほとんどわかりません。悪戦苦闘・葛藤しながら、お互いの意見をすり寄せながら計画を立てていくことが、お互いを理解するのにとてもいいことだと思います。



 
そのほほえましい姿を是非、父や母に見てもらいたかったと思うこの頃です。

秋の深まりを感じます

2010年10月04日 | Weblog
ゆっくりと秋が深まっていくのを感じます。夏から秋へと季節が移り変わりそして、秋がさらに深まっていきます。通勤途中の道には、たくさんの彼岸花とコスモスが並んで咲いていました

 今年の夏は猛暑でした。なんと今年は、中津が最高気温で全国一になった日もありました。今までになかったことです。盆地でもないのに、気温がぐっと上がる日が多かったです。
 

 いつ秋がくるのかなと感じていた人も多いと思うのです。しかし、彼岸が近づいてくる頃、さすがに秋だと思うような風も吹いてきました。今日、秋の訪れを感じた出来事をあげます。
 


 栗拾い。今、栗の収穫の最盛期です。裏の畑には栗の木が少しあります。その栗の木からいがが、たくさん落ちています。いがの間からは、栗の実が見えています。



 朝と晩に収穫に行きます。かなりでかい実がついています。今日も朝、露に濡れながら畑に。籠いっぱいの栗の実を収穫しました。



 そして学校へ。学校へ行く途中、彼岸花とコスモスが並んで咲いている場所がありました。なんとなく風情を感じました。コスモスがきれいだなあというくらい、咲いている場所を見かけることが多くなりました。学校の近くには、まもなくコスモス園が開園します。




 学校に着くと、環境整備の方がアケビを体育館の近くから採ってきていました。昔懐かしい野生の果物です。幼い頃、アケビを持っている子どもが何となくうらやましく感じ、自分も山の中を探した記憶があります。あの甘さが何とも言えませんでした。今日、採ってきたいたアケビは、職員室に飾っています。でも今、これをアケビといえる子どもたちは、どれくらいいるんだろうかなあ。知らない生徒がほとんどだろうあ。




 こうしてみると、秋が来たなあって感じるでしょう?秋風が爽やかに吹き抜けた一日でした。