かったかくんのホームページ

日々感じたこと、心に残ったこと・・・綴っていきますね。よかったら、立ち寄って下さい。

ちょっと休憩Ⅲ よいお年をお迎え下さい

2012年12月31日 | Weblog
島燃ゆる火山噴火の痕跡に 
         古代の空も赤くかき混ぜ


済州島は、結構大きいのにちょっと驚きました。淡路島より大きい島です。比較的温暖な気候です。



そんな中で、観光に出発です。
◇岩編・・・溶岩できた「龍頭岩」、溶岩が海に流れ込んできて急速に冷えてできた「柱状節理」


・・・地下を溶岩が流れて空洞になった洞窟の「萬丈屈」など、火山でできた資源が観光となっています。日本にはない独特のものです。



海に降りたり、岩の間を歩きながらの観光地で、足元が悪いのですが、のんびりしたきれいな風景です。





◇山編・・・パンフレットの写真では下のように、とてもきれいだったので、是非行ってみたかったのが、「城山日出峰」です。溶岩石でできた地続きの岩塊の島。漢拏山の大噴火により流れ出、飛び散った溶岩がかたまってできた他の島々と違い、海底の溶岩が独自に噴出してできた特別な名所です。



でも・・・。行ってみると、この峰は、海のそばにあって確かに下から見てもきれいですが、たいていの人は登ります。急な階段伝いに20~30分でしょうか。途中で休憩をするところもあるのですが、ぜいぜい・・・ハァハァ・・・足はえんやっと前に進みます~~。




峰の上は、パンフレットでは、上の写真のような感じです。とても美しいでしょう?冬とあって緑の季節ではなかったのが、残念ですが、でもパワースポットと言われています。頂上のベンチに座ってパワーを浴びながら、きれいな海の光を見ました。



ここに、行くときは、元気なうちにエネルギーがあるうちに行って下さいね。



◇音楽?コミカル的ミュージカル?・・・「NANTA」に行きました。結構楽しかったです。調理器具の打音や料理をしながらのコミカルステージ。笑わせてくれます。韓国語が分からなくても大丈夫。旅仲間の一人がステージに上げられて、結婚式を挙げるという新郎役になりました。



お相手は、同じく会場に来ていたインドネシア人の方でした。にぎわった、にぎわった。




次回は、民族、食事編で終わります。旅をして、異文化を感じることも、いろんな人の生き方を知ったり、自分自身の世界を広くしてくれるような思いがします。





ということで、これで、今年のブログはおしまい。一年間、お付き合いありがとうございました。みなさんにとって、来年も素敵な年でありますように。

ちょっと休憩Ⅱ

2012年12月30日 | Weblog
海光り跳ねて映ゆるチェジュ島の           
          陽の当たる故に落ちる陰あり





去年に続いての旅行で、少しおごりのある旅行でした。昨年は、本も買って、十分チェックをして行きましたが、ツアーなので、お任せ状態での旅行でした。
 知っていることは、



○済州島は、200万年前、漢拏山(ハルラサン)の噴火によってできたと考えられているということ。
○主に玄武岩から成っていて、それが観光資源になっていること
というくらいでした。




 インターネットやガイドさんによると、済州島の特徴を表すと、「三麗」と「三多」、および「三無」という言葉があるそうです。




◇「三麗」とは、「美しい心」「素晴らしい自然」「美味しい果物」といった島民の心や景観の美しさ、特産物を意味するそうです。
 



確かに、済州島には、工場がないと言います。だから、海など自然が開発されにくくなっています。国と連携しての自然という資源を大切にしています。また、湧水などを利用するので、農薬をあまり使用しない手法で、野菜や果物を生育させます。至るところにみかんやデコポンを売っているところがありました。チョコレートの中にもオレンジが詰まっています。




◇「三多」とは、「石と風と女の3つが多い」という意味です。火山島であるため、火山の噴火により流出した火山岩が多く、台風が度々通過する上、季節風の吹く地域であり、またかつては漁労のため海に出て遭難するなど男性の死亡率が高かったことに由来しているそうです。




 観光をしたほとんどが、火山活動によって、岩や石が変形してできたところでした。足場が悪いので、足が悪い人にとっては、ちょっと厳しいところかも。至る所には風車がありました。風を利用しての発電には、自然環境を大切にしている島でもあります。しかし、島には、ゴルフ場がたくさんあるので、ゴルフ好きな人は、持ってこいかも知れませんが自然との調和はどうなのでしょう。次号は、観光についてです。




◇最後「三無」とは、「泥棒がいない」「乞食がいない」「外部からの(泥棒と乞食の)侵入を防ぐ門が無い(必要無い)」という意味を表すそうです。
 


そんな風には感じませんでしたが、最近は、犯罪も多くなってきているとのこと。





これくらいは、知って行かれるといいかも。





いろんな歴史の話も聞かせてもらいましたが、楽しい旅行の中にも島の語り尽くせぬ苦しかった時代の一部を知ることができました。次回は、観光編で・・・。


写真は、飛行機からの漢拏山と島から見える奇麗な海です。

ちょっと休憩

2012年12月29日 | Weblog
休日の気持ちもフレッシュ旅に出て
          エネルギーためて明日にのぞむ


最近、寂しく感じることがあります。


それは、自分が教員になってから、いろいろお世話になったり、教えていただいたりする先輩が毎年定年退職を迎えていくことです。順繰り順繰りであることや時間がしっかり動いているということでしょうが、何となく複雑な気持ちになります。




先日、お世話になった退職していく3人の先生たちと旅行に行ってきました。もちろん、逆お世話の幹事さんです。



昨年も次の年が退職ということで、機会があって「退職の年は、いろいろ忙しいだろうから、1年早く旅行に行こう。」と旅行を計画して行ってきました。それが楽しかったので、もう一度、退職の年に・・・再旅行となりました。



ということで、今回は済州島へ。済州島へ行くのは初めてです。インターネットで安いツアーを見つけて行きました。


済州島?
「韓国の最南端(高知県や福岡県と同緯度)に位置する火山島であり、付近を暖流である対馬海流が流れているため、大陸性気候により冬の寒さが厳しい韓国の中では最も気候が温暖で、韓国国内では〈韓国のハワイ〉とも呼ばれる。」
そんなところです。



寒い九州。しかし、意外と暖かった済州島。済州島は、ほとんどの食事がついて1万円台から行けるツアーもあります。はるかに日本の旅行より格安です。




いざ福岡空港から出発。少しずつ、思い出しながら、旅行記を。

痛みのホワイトクリスマス

2012年12月24日 | Weblog
幼き日サンタを信じたイブの夜
           星降る世界のホワイトクリスマス





12月21日、金曜日が2学期終業式でした。かつては、午前中に終業式などすべてが終わり、午後からは放課という時代でしたが、今は、授業時間の確保もあり、午前中は授業。午後からの終業式となっています。




終業式では、身近にあった出来事にふれながら、目標を持った、そしてマナーが守れる冬休みの生活についての話をしました。生徒たちが落ち着いて頑張り、そして、一つひとつ充実した行事の中で2学期が終わりました。




その中で、3連休に突入しました。気が緩んだのか、それからが大変。次の日、朝起きたら、腰がぎくっ。
「いたたたた~っ。」
 昨年の首事件ほどまではなかったのですが、動けば痛い。「おとなしくしておけ~。」という意味があることなのでしょうか。



靴下がはきにくい、ズボンがはきにくい・・・不便なことばかりです。



この際は、ちょっとゆっくりということで、だらりとした連休を過ごしました。録画していてたまりっぱなしのテレビ番組を見たり、本を読んだりしながら、腰の痛みの運命と付き合いました。




24日の今日は、クリスマスイブです。朝は、雪でホワイトクリスマスモードになっていました。学校に行かなければならないことがありました。




痛みも少しは軽くなったので、腰に巻きものをして、なんとか学校へ。
「先生、その歩き方は何なん?お歳になったね。」
と生徒。こっちの痛みを心配する言葉もなく・・・。久しぶりに生徒とも会話を楽しく弾ませました。やっと、パソコンにも向かえることができるようになりました。




痛みに苦しんだ連休が過ぎ去り、あとちょっとの仕事に頑張ります。

気分はクリスマス

2012年12月20日 | Weblog
曲の風浴びて心が潤って
        ひと足早いメリークリスマス


いよいよ明日が終業式です。過ぎていく時間の早さを感じます。
そんな中、今日は、夜は、久しぶりに楽しい時間を過ごさせてもらいました。




仕事が終わってから、中津市の「ふれあい学級」のクリスマス会が行われている公民館に行きました。



学校に行けない市内の子どもたちが通っている学級です。「クリスマス会」の中のこどもたちは、みんないい顔をしていました。カレーやクリスマスケーキを自分たちが作り、クリスマス会を開いていました。



サンタの衣装を着た先生もいましたし、部屋はクリスマスのメロディが流れていました。クリスマスモード一色です。カレーをごちそうになりました。おなかも減っていたし、美味しく食べました。



わずかな時間でしたが、子どもたちが楽しんでいたこと、いい雰囲気だったこと・・・うれしいそして、楽しいひとときでした。




次に、今度は、吉富フォーユー会館に車を走らせました。夏に三光中学校でも演奏をしていただいた三宅さん夫妻の「シングルベル サロン コンサート」がおこなわれます。




アットホームな感じのロビーでの会場には、たくさんの方が詰めかけていました。



バイオリンとピアノなどでラテン系の曲、クリスマスソングを交えて、しっとりとまた賑やかな演奏でした。曲の中にすーっと引き込まれるような曲の美しさでした。



三宅さんの演奏はいつ聞いてもうっとりとしてしまいます。あたたかなコンサートでした。クリスマスの風をしっかり体に浴びました。




中学校からも多くのお家の方や生徒たちも駆け付けていました。三宅さんの娘さんのHちゃんも、トークや踊りで、コンサート盛り上げるための大きな役を担っていました。コンサート慣れをしていると言った感じです。




三宅さん夫妻の演奏はもちろんのことですが、Hちゃんの言葉やダンスなどが会場をほのぼのとそして明るい雰囲気にしていきました。ラテン系の音楽では、みんなで踊ったりもしましたし、前に出て踊らされたりも?しました。来年は、もうちょっと腰の動きがスムーズになるように・・・シェイプアップして再チャレンジ?・・・。




ちょっとおしゃれな贅沢な時間を過ごして、家路につきました。三宅さん、ひとときをありがとうございました。

自分を見つめて

2012年12月19日 | Weblog
歩く道元気で明るく生きること
             生きてる幸せそれだけでいい


「Kちゃんの死」という衝撃の中で、今日一日過ごしました。



生きていることの幸せをわたしたちは実感しなければならないと改めて感じました。



先週のことです。仕事が終わるのが遅くなった日のことです。かばんを持って駐車場に行き、車に乗り込もうとするときに、ある方がジョギングをしていました。


暗闇の中で、こちらを見つけると、
「あんた、まだ仕事しよったかえ。」
と話しかけてくれました。
「無理せんごとせんとなあ。」
など、外は寒かったのですが、少し会話をしました。





「あんたん仕事って、いろいろあって、あんたなりに大変な部分と責任がある部分があるよね。先生たちや生徒のことを考えると・・・。」
うん、うん。話が進みます。それから・・・。
「で、思うんだけど、あんたの最大の仕事は、元気で明るく勤務することだと思う。」
という言葉。妙に納得しました。





みんなが満足するような環境づくりをめざしていくためには、「元気で明るく勤務する」ということを伝えたかったのです。
「病気になって休みがちになったりすると、周りに不安感を与え、学校が進みにくくなるような気がする。」
相変わらず、アクティブです。
「そんためには、健康でなければね。無理せんごつね。」
と最後に付け加えました。




車に乗ったあと、これは、自分の立場だけでなく、全ての人にあてはまるのかなあと感じました。社会には、障がいや病気を抱えている人もいます。障がいを持った人や病気の人が元気でないという定義は無理があります。



話を聞きながら、「元気」ということは、
「周りの人に、元気や勇気を与えることができる。」
と定義してみました。



「元気」を「自分だけの立場で考える」のではなく。「自分の行動が他者に与えるいい影響」に「元気」を置き換えると、
「みんなの最大の仕事は、元気で明るく生きることだと思う。」
に変換できるのかも知れません。




Kちゃんは、きっと闘病する姿から、病気であってもきっと、「元気」「勇気」を与えてくれる最大の仕事をしてくれて、逝ってしまったと思っています。




もう間もなくKちゃんのいないクリスマスがやってきます。

突然のKちゃんとの別れ

2012年12月18日 | Weblog
知らぬ間に流星に乗って去ってった
              君の笑顔が見れぬ寂しさ


一日出張でした。学校に戻って、やってきた生徒たちと話をしたり、机の上に置かれた仕事などをして、時間を過ごしていた時です。ふと携帯電話を見ると、教えた生徒のたかしくんからの着信履歴。折り返し電話をかけてみました。




「先生、同姓同名かもしれないけれども・・・。」
と前置きをしながら、たかしくんから思いがけない言葉。




「Kちゃんが亡くなったかも知れない。葬儀の看板が出ていた・・・。」
と言うのです。




何人かの生徒にも聞いてみました。「看板は見たけれど、それが、Kちゃんかどうかはわからない。」ということで、急いで看板に書かれていた葬儀場に行きました。




中に入れないほど、人でいっぱいでした。遺影もよく見えなかったのですが、覗き込むと、微笑んでいるKちゃんの顔がそこにあり、Kちゃんの死が現実なんだと分かり、体が震えました。




Kちゃんは、小学校5年生の時に担任しました。その時のこと、高校で入院して闘病生活をしてきたときのこと、高校が家の近くだったので、その時のいろんな思い出・・・社会人になって、頑張って働く姿も何度も見せてもらいました。結婚式のこと・・・笑顔が似合うKちゃんのいろんな思い出が次から次へと脳裏をかけ巡りました。




お経を終えたご住職さんが、知り合いだったので、最近のいろいろなKちゃんの状況を教えていただきました。高校以来、病気と闘いながら、一生懸命に前を向きながら、生きてきました。




教師をしていて、一番辛く悲しいものは教えた生徒の死だと思っています。つまり早すぎる死です。



Kちゃんは、短い人生を駆け抜けていってしまいました。棺の中で人形みたいにきれいに、目を閉じていました。入院していることも知らないでごめんね。もう一度、会って話をしたかったです。

生徒たちの心

2012年12月17日 | Weblog
緊張感受験の季節の到来に
           悩んだ分だけ成長するんだ


入試が間近に迫ってきて、生徒たちの心もちょっぴり穏やかではなくなってきています。生徒たちの中にも
「先生、相談があるのですが・・・。」
と来室をして来る人もいます。




進路に対して、どの高校に行ったらいいのか、迷っている人もいます。夢を実現させるためにどの進路を通っていったらいいのか、悩んでいる人もいます。



 最後は、本人、家族とで決定をしなければなりません。うんと悩むこともまたそこから、人を大きくさせてくれます。無駄なことはないと思っています。




放課後は、いろんな先生のところに
「過去の入試問題などがあればもらえませんか。」
また、
「問題がわかりません。」などと言ってきます。こちらにも来ます。分かるところは教えるのですが、分からない部分は、職員室をのぞいて教科の先生がいたら、「○○先生に聞いておいで。」
と伝えます。




3年生も真剣に頑張っています。
また、来月の17日には、私立の試験が行われます。面接を実施する学校が多いので、公立の推薦受験の生徒も含め、放課後は面接や小論文の勉強をしています。





先日、卒業生が、クリスマスプレゼントと言って、クリスマス用の包み紙に包んだ2冊の本を持ってきてくれました。



喜多川泰さんの本で、一冊は「手紙屋」~蛍雪編~、もう一冊は、「賢者の書」でした。「手紙屋」は何故、勉強をするのかということを、10通の文通というおもしろい角度で話を進めながら、伝えてくれています。読み進めると、引き込まれていきます。机の上に置いていると、
「先生、貸してもらえますか。」
と生徒。




金曜日に貸しました。朝、あいさつ運動に立っていると、
「先生、なにか気持ちがすっきりしました。一日で読み上げたよ。」
と伝えてくれました。させられると考えるよりも、することに意味を感じる方が、学習にも意欲が持てるでしょう。



卒業生が、


「本を読んでくれる中で、後輩の生徒たちが、もっと人生って楽しんだよって、輝いているんだよって、そんな、気持ちが持つことができたらと思います。~(略)~わたし自身も魅力的な大人になれるようにがんばります。~(略)~」


とメッセージをくれました。




大きな壁も思い切って挑戦をして欲しいと思います。そのことは、生徒たちにとって、かけがえのない貴重な経験となることだと思っています。

背中を追って

2012年12月16日 | Weblog
憧れの背中は大きく眩しくて
           未来は君が背中を見せる





先日、家に庭木の剪定にかつて中学校の保護者であった方が来てくれました。その方には、二人のお子さんがいますが、縁があって二人の中学時代には、その中学校に勤務することができました。毎年、剪定をお願いしています。



数年前、庭の草取りもする時間が取りにくい状況もあるので、草がはえにくいように庭の整備もしてもらいました。




その方の感覚で毎年剪定をしてもらっています。



年月が経ち、お子さんたちも一人は、保育士として社会の第一線で頑張っています。優しくピアノの演奏が好きだったので、子どもたちに囲まれながら、一緒にオルガンを弾いたりしながら楽しく過ごしているのではないかと想像します。もう一人のお子さんは、今年高校を卒業します。




この間、学校の庭木も剪定に来てくれたので、その時に進路がどうなったのかを聞きました。
「いいか、どうかはわからないけれど、造園の大学に行くように決まったんですよ。」
そういう二人のお父さんの顔はほころんでいました。




きっとむすこさんは、お父さんの背中を見て育った気がして、何かそれがとてもうれしく思いました。ご両親は子どもの部活の試合や大会があれば何をさしおいても応援に来ていました。子どもを愛情をもって接してきた分、きっと子どもたちも親の生きざまもしっかり見続けて、学んできたのだと思います。





いろんな進む先がある中で、父の仕事を選択することは、父へのそして父の仕事に対する情熱へのあこがれがあったのではないかと思うのです。生きている教科書が日常生活の中で開かれていたのかも知れません。




そして、先日も書いたのですが、同じく卒業生の一人が建築士になるための大学に進学が決定しました。電話でも少し話をさせてもらいましたが、とても喜んでいました。こちらも父のあとを追っていくし、いつかは父を追い越す時もやってくるのでしょう。





こういった身近な人に憧れて進路をとっていくこともうれしさが感じます。



ほかにも一生懸命に就職活動してきた結果、社会に出る人もいるでしょう。
自分が決めた夢を求めたり、これから自分の夢探しをするために進学をする人もいるかも知れません。




それぞれの卒業生にとって、いろんなドラマの中にもたくさんの幸せが訪れることを心から願っています。

今年最後の授業参観

2012年12月15日 | Weblog
何気なく親の姿を目で追った
            ちょぴり気になる授業参観




昨日は、2学期末のPTAでした。今年度になってから3度目のPTA授業参観日となります。




朝は、授業公開、午後から、授業参観、PTA全体会、学年懇談会、学級懇談会と続きました。地域や保護者の方とつながっていくこと、連携していくことは、とても大切なことだと思っています。



いくら家庭でがんばっていても生徒たちは、学校で生活する時間は長いのです。また学校で取り組みを図っても、お家の方たちが理解してくれていなければ、効果も薄くなります。かつては、学校は学校、家庭は家庭という時代があったかもしれませんが、少子化、地域にも子どもたちが少なくなる中で、いろんな人たちが生徒たちに関わる重要性を感じます。




「ゆっくり家の人と話す時間を持とう。」



ということで、学年懇談会、学級懇談会と企画していきました。午後からの授業はかなりのお家の方が来校してくれました。社会、数学、体育、英語・・・などの授業が行われました。生徒たちもしっかりと授業に臨んでいました。



お家の方にとっては、家庭とは違う生徒たちの姿を見ることができたのではないかと思います。




授業参観を見ていると、中学生でもお家の方が来ているのが気になるのか、ちょっぴり横目で確認しています。その光景がとても可愛く思います。目と目が会った時のちょっとした生徒のリアクションがほのぼのとしています。




お家の方には、三光タイムⅡを参観してもらった後、全体会へと入りました。




全体会では、学力向上を家庭と連携を図りながら、取り組んでいこうと提起しました。3学期からは、三光タイムⅡにおいて、時間の都合がつくお家の方にも参加してもらえるようお願いしました。いろんな方に関わってもらいながら、楽しく学習を進めていくことができたらと考えます。



自分、研究主任、PTAの代表の方がそれぞれの「学習時間の定着」などについての提起をしていきました。





こうして、2学期末PTAも終わりました。いよいよ来週の金曜日が2学期終業式です。年末へと勢いをもって突入していきます。

うれしい知らせ

2012年12月13日 | Weblog
生徒からみなぎるパワー体に浴びて
            負けじにがんばる 気持ち持ちたい


    

「先生、介護の専門学校に合格しました。」
「自動車の専門学校に進学が決まりました。」
などと、最近になって、卒業生が進路決定の報告にやってきます。



とてもうれしく思います。




生徒たちは、中学校を卒業してから、それぞれの進路先で充実した生活を送りました。その結果でしょう。教えた生徒からこのような嬉しい知らせが伝わってくるときが、教師をしていてもとてもしあわせな時間です。




 先日、Mくんのお父さんからも報告がありました。
「先生、大学の建築学科に合格しました。」
すごい。Mくんは、高校進学するときに、いろんな意味で大きな壁に悩むことがありました。




しかし、高校に進学してからは、日々の生活を自分の目標の「建築士になること」に向かって頑張ってきました。そして、第一目標の大学に見事合格したのです。
「夢ではないか。」
と合格した次の日朝起きたときにも思ったそうです。





 困難や挫折があっても、立ち向かって自分の目標を実現させる強さは、逆にこちらが生徒から学ばされます。今度の春も3年生や卒業生のみなさんにとってきれいな桜の花咲く、素敵な春になることを祈っています。




今日は、校内推薦の結果を学年の先生からもらっていました。受験の雰囲気がしっかりと漂っています。苦しいときだけど、こらえて花を咲かせて欲しいと強く願います。

小中学生のエッセイコンテストから

2012年12月12日 | Weblog
文綴り自分を見つめるその時間
              時に大事な糧となるとき


昨日の朝刊に、「伝えよう!いのちのつながり」コンテストの表彰式の記事が掲載されていました。生徒や引率をした先生が記事の中の写真に出ていました。



自分の生き方を振り返りながら、生徒たちは、作文を書いていきました。書いていることと実際にしていることは、ずれていても文章に表して見ると、今の自分を振り返りながら、反省をしたり、人と対比しながら、ものを見る目が鋭くなっていくところもあるのではないかと思います。



入選をした三光中の生徒の作品です。




     
私が、今、生きている人全員にいいたいことはひとつ。『私達は、自然の中で生きているのではなく、生かされている。』ということです。



私の祖父母は、7月の大雨により大きな被害を受けました。その家は川が目の前に迫っていたため、土地を高くしていても水が胸のあたりまできたそうです。



次の日から祖父母は片付けに追われ、長い間暮らしていた家が被害にあったため、肉体的にも精神的にも相当な疲労があったのではないかと思います。そんな中で私が大切だと思ったのは命のつながりです。




祖父母の家を片付けるにあたって、ボランティアの方々がとても活躍しました。被害を受けた人々のことを思い、見返りも求めず、自分でよければと、進み出て下さるボランティアの方々はとてもかっこよかったです。





命のつながりは、『生かされている』からこそ、感じられるものではないかと思います。





この体を与えてくれた全ての存在に感謝して・・・   
今、私は、
ちゃんと息をしているよ
とっても、
とっても、きれいな空気で



何故、こんなこと、いうかわかる?



私は生まれてから、事故にあったことはない
うでを折ったことなんてない
もし、うでが二度と使えないようになったら、
私は、文字が書けること、ピアノが弾けること、
服が着れることのすばらしさを実感すると思う。





でも私は、失ってから初めて気づくのではなく、
何かを失う前にそのすばらしさや有り難さに気づける自分になっていきたい。
親からさずけてもらった、このすばらしい体に
日々、感謝



この体を、たくさんの人のために
役立てていきたい。

防御心・・・自戒から・・・

2012年12月11日 | Weblog
「ごめんね。」ちょっとあの時言えたなら
           もっといい時間(とき)過ごせたのかも





ちょっと、あの時、「ごめんね。」と謝っていたら、ちょっとあの時、言葉に出していたら・・・とあとになって悔やむことがあります。それは、中学生でも大人でも同じです。




どうしても自分が悪いと思っていても、自分を正当化しようとする心は誰しもが持ってしまいがちになります。わたし自身も気が強い方なので、こんな経験と後悔をよく持ちます。




例えば、だれかとけんかしたとします。相手が悪くても、悪いなりの言い分があると思って、それを察しながら対していく必要があります。相手が完全に悪いと謝罪した時、今度、こちらが折れないで突っ走ると相手は相手なりの言い分や隔たりを持つことになります。




正当化は、だれもが自分から物事を見ることになるので、その心理状態は自然の流れです。
そうなると、物事は解決しないことが多いです。




解決法です。相手と対峙してしまう前に、自分の方が明らかに非があると感じたなら、正当化する理由を作る前に、まただれかに責任を転嫁する前に、心から、
「すみません。」
「ごめんなさい。」
と謝罪することが解決法の一番です。
 それで終わることが多いです。




だけど・・・。




「ごめんなさい。だけど・・・。」
「すみません。でも・・・。」
と正当化を入れてきたときに、物事が複雑化してしまう可能性があります。言い争いになって、「あの時、おまえは・・・。」と違う過去のことまで、争いの土台に乗ってしまうという経験もよくあることでしょう。





言い分は言い分としてもまずは、そのもめごとの現実をいったん、解消させなければなりません。



被害的立場でも、逆に強く、「ごめんなさい。」「すみません。」と言わせることを強行してしまうと、かえって、また物事が混乱します。それは、相手にもプライドがあります。



強制することで、前述した正当化する本能が先に出てしまうことになり、悪いと思っても正当化した本能で相手とぶつかってしまいます。





早い話、悪いと思ったら、「ごめんなさい。」と一言心から言うことです。
「ごめんなさい。」・・・「次からは気をつけろよ。」
「ごめんなさい。」・・・「なにやってんだ。」
と怒られても、勇気を持って謝った方が、ほとんどのケースがこの時間だけで解決します。




まあ、謝る勇気とつらさは、誰か仲のいい友だちに愚痴を言ったり、気分を変えることをしながら、気持ちの整理をしたらいいと思います。無駄な争いの時間を省きたいものです。





思春期の生徒たちを見ると、時として、注意され突っ張って・・・という場面に出くわし、話が複雑になっていくケースも見かけます。こんな時間も成長する中で、それに気づくためのたいせつな時間なのかなと思うこともあります。




でも間違いなくシンプルな生き方をした方が、しあわせなたいせつなひとときを持つ時間も増えてくると思います。生徒たちには、いっぱいいい時間を過ごして欲しいと思います。




自戒も含めながら、毎日、いろんなドラマの中で、学びながら生活をしています。

冠雪

2012年12月10日 | Weblog
暁の白さ眩しい山あいの
           紫染まる空のすじ雲





昨日は、山は雪景色でした。さらに今日も雪の話でまとめます。今日の朝、起きて外を見てみると、田畑や屋根に雪がうっすらと積もっていました。冬将軍の訪れです。秋はもう過ぎ去ってしまい、いつしか季節は冬へと変化しています。




朝、学校へ。まず、車のフロントガラスが凍り付いています。凍結解除の車のスイッチを入れて、しばらく・・・。氷が溶け始め、出発。ちょっと空が明るくなった田舎の雪の風景は、なんとなくきれいに感じました。



道路が凍結をしているところもあります。スピードも控えめに。特に橋のアスファルトは白くなっています。



ところどころで風景をカメラにおさめました。




街部に行くにつれて、雪模様が薄らいできます。家を出るときは、マイナス3度の世界でしたが、学校に着く前には、1度に上がっていました。そのくらい、今日の山間部の気温は低く、冠雪もありました。街部との気候の差を感じました。




街部から山間部に入ってくる車は、思いがけず凍結するところもあるので、要注意でした。
「先生の車は、雪があったね。」
と子どもたち。よく見ている。




最近は、雪がたくさん積もることはめったにありませんが、かつては、年に何度かありました。下毛郡時代には、学校が休校になることも年に1~2度ありました。休みにならなくても雪が積もった日には、休み時間などには、雪合戦をよくしていたことを懐かしく思い出します。 




西谷小学校や樋田小学校に勤務していたときに、魚屋さんから、トロ箱をもらってきて、そりを作りました。それで、近くの神社に持っていって、神社の坂から、滑って降りたりして、積雪の日を楽しみました。



世界的に温暖化になってきていることと、今の校区は、位置的に、暖かな気候であるので、そこまで積もることはほとんどありません。しかし、それでも現在の三光中学校の通学路が凍結することがあるので、今日の寒い体育館で行われた全校集会の中で、指導をしました。




四季折々の景色の中で、これから、冬の生活を綴っていくことになります。寒さの中でもあたたかな人と人との関わりができたらいいと思います。

雪が舞う一日

2012年12月09日 | Weblog
風を浴び雪が顔面直撃打
          クラブ持つ手もぶるぶる震え

 



雪が舞った寒い一日でした。初雪ではないかと思います。今年の冬は寒いという予報が出ています。このごろは、北部九州豪雨に見舞われたり、気候が不順なだけに、雪害による大きな災害や事故がなければいいと思います。



今日は、山の雪景色がきれいでした。そんな中で、ゴルフ大会が行われました。


練習に行く時間はなく(下手な理由のこじ付け・・・)ただ、コースを回るだけなので、なかなか上達はしません。それでもいろんな方と時間を共有したり、知り合いになったりするので、楽しむことができました。



ただ、寒いの一言。激しく風が吹きつけました。暖かい服装もしているし、ホッカイロもポケットに入れているのですが、きゅーっと体が縮むような感じです。最初は絶好調と思われましたが、ホールを回るごとに、いつものポイントに戻っていきました。




「ちゃんと練習をしないとね。」
「数を覚えるくらいの打数で終わらないとな。」
といろいろと注文がきます。
 楽しむことが一番・・・。



まあ、それでも人の倍は歩いたので、体はしっかりと温もりました。




夜は、この仲間の人たちと忘年会でした。歩いたカロリーは、ここでまたしっかりとしたためました。プラスマイナス0と言ったところでしょうか。




種々の忘年会もこの週末でえんやっと今のところの予定のものは終わりました。ぼちぼち年末を迎える準備などをしていきたいと思います。