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日々感じたこと、心に残ったこと・・・綴っていきますね。よかったら、立ち寄って下さい。

「信州からの便り」

2025年02月27日 | 大分県
大学時代の、硬式野球部の同級生でグループの通信で連絡を取り合っています。

卒業してから、何年も経つのですが、年に一度くらい会って、そして時折近況を通信で取り合っています。
大切にしている絆です。
 
まだみんなそれぞれが社会の中で、頑張っていることで、こちらも刺激をもらうことができます。
よたよたっとなった気持ちを引き締めてくれます。

 
今日は、松本市に住んでいる同級生から、アルプス連山の雪景色を送って来てくれました。

とてもきれいです。


いつもまとめ役のリーダーが、
「今年は、みんなで松本に行くよ。」
と言っていますが、是非実現をしたいです。

2年前、富山で西日本の野球の大会が開催された時に、羽田空港から富山空港に向かいました。


アルプスの上を通る時、松本とは位置は違うのですが、6月なのに、山々の雪がとてもきれいでした。

自然の雄大さを感じました。


羽田・富山間の航路を使ったのが初めてで、ずっと窓の外の景色を堪能していました。


また球場のグランドに立つと、山からおりてくる爽やかな風に癒されました。
あの空気を今も忘れることができません。

 
同級生は、松本城の近くに住んでいるということで、うらやましい限りです。
まだ全国をとびはねているので、各地の美味しいところをよく知っています。昨年、
「おい、糸島に美味しいところがあるんだよ。」
と教えてくれ、予約してくれました。

食べきれないほどの糸島の料理を口にすることができました。
 
地元、信州松本なら、さらに美味しいところを知っていると思うので、ぜひ連れて行ってもらいたいです。


「更生保護女性会の役員会」

2025年02月26日 | 大分県
午前中、休みをもらい、更生保護女性会の役員の研修会が行われ、保護司会の会長さんや事務局長さん、保護司の方と参加させてもらいました。


この会もコロナ禍があり、7年ぶりの開催ということです。
7年の中には、亡くなられた方もいて、黙とうを捧げ、会の会長さんのあいさつなど、会が進行していきました。


「更生保護女性会」とは、法務省のHPでは、
「更生保護女性会は、地域社会の犯罪・非行の未然防止のための啓発活動を行うとともに、青少年の健全な育成を助け、犯罪をした人や非行のある少年の改善更生に協力することを目的とするボランティア団体です。


全国で約13万人おり、地域の公民館、学校等に地域住民の参集を求めて、その地域の実情に即した非行問題等を話し合うミニ集会のほか、親子ふれあい行事や子育て支援の活動などに取り組んでいます。」
という趣旨が書かれています。

 
会の中では、雲八幡宮の宮司の秋永さんの講話がありました。

雲八幡宮は、夏の「かっぱ祭り」で有名です。
3年前に、見に行かせてもらったことがあります。


その昔、壇ノ浦の戦いで敗れた平家の落人が、かっぱに化けて、この近辺の田畑を荒らして回ります。
楽などを奏でながら、慰めるということが、このお祭りの起源です。
 
かっぱを痛めつけるのではなく、かっぱの気持ちを想像し、理解しながら、地域を守っていく大切などもお祭りの中で表しているということでした。

 
そこが、今日の会の趣旨に沿っているところがあります。
 
会が終わってから、昼食のパンを買い、パンをほおばりながら、勤務に戻りました。
 
昼休みだったので、子どもたちとドッジボールをしながらのスタートとなりました。


このような活動をしていると、目の前の子どもたちが、これから先も犯罪に手をそめることなく、健やかに成長を遂げていってもらいたいとつくづく感じます。




「下関になにしに?」

2025年02月25日 | 大分県
ある6年生に会った時に、
「下関に行きます。」
何しに?
 
唐戸市場?壇ノ浦?海響館?「波の下にもすばらしい都がございます。」と言われながら、身を投じた安徳天皇を祀った赤間神宮?いろいろ想像してみました。
 
違う。

 
なんだと思いますか。

答えは、日清戦争で下関条約が締結をした場所である「春帆楼」に行きたいということでした。

すごい。


伊藤博文や陸奥宗光たちが清国と下関で条約を結んだのは、「春帆楼」というふぐ料亭だったということです。
今も「春帆楼」は料亭として営業をしています。
 
今は、敷地内に「日清講和記念館」が開館していて、めざすはそこだそうです。


資料がたくさん置かれています。
そう遠くはない、そして何度も行った下関でも「日清講和記念館」には行ったこともありません。
今年も社会見学などでも下関に行きました。
 
なんで6年生が、そこに興味を持ったのか、聞くのを忘れました。

子どもたちは、親やきょうだいが関心をもっていること、ドラマや本で出合ったこと、現地に行って感じたことなど、どこから、興味を持ち始めていくのか、わかりません。

そしてそこから知識や技能の進化が始まります。
 
自分自身に置き換えても、野球が好きになったのは、小学校の時の先生が野球が好きだったこと。


写真が好きになったのは、中学校の時の理科の先生がカメラ好きでいろいろ教えてもらったこと。

教員になりたいと思ったのは、2人のきょうだいが教員で楽しそうに学校の話をしていたこと・・・など、今やっていることの底流にあるもの、きっかけは、どこかに必ず存在しているのだと感じます。


子どもたちにも、いろんな経験をさせたいです。
いろんな学びをして、知識の幅を広げ、大きく成長を遂げていって欲しいです。
 
唐戸市場で寿司を食べることだけでなく、6年生が「日清講和記念館」に行ったことで、下関条約にこちらも興味を持ちました。


近いうちに行ってみたいと思いました。
「6年生」であるけれども、これも人との出逢いの中からの学びかも知れません。



「この冬最後の雪景色?の祭日」

2025年02月24日 | 大分県
朝、起きてみると、銀世界となっていました。


山々の木々に降りかかっている雪が、朝陽を浴びて、とてもきれいな山村の風景となっていました。

ぼさぼさの格好で家の周りを歩いてみました。

 
道路はそれほどまではなかったのですが、木々などにはしっかりと雪が積もっています。


今週からは、春の陽気となり、気温が上がってくるという予報となっています。
最後の冬の景色となるのでしょうか。


遠く離れている、何かにつけてお世話になっている方に、遠景ですが、実家の周りの雪景色の様子がわかる写真を送りました。

 
山国川の石の上に積もった雪。朝陽を浴び、雪の白色がちょっぴりオレンジ色に染まった山々。


道路の脇の枝に積もった雪。鮮やかな朝の風景となりました。
木々の間を飛び跳ねって鳴いている、小鳥の声がとても可愛く聴こえます。


以前、きょうだいが泊まった時に、起きてくると、
「小鳥の鳴き声がいいねえ。」
と言っていました。


特に、今日は、鳥のさえずりが、雪景色と共にきれいでした。


行き交う車は、道路が凍結しているために、スピードを落とし、ゆっくりと車を走らせています。
こんな時、事故は怖いです。
何事にも安全運転です。 

 
寒さのために、今日の野球の練習は中止となりました。
3月からしっかりと体を慣らしていきたいと思います。


今日は、体を休めるいい時間となりました。
明日から、また新しい週の学校生活に頑張るとしましょう。



「再会でふるさと探訪」

2025年02月23日 | 大分県
今日は、大阪からかつての生徒のTくんが帰省をしてきました。

もう家はこちらの方にはありません。
息子さんを連れてのお父さんのふるさとを見せます。

 
こちらに住んでいるNちゃんが連れて家に来てくれました。
 
もう、中津城や福沢旧邸には連れて行っていました。

11年前には、娘さんを連れてやってきました。

今日は、息子さんです。
父と息子の二人旅はどんなあたたかな気持ちでしょうか。

 
日中は、それほど寒くはありませんでした。

なによりです。

家でしばらく話を楽しみました。

 
昼ごはんは、「次郎長」さんに行きました。
美味しい焼き肉を食べます。
「めちゃ、美味しい。」
と息子さん。

Nちゃんが予約してくれていました。
Nちゃんは手際がいいです。
「これと、これと・・・これを。」
とスムーズに肉を注文してくれました。
 
耶馬溪で焼き肉の美味しさを堪能しました。
 
次は・・・。

 
耶馬溪とくれば、青の洞門です。
羅漢寺の下を通りながら、青の洞門へ。
 
大阪の方では、こんな景色はないでしょう。

「禅海茶屋」で魚のエサを買って、川に降りて行きましたが、今は、魚はいませんでした。

カラスが獲っていきました。
エサはそのまま持っておいて・・・。


Tくんは、11年前にここに来た娘さんとスマホでラインで風景を映しながら、話をしています。

娘さんも11年前を思い出してくれたでしょうか。

 
「禅海茶屋」では、あまおうのソフトクリームをほおばりました。
美味しい。
 
茶屋さんに別れを告げて、鯉のエサを持って、車に乗り込みました。ここは、有効にエサを使いたいです。

で、一路渓石園へ。
大きな鯉が池で泳いでいます。
ここからは、雪が舞ってきました。

 
寒い中、みんなで童心にかえって、エサをあげました。
楽しみました。
エサを投げると鯉が群がってきます。
 
息子さんたちが、いつか「今日の思い出」をたどって、また何年か後にお父さんのふるさとを訪ねてくれる「今日」になってくれていたらと思います。



「できる・できた喜び」

2025年02月21日 | 大分県
週末を迎えました。

今週は、学校外の施設を使っての体育の授業があったので、少し疲れました。
それでも子どもたちが、元気いっぱいに施設の中で、動き回っている姿がうれしく思いました。

 
マット・とび箱運動が中心です。
学年で取り組みが違います。

前転・開脚前転・後転・開脚後転、マット遊び・・・など学年の指導要領にそって、学習が進められます。
 
できることも大切ですが、子どもたちが、頑張って、頑張って・・・そして「できたあ。」と喜んでいる姿を見るのが幸せに感じます。

今日は、1年生の体育でした。

 
半分の子どもがマット、半分の子どもがなわとびでした。
2つのグループが交互にマットとなわとびにチャレンジしていきました。

なわとびを担当しました。

前跳び・交差跳び・あや跳びなどの練習です。

リズムを体にゆっくりとしみ込ませながらの練習です。


子どもたちの上達は早く、練習を積み重ねる中で、「10回跳べたよ。」と1回旋1跳躍ができなかった子どもも出てきました。
今までできなかったあや跳び・交差跳びが初めてできた子どもも。
 
頑張って「できた。」という感動が、頼もしさと強さにつながっていく源流になって欲しいと願いながら、指導をしました。

 
今日ですべての学年の学校外の施設を使っての授業が終わりました。ちょっとホッとしました。
 
これから、「6年生を送る会」の本格的な練習が始まります。

本番は、校区内にある文化会館である「コマ―レ」での開催です。
歩いて、コマ―レまで行って、練習を行っています。

 
学校での練習も、子どもたちは真剣です。


6年生に感謝。
そして一つのものを創り上げることによって、まとまっていく学年。充実した取り組みになっています。

今日は、子どもたちは6年生の教室に「6年生を送る会」の招待状を持って、6年生の教室に持っていき、6年生一人ひとりに、手作りの招待状を渡しました。

6年生も招待状をもらって、満面の笑顔を浮かべていました。
6年生との交流は、とってもいい雰囲気でした。

「6年生を送る会」の日まであとわずかです。
コロナ影響の行事の中止や縮小などがなくなりました。

本番当日の各学年の演出が楽しみです。



「体力無さの体力勝負」

2025年02月20日 | 大分県
また明日から寒波がやってくるということです。

三寒四温をしながら、だんだんと春に近づいていくことでしょう。
そう思えば、明日からの寒波もぐっと耐えましょう。
 
今日の朝、車に乗ると、マイナスの気温でした。
車の気温計を見ただけで、寒さも倍増します。
ぐんと冷え込みました。

 
それでも昼間は、太陽が出ていて、グランドで遊ぶにはもってこいの陽気でした。

 
給食を食べて、2年生の隣りの教室にいると、入り口に子どもたちの顔が出ていました。
「せんせい、ドッジボールをするよ。」
用事を済ませて、子どもたちと一緒にグランドに出ました。


陽気が体を軽くさせてくれます。
4年生と2年生のドッジボールの対決になりました。
子どもたちの元気よさがグランドに弾けます。

 
ドッジボールは、まだよいのですが、う、ううーんとなるのは、
「鬼ごっこをしよう。」
という時です。

 
どこの学校にいっても、休み時間に鬼ごっこをするという時は、たいがい、
「はい、せんせい、鬼ね。」
というパターンです。


広いグランドで、子どもたちを追いかけるのは至難の業です。
ばてたときは、何人か鬼の手伝いをしてくれるのですが、昼休みが終わり、次のそうじの時は、
「そうじ、ちょっと休憩していい?」
というような感じになります。

 
昨日がまさにその時間でした。
今日のドッジボールは、疲労度が半減でした。

 
明日は体育がたっぷりです。
早めに寝て、体力の充電をしましょう。


体力勝負の1日となります。
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「椎田のちょっとしたスポット」

2025年02月18日 | 大分県
来週の後半は、春らしい天気になるそうですが、今は寒風が体にこたえます。


いつもお世話になっている築上町出身の方から、
「椎田の鬼塚に行かれましたか?」
とよく聞かれます。
「いつか・・・。」
と言っていたのですが、今日、仕事が終わってから少し時間があったので、ここであろうという「鬼塚」に行ってみました。

標識がなく「アグリパーク」内にある地図を手がかりに探してみました。
「鬼塚神社」であろうところへ。


知り合いの方にとっては、ふるさとの中の思い出となるところでしょうか。

今は、周りが公園になっているので、「鬼塚神社」もはしっこの方でひっそりとしています。

 
「鬼塚」は、
「求菩提から椎田の海岸まで歩いてきた鬼が、息が絶え、ここに埋められた。」
という伝説があります。



また、
「九州に元が攻め寄せてきたときに、神風が吹いて多くの元の船が沈没してしまいました。その元の兵の遺体がこの州に流れ着いて、ここに埋葬したので「鬼塚」になった。」
といういわれもあります。

 
今はアグリパークの公園の片隅に、島の形をそのままに、鬼塚を保存しています。


今度知り合いに会った時には、やっと、
「鬼塚に行きましたよ。」
と言うことができます。

 
鬼塚を池をはさんで見てから、綱敷天満宮にの梅を見に行きました。梅まつりのシーズンになっています。

 
しかし、寒さが続くからか、まだほぼつぼみの状態でした。


これからだんだんとほころんでいき、境内が梅の花の匂いに包まれることでしょう。

 
写真は、今日の「鬼塚」と「綱敷天満宮」の様子です。

 
これから本格的な春を迎えていきます。





「年度末の空気が流れ」

2025年02月17日 | 大分県
年度末がやってきていることを感じます。
 
今日から、「6年生を送る会」のステージ練習が始まりました。

それぞれの学年が工夫して、感謝の気持ちを表します。


人数の関係で、5年生以外は、卒業式には参加しません。
そのために、「6年生を送る会」にも力が入ります。

 
今日は、2年生の練習に参加をしました。

子どもたちも先生方も真剣です。
そして演出にもこだわりと思いがあります。
いろいろと工夫をしています。

 
6年生は6年生で、卒業式の練習や卒業に向けての取り組みなどが入っていきます。


卒業式は大分県より、かなり早いです。
2月は、28日までしかないので、卒業式まであっという間です。
 
そう考えると、年度末という雰囲気が漂ってきます。

 
地域やいろんな役割を持っている中で、1年間のアンケートなどが回ってきます。
書いて、郵送したりしています。

また1年間のまとめの会議などがあります。結構多いです。


校種の関係で、年間にそんなに休みがないので、すべての会には参加することはできませんが、優先順位をつけながら、出席をしています。


こちらの勤務の任期は3月21日までです。
1年が過ぎ去っていくのがとても早いです。

椎田の子どもたちと出逢って、たくさんのドラマを刻みながら、1年が経とうとしています。


 
あと1か月、子どもたちとの生活を楽しみながら、今の仕事をまずは、
やりとげていきたいと思います。




「地区のどんど焼き」

2025年02月16日 | 大分県
昨日は、地区のどんど焼きでした。当初は、早くする予定でしたが、寒波襲来で、昨日に延期になりました。 

 
どんど焼きの日程で、延期になるとは予想していなかったので、午後からは予定が入っていました。

午前中の竹切りに参加をしました。


わたしたちが幼い頃は、子ども会で竹を切っていました。
どんど焼きの何週間も前から、川べりで鎌などを持って竹を切っていました。


しかし、今は、そんな時代ではありません。
それでも子どもたちは、地区に出かけて、正月飾りなどを役員さんたちと集める役目です。

 
だんだんと人が少なくなっている中で、大人が竹切りです。
事前には、役員さんたちがかっぽ酒の竹の容器を作ってくれています。


しの竹を切るグループ、ご神木になるもうそう竹を切るグループと分かれて作業です。

「切る」「立てる」「焼く」と1日で終わらせます。
 
今年は、今まで中心となって進めてくれていた方々が少なかったので、悪戦苦闘の「切る」「立てる」でした。

4人で、もうそう竹を切る担当でした。

今までは、言われた通りのことをしていましたが、4人でいろいろと相談しながらの作業でした。

「どういう切り方をするのか。」
「切った後はどう出すのか。」
「どのくらいの長さを切るのか」

簡単そうですが、頭を悩ませながら作業を進めました。

切ったあと、車まで持っていくのが、ひと苦労でした。


それでも切るのが上手い人がいたり、軽トラの乗せたあとに、ロープで縛るのが得意な人がいて、難儀をしながらも、無事に、どんど焼きを行なう河原まで持っていくことが出来ました。
 
そして、しの竹もそろったところで、組み立てに入りました。

山の斜面、そして、河原の石場での作業だったので、体力を消耗しました。
そんなに寒くはなかったことだけが救いでした。 

 
地区の先輩たちがしてきたことを、思い出しながらの作業となりました。
役員さん方に感謝です。

 
どんど焼きには参加することはできませんでしたが、どんど焼きが終わり、これから地区にも春が訪れていきます。
「五穀豊穣」
「無病息災」
の1年であることを願っています。


「高校の学校運営協議会」

2025年02月14日 | 大分県
昨日は、家の近くの高校の学校運営協議会に参加をさせてもらいました。

少子化の中で、どの高校も生徒たちを集めていくことが大変です。
その中で、特色を出しながら、学校を運営しています。
 
かつて、近くの高校もたくさんの生徒が在籍をしていました。


まだこちらが小学生だったころ、歩いて小学校に行く時に、耶馬溪鉄道の平田駅から降りた生徒たちが、ずらずらずらっと駅から学校へ向かっていく行列にすれ違います。

列車の上りと下りの生徒がいたので、その高校から駅までつながっているほどでした。
 
平田駅で高校生が列車から降りてきますが、その列車に今度は、中学生が乗ります。

中学校も当時は、1学年200人いたので、すべての中学生がそこにいたわけではありませんが、高校生、中学生で駅は激込みでした。

 
高校のグランドから聞こえてくる部活をする声、校舎内から聞こえてくる吹奏楽部の楽器の音。
活気に満ちあふれていました。

 

しかし、だんだんと生徒の数も少なくなり、外での部活もなくなってしまいました。
 生徒が少なくなったけれども、魅力的な学校にしようと、高校の先生方も生徒たちもがんばっています。

かつては、高校の敷居は高かったのですが、今は、地域とのあたたかな交流ができています。
 
福祉コースの生徒を中心として、高齢者との交流会が定期的に持たれています。


体育大会や文化祭にも地域の方が駆けつけ、生徒を応援します。
水害で地域に災害が発生した時には、ボランティアで流木などの片付けをしてくれました。
「この流木、重たくて運べないね。」
と地域の方が話していましたが、いつのまにか高校生が片づけてくれていました。
 
生徒の数は減ってきていますが、存在感は大きいものがあります。


生徒たちもいろんな高校生活の中で、いろんな体験をしながら、社会でもたくましく生きていく術を学んでいます。
 
前向きな意見を出し合いながら、協議会が進んでいきました。
これからも生徒たちが高校生活を満喫していって欲しいです。



「お父さんのふるさとを感じて」

2025年02月12日 | 大分県
10数年前に、ふとネット上でかつて教えた生徒が勤務する事務所を見つけました。 
 
メールを送ってから、それからやり取りが始まりました。

 
教員になって初めて受け持った生徒です。
クラスには、たくさんの思い出が詰まっています。

生徒は、中津の高校を出てから、お家の方も遠くのお母さんの実家がある他県に転居したので会う機会がありませんでした。
 
そして、12年前に娘さんを連れて、ふるさとを訪れてきました。

本当に懐かしい再会でした。
お父さんを教えたのが、小学校4年生の時。
そして、娘さんが中津を訪れてくれた時、4年生であったのもすごく運命的です。

「お父さんは、こんなところで育ったんだよ。」
と娘さんに教えるような会話の中で、中津を巡りました。
 
今はない、お父さんの住んでいた家の場所。
かつては、お店を営んでいました。

しかし、歩道とお店の間に引かれていたラインが残っていました。
「懐かしい。」
お父さんも子どもになったような表情でした。

何十年経って訪れた時、住んでいた跡が残っていたことに感慨深さがあります。


それから、お父さんが通った小学校。中学校・・・と巡っていきました。

 
お父さんのたどった道を子どもに教える。
その光景に、あたたかさを感じました。


お子さんにとっては、初めての中津。
青の洞門や羅漢寺、コスモス園などを訪れました。


羅漢寺では、しゃもじに願い事を書きました。

ちょうど、栗のシーズンだったので、家の畑の栗を一緒に採りました。


またふるさとの味も楽しみました。

 
こちらにとっても思い出に残る大切なシーンとなりました。
そのお子さんも今は、大学生になっています。

娘さんにとっても一度しかないかも知れない思い出の中津となっていることでしょう。


「先生、今度、息子とお邪魔していいですか。」
先日連絡がありました。
喜んでです。
今月来訪してくれることが楽しみです。

 
息子さんは、お父さんが住んでいたふるさと中津をどのように感じることでしょうか。

生徒は、今は、法曹の世界で活躍をしています。


こちらが退職の年には、関西に住んでいる当時の子どもたちと大阪でお祝いをしてくれました。

 
教員になってから、40年以上が経ちます。
こちらは、年を重ねていますが、あの時もそして今も、たくさんの子どもたちと出逢えることが楽しみであり、幸せに感じます。




「春風が吹いてきて」

2025年02月11日 | 大分県
今日の朝、かつての生徒が遊びに来てくれました。
話をしながら、成長している姿に頼もしさを感じました。

野球などを通じて、未だに関わりが持てていることが嬉しく感じます。
春には新しい家庭を築くという話も聞きました。

 

コロナの冷たく苦しい嵐もひとまず、落ちついてきて、心があったかくなる話を聞く機会が増えてきました。

数年のコロナ禍の中で、社会生活が一変しました。
さらに、いろんな行事がなくなっていったり、中断されたりもしました。
 
文化がそのまま消えたもの、縮小化され復活しているもの、元に戻そうとしているもの、元に戻ったものなどいろいろとあります。

初夏に結婚式をあげるということですが、横にいるお嫁さんとの幸せそうな姿を見ながら、「春」の訪れ、そして閉塞感のある「時」が過ぎたことを感じました。

 
そのあとは、野球の練習に豊後高田市に行きました。
今日から練習開始です。
春です。

 
あまり体を動かしていなかったので、練習終盤には体も疲れました。

ほぼほぼ、休憩時間もなく1時から4時までの練習でした。
気候もこれから暖かくなるので、体を慣らしていきながら、みんなに追いついていけたらと思います。

 
今日は、練習初日だったので、監督さんからの1年間の思いが伝えられました。
気合いも入りました。

練習は、ランニングから入りました。
入念なストレッチ、軽くキャッチボールなどをしました。


スコアラーの方から、昨年の記録が配布されました。
 
まあ、昨年は打撃不振には落ち込みました。
全国大会にも参加しましたが、1失策だけの完全に守りの人でした。

打撃は、他の人と比較すると他のチームメートがとてつもなくうらやましい。

練習試合の打率はまあまあだったのですが、公式戦では打てていません。
今年は、少し策も講じながら、今日はバッティング練習をしました。
 
しかし、「春」です。
ポジティブに。

昨年の公式戦でチームの中で一番よかったものは、公式戦フル出場と打席数・四死球・盗塁・犠打・三振数です。


三振も含めて、6つも1番があってよかった。
来月から練習試合・公式戦が始まります。
 
まずは、健康で楽しく野球ができる1年間でありたいと思います。
そして打撃職人になりたいですね。
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「子どもたちとパン屋さんへ」

2025年02月10日 | 大分県
天気予報では、日中、そんなに寒いということは言っていなかったのですが、いったん外にでると寒風が体にあたってきます。
体をしっかり冷やしてくれました。
 
今日は、朝から2年生の「まち探検」でした。

子どもたちは、希望するお店に行き、見学をして、そのあとに質問をしました。


担当は、「まつや」さんというパン屋さんでした。
今までにあまり歩いたことのない街並みです。
中津街道と言います。

こちらも「まち探検」です。

 
お家の方が2人ついてくれて、パン屋さん希望の7人の子どもたちと歩いてお店まで行きました。

お家の方の忙しい中のサポートに感謝です。


行く道の会話も楽しく弾みます。
それでも仕事中の時間なので、途中で、あいさつをしっかりすること、きちんとした声で質問をしていこうねということの確認をしました。 
 
お店は、見学に行く子どものおばあちゃんが営んでいるので、その子どももワクワクしている様子がよくわかります。


お店に入ると、
「よく来てくれましたね。」
と優しい言葉で迎えてくれました。
姉妹でお店を営んでいます。
お孫さんが来るので、お店の方もなおさらの歓迎です。

 
最初は、お互いにあいさつをしてから、まずは、調べたことからの質問タイムです。

「お店があいている時間はいつですか。」
「お店の休みはいつですか。」
「おすすめのパンは何ですか。」
「何種類のパンを作っているのですか。」
「パンができるのに、どのくらいの時間がかかるのですか。」
「何時ごろから仕事を始めるのですか。」
「お店を始めてどのくらいたつのですか。」
など、火鉢を囲みながら、可愛らしく質問をしていきました。
一つひとつていねいに答えてくれました。
 
子どもたちの様子に、見ているお家の方たちもにこにこです。

 
こちらも椎田の街道の街並みを知ることができました。
歴史を感じる街並みでした。
 
こういった人と人との関わりや地域に出かけていく中で、少しずつ、社会の仕組みを知り、マナーなども学んでいくと感じました。
最後はみんなで記念写真です。
 
お礼を伝えてから、店を出て、学校に戻りました。

学校でもお家の方は、子どもたちの姿が見えなくなるまで、手を振ってくれていました。
ほのぼのとした光景です。

有意義な時間でした。
2年生はこれから見学したことをまとめていきます。
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「寒さのなかでのあったかな話」

2025年02月09日 | 大分県
昨日、中学校勤務時代の生徒から、電話がありました。

職種は違うのですが、偶然にも今の勤務地に近いところに、その生徒も勤務しています。


しかし、会うタイミングがなかなかありません。
懐かしい声に嬉しく思いました。
 
仕事に頑張っていることをいろんな方から聞くことがあります。


社会の一線で、活躍していることがとても嬉しく思います。
中学校時代は、学校生活に、部活に積極的に頑張っていました。


その姿を今でもくっきりと思い出すことができます。
そして、彼に卒業写真を渡すときの笑顔も。


電話の話の内容は、
「先生、今度、結婚することになりました。」
ということでした。
 
寒波が訪れている中で、温かくなる話でした。
付き合っている人がいることは、いつか聞いたことがあるのですが、ついに新しい家庭を持つことになります。


お母さんやおばあちゃんたちは、どんなに喜んでいることでしょうか。
その顔を想像することができます。


数年前に、道路を歩いている姿を見ました。
「どこか行くのなら乗せていこうか。」
と車を止めて言いました。

すると、
「先生、今、トレーニング中です。」
家からもかなり遠い距離でした。


しっかり自分の意思を貫きながら、そして、夢の職業までたどりついています。

その気持ちの強さは、中学校当時からいちもくを置かれていました。そして今でも職場の方からも仕事ぶりや礼儀正しさからきっと感じ取られていることでしょう。
 
まもなく年度末を迎えます。
教員生活も44年目が過ぎていきます。

早いものです。

勤務している子どもたちも、確実に大きく成長をとげ、いつかは、今の大人を超え、時代を担っていきます。

逆にお世話になっていることが多いです。

 
わたしたち大人は、時代の担い手であるという、先を見据えたことも思いながら、子どもたちを大切に育んでいかなければならないといつも考えます。