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自然との語らい

2012年04月23日 | Weblog
幼き日自然の発見楽しんで
          野山を駈けた あの頃懐かし


昨日、母のところにお見舞いに行く途中、れんげ畑がありました。家族が「最近は、れんげ草が咲いている田んぼを見なくなったね。」とつぶやいていました。


確かにかつては、この季節、ほとんどの田んぼにれんげ草がありましたが、時代が移り変わるにつれて、その数は減っているように思います。

れんげ畑で車から降りて、写真を撮りました。れんげ草を見ると、思い出すことがあります。
それは、
 「れんげ草 妹とあんだ 首かざり」
とかつて小学校で教えた子どもが俳句コンクールに出品した作品です。入選することはなかったのですが、



「この間、妹と一緒にれんげ草の畑で首飾りをつくったんよ。それを思い出して、お母さんといっしょに俳句作った。」



何となくその時の情景が思い浮かばれて、ほのぼのしたものを感じました。今でもその句を覚えています。もうそれも20年以上も前のことです。



時代が移り変わっていき、生活の便利さが自然と隔離をするようになりました。また自分自身も生活にゆとりがないのか自然の美しさなどを見逃しがちになります。昨日のエッセイのように、車社会の中で、ゆっくりと景色を見ることは、稀です。



現代は現代で良さはたくさんあります。しかし、自然との共生は失われているのではないかと思います。帰り道や帰ってからの時間には、たくさんの自然との出会いがありました。



俳句のように、れんげ畑で遊ぶこともそうでしょう。畦道で、ちょっとふくれた豆をとって、「ピーピー笛」を作り吹きながら帰った日もあります。山に軽石を取りに行って、上級生から教えてもらい、軽石を釘などで掘り、紅葉の芽などを植えたこともありました。



かつて、子どもたちの賑わう声が聞こえた夏の山国川も静かなものです。数えれば、たくさんのことを自然から教えてもらいました。




今は、学校でも授業がしっかりと詰まっています。放課後も生徒たちは、塾や部活やクラブチームの活動などで追われています。



自然から発想していく力などを学びましたが、「与えれたもの」「させられるもの」には、子どもたちは対応できますが、自分たちで発想していくことの経験数、自然を媒体にして人と関わっていく時間は少なくなってきているような気がします。



これは、子どもたちが悪いのではなく時代がそうさせているのです。だから、今は、意識して、このような体験活動を仕組んでいく必要があるのではないでしょうか。


話はちょっと違うのですが、最近、ブログやフェイスブックで文章を書いたり、写真を撮ったりしています。書くことで、自然に目を向けることが少し復活したかなと感じます。教えた生徒のフェイスブックなどを見てもそんな写真を見ることが多いです。


使い方によっては、自然に目を向ける現代文化の効能はこんなところにもあるのかなとちょっと驚き。