震災を浴びて過ぎたこの1年
忘れることなけれ 被災者の思い
離任式が終わり、夜の送別会の時に、ある転任者が、東日本大震災の事にふれていました。
3月11日で1年が過ぎました。マスコミでも大きくとりあげられました。東日本に未曾有の大災害は決して私たちの心から消えることはありません。階上中学校の生徒が読み上げた卒業式の答辞が今も鮮烈に蘇ります。
「ちょうど、十日前の三月十二日。春を思わせる暖かな日でした。
私たちは、そのキラキラ光る日差しの中を、希望に胸を膨らませ、通いなれたこの学舎を五十七名揃って巣立つはずでした。
前日の十一日。
一足早く渡された、思い出のたくさん詰まったアルバムを開き、十数時間後の卒業式に思いを馳せた友もいたことでしょう。「東日本大震災」と名づけられる天変地異が起こるとも知らずに・・・。(略)自然の猛威の前には、人間の力はあまりにも無力で、私たちから大切なものを 容赦なく奪っていきました。
天が与えた試練というには、むごすぎるものでした。つらくて、悔しくてたまりません。時計の針は 十四時四十六分を指したままです。
でも、時は確実に流れています。
生かされた者として顔を上げ、常に思いやりの心を持ち、強く、正しく、たくましく生きていかなければなりません。
命の重さを知るには、大きすぎる代償でした。
しかし、苦境にあっても、天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていくことが、これからの 私たちの使命です。・・・(略)」
転任者の先生は、保健室の先生が保健室前に掲示している震災の時の写真のことにふれました。
今もなお、震災から一年がたった新聞の特集が掲示板に貼られています。生徒たちも真剣に見入っています。昨日、廊下に立ち止まって、読み直しました。
あの震災を私たちの心の中から忘れないことが、またどこかで行動できる、そして被災から、自分たちの生き方を考えていく大きな力となるのでしょう。
忘れることなけれ 被災者の思い
離任式が終わり、夜の送別会の時に、ある転任者が、東日本大震災の事にふれていました。
3月11日で1年が過ぎました。マスコミでも大きくとりあげられました。東日本に未曾有の大災害は決して私たちの心から消えることはありません。階上中学校の生徒が読み上げた卒業式の答辞が今も鮮烈に蘇ります。
「ちょうど、十日前の三月十二日。春を思わせる暖かな日でした。
私たちは、そのキラキラ光る日差しの中を、希望に胸を膨らませ、通いなれたこの学舎を五十七名揃って巣立つはずでした。
前日の十一日。
一足早く渡された、思い出のたくさん詰まったアルバムを開き、十数時間後の卒業式に思いを馳せた友もいたことでしょう。「東日本大震災」と名づけられる天変地異が起こるとも知らずに・・・。(略)自然の猛威の前には、人間の力はあまりにも無力で、私たちから大切なものを 容赦なく奪っていきました。
天が与えた試練というには、むごすぎるものでした。つらくて、悔しくてたまりません。時計の針は 十四時四十六分を指したままです。
でも、時は確実に流れています。
生かされた者として顔を上げ、常に思いやりの心を持ち、強く、正しく、たくましく生きていかなければなりません。
命の重さを知るには、大きすぎる代償でした。
しかし、苦境にあっても、天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていくことが、これからの 私たちの使命です。・・・(略)」
転任者の先生は、保健室の先生が保健室前に掲示している震災の時の写真のことにふれました。
今もなお、震災から一年がたった新聞の特集が掲示板に貼られています。生徒たちも真剣に見入っています。昨日、廊下に立ち止まって、読み直しました。
あの震災を私たちの心の中から忘れないことが、またどこかで行動できる、そして被災から、自分たちの生き方を考えていく大きな力となるのでしょう。