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南から攻め上がる鹿児島ユナイテッド2

2017-08-27 00:01:47 | サッカー(J3以下・外国・他カテゴリ)

 リスペクト(事例紹介)コラムです。
 当ブログでは、100年続くクラブ、100年もたずに消えていきそうなクラブという書き方をします。個人的はどちらもイメージがありますが、上手く表現できません。ここ数年でも消えていったクラブがあります。その事例を通して、スポーツクラブが消えるという事はどういう事なのかを時々取り上げてみたいと思います。3回シリーズの3回目。バレー、バスケときましたが、サッカーにも気になる事例がありました。
 Jクラブでは無かったが、限りなくJクラブに近いクラブでした。しかも2つも。それは「鹿児島」です。同じ県に2つも要らないとJリーグから指導を受けて、1つに統合されました。聞いた時は正直ビックリでした。かつての横浜フリューゲルズのマリノスへの吸収以降、こういった例は見当たらなかったですが、Jリーグの手前にあったのです。まずは、旧2クラブ、そして現在の鹿児島さんについて、抜粋して紹介。
                 
【ヴォルカ鹿児島】
 '59年、「鹿児島サッカー教員団」として創設。'73年、九州リーグに参加し、一度も県リーグに降格無し。'95年、Jリーグ入りを目指す方針でクラブチームに移行。'03年、SPONET鹿児島を設立したが、プロ選手への給料の遅配が発覚しプロ選手はクラブを離脱。'05年、経営危機に陥り、SPONET鹿児島を解散。新たに運営団体として「ヴォルカ鹿児島評議会」を設立。'07年、クラブの法人化に失敗し、ヴォルカ鹿児島評議会を解散。'08年、新しい運営団体として「KAPS(Kagoshima Arcadia Project Sports)」を設立。'11年、クラブが法人化。'13年、JリーグからFC KAGOSHIMAとの一本化の要求があったため、Jリーグ準加盟申請を断念。'13年、ヴォルカ鹿児島と統合してJリーグ入りをする事で合意し、活動終了。

【FC KAGOSHIMA】http://www.k-sapo.com/
 '94年、社会人登録の鹿屋体育大学クラブとして創設。'04年、九州リーグ昇格。「大隅NIFSユナイテッドFC」に改名。その後県リーグと昇降格を繰り返す。'10年、現チーム名に改名し、九州リーグ復帰。本格的に将来のJリーグ入りを目指す。'12年、九州リーグ初優勝。'13年、ヴォルカ鹿児島と統合してJリーグ入りをする事で合意し、活動終了。

【鹿児島ユナイテッド】http://www.kufc.co.jp/
 両クラブは'12年にチーム統合の基本合意を発表したが、統合後のクラブの代表者人選や債務引き継ぎといった運営実務面での意見がまとまらず、戸の時に一度破談。'13年、両チームは前年同様に前年同様にJリーグ準加盟申の準備を進めたが、Jリーグ側から改めてチーム統合、申請の一本化指導を受け、ともに準加盟申請を断念。その後両チームは改めてクラブの統合について協議、'14年にクラブを統合する事を決定。
 '13年の地域決勝で両クラブともに決勝ラウンドに進出し、どちらかが3位以内というJFL入会基準をクリアし、鹿児島ユナイテッドFCとしてJFL入会が承認。'14年のJFL、前期は2位、後期は3位。この年にJリーグ百年構想クラブを申請し、'15年に入って認定、JFL4位でJ3に参入。'16年、J2ライセンスを申請したがスタジアム基準で不交付。
   
 鹿児島県にはJクラブは2つも要らないとJリーグから強い指導を受けたが、一度破談して別々に準加盟申請するが、やはりJリーグから強い統合の指導を受けて、渋々?統合した経緯。FCさんと比べてヴォルカさんは50年以上の歴史を持つ古豪。そりゃ解散には抵抗観あったでしょう。FCさんの存在さえなければと。でも、ヴォルカさんは歴史を見ると、経営危機もあり、かなり苦労されていますね。結果オーライですが、良かったのではないでしょうか。当ブログでは、「Jクラブの付加価値」という評価基準で、J3以下の市民クラブでは、奈良さんと並んで鹿児島さんも評価が高いです。県民と対話し、地域に根差した地域の宝として日々の活動をいつも見ています。先日加入したJリーグ公式アプリでも、J3では鹿児島さんを指定するくらい。確か県下各地で対話集会されていますね。ぜひ、J2へ上がってきて欲しいJ3クラブと思っています。
 そして、ふと思ったのがそういえば岡山にも一時期、JFLクラブが2つあった時期があったなと。水島FCさんは結局企業チーム?の道を貫き、Jリーグ入りに手を挙げなかったですが、もしあの時期に支援者が現れて、Jリーグ入りで本気で動いていたらどうだったのかと。極端に飛躍した架空の妄想ばなしになりますが、鹿児島さんと同じ道を歩み、ファジではなく「岡山ユナイテッド」になっていた可能性もゼロではなかったかもと。

 こういう風にサッカーでも、Jクラブの手前のカテゴリで、市民クラブの統廃合が見られます。「ユナイテッド」と名前がついたところがそうですね。高知ユナイテッドは、共に四国リーグのアイゴッソ高知と高知Uトライスラーが統合して発足し、その後2クラブとも解散しています。福島ユナイテッドは福島夢集団ユンカースとペラーダ福島が統合し、両クラブは解散したクラブで、福島県は今でこそ一本化していますが、もともとはJリーグを目指す市民クラブが群雄割拠していた地域。しかも、現在はいわきFCという新たな存在が出てきています。また、愛媛県も福島県と同じ状況になってきました。両県に共通するのは、県内第2のJクラブの存在を視野に、企業の影響が加わって、もう一つの勢力が台頭してきたという事。これは全国の都道府県でどこでも可能性があると思います。例えば、未来の岡山でもひょっとしたらどこかの企業か何かの勢力が、県内のクラブとつながって、そういう存在として台頭してくる可能性がゼロでは無いと思います。

 もう一つ個人的に気になる動きで、Jクラブを増やそうという動きと、多いから減らそうという動きの相対立する関係がある点。現在はJリーグで公式に全国で100クラブにしようという考え方が主流ですが、「Jプレミアリーグ」構想に見られるように、J1やJ2のクラブが多いから全体的にレベルが低下している。プレミアリーグを作って高いレベルをキープするべきという考え方が存在しています。これは一体どういう事なのかと。
 全国に100クラブとすると、J1が18、J2が22、J3が18として合計58。残りの42がJ4やJ5というカテゴリになってくるでしょう。では5部リーグがJリーグと言えるのかという論調になります。当ブログでは申し訳ありませんが、J3は元々半分アマチュアの「チャレンジリーグ」と認識していました。今でこそ、元J2のクラブが増えてきて、プロチームが増えてきたと思いますが、観客動員数ではJ3発足当初は千人に満たない試合ばかりでした(前節はどこも多かったですね)。J4やJ5になれば平均500人というプロサッカーリーグになりませんか? その流れでは「Jクラブが多い」という論調になってしまいます。
 そういういろいろな事象を目にし、気にすると、50年後はJ2でも普通にクラブが統合による解散という事例が起こっているかもしれないと思ってしまいます。もう一つ気になる存在が他のプロスポーツ。BリーグがJリーグを追い抜いているかもしれない。プロリーグ化したバレーがブームになっているかもしれない。そういう状況になれば、スポンサーの取り合いが激化した結果、お上から各プロ競技のクラブ数の健全化が打ち出され、減らそうという動きが出てくるかもしれません。あー、すいません、今日はかなり想像力を発揮し過ぎてしまいました。申し訳ありません。忘れてください。
 でも、当ブログではそういう論調もこれからも胸に抱いて、日本のスポーツ文化を注視していきたいと思います。Jに上がれば未来永劫安泰だと、のほほんと構えていたら、今は大丈夫でも、将来はわかりません。100年続くクラブになるためには、ファン・サポーター目線で絶えず地域と対話し、地域に根差す事だと個人的に思います。
消えてしまったクラブ②(バスケ編):http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20170821
  〃          ①(バレー編):http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20170812
J3鹿児島関連④:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20160319
  〃      ③:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20130813
  〃      ②:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20080922
  〃      ①:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20051012

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