お散歩マトリョーシカ karat

マトリョーシカ好きではじめたブログです…マトリョーシカや編み物や猫、四季折々のお散歩の景色や自然、その他色々…。

神様のがまん比べ

2019-03-17 11:27:52 | その他

 

子供の頃読んだ話で今でも思い出すのが、

 「二人の神様が、眠らないでいるのと糞をしないでいるのと(尾籠な話で恐縮ですが)どちらが苦しいかと言い合いになり、それではやってみようと、お互い苦しくないと主張した方をとって旅に出た。眠らないをとった神様は眠らないために重い石をもって歩いた。そしてある国にきたところでとうとう、一人がもう我慢できないと排便をし、同時にもう一人も石を放り出して眠ってしまった。その放り出した石は、どこそこにある〇〇岩で、糞も草にはねて〇〇として残っている…。」というもの。

私たちの幼少時、本は娯楽であったし、そう沢山本があったわけでもないので、家にあったのを繰り返し読んだはずですが、同じ本を読んだはずのきょうだいに聞いてもそんな話は覚えていないといいます。

本当の所はどうだったのか気になっていて、そういえば、ネット検索すればいいじゃないか!と気づいたのが最近です。そして便利な世の中になったもので、その神様の名前が分かりました。オオクニヌシノミコト(この話の当時はオオナムチという名前)とスクナヒコナでした。

そこまで分かれば、図書館で神話の本を調べればいいわけで…。

すると、記憶違いがあり、一人は「眠らない」ではなく、ただ重い粘土(埴:はに)を担いでいく、でした。この埴を担いだのがスクナヒコナです。上の絵(出雲井晶「日本の神話」より)はスクナヒコナをあらわしていますが、彼は粟の霊で、とても小さい神様です。

そして、「その埴を投げ捨てた丘を埴岡という。またオオナムチ(オオクニヌシ)が大便をしたときにササがそれをはじきあげたので、この村を波自賀(はじか)の村という」。

このときの粘土と大便は石となって今も残っている…。という話で、話の出どころは、「播磨国風土記」でした。

 この二冊を参照しました。

「眠らない」じゃなくて「重い埴を担いで」でしが、はたしてスクナヒコナがこの旅の間眠っていたかどうかは短い文章では分かりません。重い埴を担いでいたら眠れなかったかもしれません。

排便と睡眠を我慢する…のは大変苦しいです。

これが反対に、したくてもできない便秘と不眠の症状…。こちらも苦しいです。

私は後者が結構引っかかっていて、この話を記憶の底から引っ張ってきたみたいです。

ただ、上二冊のどちらの本か、粘土と大便の結びつきは、土器製作や食料生産といった生活活動が密接にかかわっていたことをあらわしている、と書いてあり、人間の便秘や不眠の悩みと結びつけてはいないようです。昔はそんなことでは悩まなかったのかな?

でも、私としては現代人の悩みに通じる物があると思ったのですが…研究者じゃないので(^^;)。

 

コメント
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