昔から、瞬間的な集中力というか、没頭力(?)というか、そういうのがものすごくて、
何か1つのことに意識を奪われていると、他の感覚がすべて麻痺してしまうという、ちょっと病気みたいなところがあった。
子供の頃から、例えば本など読んでいて、親が普通に部屋に入って来たら、
それこそ文字通り、飛び上がって驚いたものだ。
「そんなびっくりしなくても……」
と相手のほうがびっくりしてしまうという驚きよう。
意識が完全に外界と分離されている感じなのだ。
ちょっと前もこんなことがあった。
塾で生徒に電話して「数学の問題集を持ってきて」と伝えていた最中。
生徒はお風呂だったので、お母さんに話をしていた。
親御さんなので失礼がないように、丁寧にと、全意識を集中させていると、また他の感覚はすべて遮断される。
電話を切ったら、他の講師が訝しげな顔をして私を見ている。
「え?どうしたの?」と聞いたら、みんな声を揃えて、
「聴こえなかったんですか?」と言う。
「何が?」
そういえば何かしゃべっていたか?
いや、何の記憶もない。
言語ではなくノイズのようなものは耳に届いていたかもしれないが、それは何の意味ももたない。
話を聞けば、どうやら電話をしている私にみんなが「白プリントも持ってきてって伝えたらどうですか?」と何度も声をかけていたらしい。
それも、1メートルも離れていないようなすぐ隣で。
私もびっくりしたが、周りの人もびっくりしていた。
若干、引いていた。
そんな聴こえないことがあるのかと。
でも、あるんだ。
昔からそうだ。
ドライヤーかけながら考え事していて、そっちに意識が入り込んでいるときに、
夫が後ろに立ったりしたら、それだけで腰を抜かすほどびっくりする。
仕事中、電話が鳴ったりしても、さすがにその音は耳に入るが、また飛び上がる。
そして、言いようのないイラつきを覚える。
例えて言えば、ぐっすり眠っている最中に無理やり起こされたときのような感じ。
「あっちの世界」に意識は完全に行っていたのに、無理やり「こっちの世界」に引き戻されたような。
文章を書いている時は特にそうだ。
ちょっとした物音でも反応して、集中できない。
だから、オフィスで人と一緒に仕事をするなんて、私には考えられない。
以前は事務所で3、4人と一緒に仕事をしていたこともあったが、やっぱり集中できなかったな。
集中できないので、逆にすぐ人に話しかけて、嫌がられたものだ。
図書館で勉強とかも無理だし、
2回くらい、漫画喫茶みたいなところで漫画を読むということにもチャレンジしてみたが、これも無理だった。
まず人がいるというだけで、自分の世界を作り出して入り込むということが難しいのだ。
でも、一度入り込むと、完全に外界と遮断できるほど深いところまで意識が到達する。
この集中力はおそらく人より深い。
自分でもなぜこんなふうになるのかわからない。
結局何が言いたいかというと、昨日、地震が起きた。
大阪でも震度3だったらしく、かなり揺れたとか。
普通に座って仕事をしていたが、全く、微塵も、揺れを感じなかったのは、
私の意識が完全に向こうに行っていたからじゃないかと。
それが言いたかっただけなのだが……。
・・・・・・・
塾講師に岩手県出身の人がいて、昨日すぐにメールしたけれど、
今日になってご両親と連絡がつかないとのこと……。
単身、大阪に出てきているから知り合いも少なく、不安だろう。
何か力になってあげられたらいいのだけれど。
栃木のもんちゃんは、停電の中、一晩過ごしたけれど、無事だった。
横浜の友達も大丈夫だった。
でも、大変な被害が起きている。
テレビの前でゴハンを食べている日常が奇跡にすら思えてくる。
夫が先月まで東京にいたが、その時泊まっていた九段会館の天井が落ち、死者が出ているのを見たときはぞっとした。
夫のバンド仲間も仙台に勤めていて、たまたま退職して関西に帰って来たところ。
ほんの少しの、タイミング。
これが、生かされている、ということか。
崩壊し、水没した街と、どんどん増えていく死者のテロップを見ながら、
改めて阪神大震災の被害の大きさも実感する。
6000人やもんなぁ……
まだ余震も津波も心配。
今回は範囲も広くて、もう日本列島ごとやられそうで、ひと事でもない。
とにかく被害が少しでも広がらないように、無事でありますようにと祈るのみ。
すぐそばでは死ぬか生きるかの状況なのに、
こちらは仕事に追われてパソコン前から動けないということの、
何か本質的な不条理を感じつつ……
それでも、生かされているものは、今日の労働をこなさなければならないわけで。
なんだかなぁと思いながら、やりきれない気持ちで、曇ってるのか晴れてるのかどっちつかずの空を見る。
スピーカーからは、Georgia On My Mind……
最後に、亡くなられた方のご冥福を心からお祈り致します。
何か1つのことに意識を奪われていると、他の感覚がすべて麻痺してしまうという、ちょっと病気みたいなところがあった。
子供の頃から、例えば本など読んでいて、親が普通に部屋に入って来たら、
それこそ文字通り、飛び上がって驚いたものだ。
「そんなびっくりしなくても……」
と相手のほうがびっくりしてしまうという驚きよう。
意識が完全に外界と分離されている感じなのだ。
ちょっと前もこんなことがあった。
塾で生徒に電話して「数学の問題集を持ってきて」と伝えていた最中。
生徒はお風呂だったので、お母さんに話をしていた。
親御さんなので失礼がないように、丁寧にと、全意識を集中させていると、また他の感覚はすべて遮断される。
電話を切ったら、他の講師が訝しげな顔をして私を見ている。
「え?どうしたの?」と聞いたら、みんな声を揃えて、
「聴こえなかったんですか?」と言う。
「何が?」
そういえば何かしゃべっていたか?
いや、何の記憶もない。
言語ではなくノイズのようなものは耳に届いていたかもしれないが、それは何の意味ももたない。
話を聞けば、どうやら電話をしている私にみんなが「白プリントも持ってきてって伝えたらどうですか?」と何度も声をかけていたらしい。
それも、1メートルも離れていないようなすぐ隣で。
私もびっくりしたが、周りの人もびっくりしていた。
若干、引いていた。
そんな聴こえないことがあるのかと。
でも、あるんだ。
昔からそうだ。
ドライヤーかけながら考え事していて、そっちに意識が入り込んでいるときに、
夫が後ろに立ったりしたら、それだけで腰を抜かすほどびっくりする。
仕事中、電話が鳴ったりしても、さすがにその音は耳に入るが、また飛び上がる。
そして、言いようのないイラつきを覚える。
例えて言えば、ぐっすり眠っている最中に無理やり起こされたときのような感じ。
「あっちの世界」に意識は完全に行っていたのに、無理やり「こっちの世界」に引き戻されたような。
文章を書いている時は特にそうだ。
ちょっとした物音でも反応して、集中できない。
だから、オフィスで人と一緒に仕事をするなんて、私には考えられない。
以前は事務所で3、4人と一緒に仕事をしていたこともあったが、やっぱり集中できなかったな。
集中できないので、逆にすぐ人に話しかけて、嫌がられたものだ。
図書館で勉強とかも無理だし、
2回くらい、漫画喫茶みたいなところで漫画を読むということにもチャレンジしてみたが、これも無理だった。
まず人がいるというだけで、自分の世界を作り出して入り込むということが難しいのだ。
でも、一度入り込むと、完全に外界と遮断できるほど深いところまで意識が到達する。
この集中力はおそらく人より深い。
自分でもなぜこんなふうになるのかわからない。
結局何が言いたいかというと、昨日、地震が起きた。
大阪でも震度3だったらしく、かなり揺れたとか。
普通に座って仕事をしていたが、全く、微塵も、揺れを感じなかったのは、
私の意識が完全に向こうに行っていたからじゃないかと。
それが言いたかっただけなのだが……。
・・・・・・・
塾講師に岩手県出身の人がいて、昨日すぐにメールしたけれど、
今日になってご両親と連絡がつかないとのこと……。
単身、大阪に出てきているから知り合いも少なく、不安だろう。
何か力になってあげられたらいいのだけれど。
栃木のもんちゃんは、停電の中、一晩過ごしたけれど、無事だった。
横浜の友達も大丈夫だった。
でも、大変な被害が起きている。
テレビの前でゴハンを食べている日常が奇跡にすら思えてくる。
夫が先月まで東京にいたが、その時泊まっていた九段会館の天井が落ち、死者が出ているのを見たときはぞっとした。
夫のバンド仲間も仙台に勤めていて、たまたま退職して関西に帰って来たところ。
ほんの少しの、タイミング。
これが、生かされている、ということか。
崩壊し、水没した街と、どんどん増えていく死者のテロップを見ながら、
改めて阪神大震災の被害の大きさも実感する。
6000人やもんなぁ……
まだ余震も津波も心配。
今回は範囲も広くて、もう日本列島ごとやられそうで、ひと事でもない。
とにかく被害が少しでも広がらないように、無事でありますようにと祈るのみ。
すぐそばでは死ぬか生きるかの状況なのに、
こちらは仕事に追われてパソコン前から動けないということの、
何か本質的な不条理を感じつつ……
それでも、生かされているものは、今日の労働をこなさなければならないわけで。
なんだかなぁと思いながら、やりきれない気持ちで、曇ってるのか晴れてるのかどっちつかずの空を見る。
スピーカーからは、Georgia On My Mind……
最後に、亡くなられた方のご冥福を心からお祈り致します。