明日元気になれ。―part2

毎日いろいろあるけれど、とりあえずご飯と酒がおいしけりゃ、
明日もなんとかなるんじゃないか?

怠惰は罪

2011-03-01 01:17:15 | 想い
「怠惰」とは、罪である。
ずっとそう思って生きている。

しかしながら、このことに限らず、私は理想だけがしっかりあって行動が伴わないことが非常に多いという、なんともやっかいな人間なので、
自分の怠惰に嫌気がさし、自己嫌悪に陥ることも多々あるわけで

たぶん、人と比べれば、相対的に見れば、決して怠惰な人間ではないと思う。
ただ、私は何でも物事を「相対的に見る」ということができない。
いつも絶対的。
それは、自分の中で何に対してもきちんとした基準があるからで。
あくまでも「自分の基準」だけれど。
だから、人が怠惰だろうと、なんだろうと、それはどうでもいいのだ。
人と比べて、「あの人よりマシ」とか、そういう考え方は一切無い。
比べているのではなく、自分の理想、自分の基準に達していないから自己嫌悪に陥るだけだ。

仕事においてもそうだ。
私はだいたい痛い目を見るまで自分の怠惰に気付かない。

この「物書き」という仕事も、何年もやっていると、だんだん「要領」で書くことを覚えてしまう。
ここに「怠惰」が顔を出す。

私は昔から「仕事が早い」と言われる。
確かに同じ事務所で一緒に原稿を書いていても、人の3倍くらいの速さで書ける。
もちろん、クオリティが3分の1になっているわけではない。
同じか、それ以上。

漫画家でも、描くのが速い人と遅筆な人というのがいる。
藤子不二雄A氏が「まんが道」の中で描いていたけど、手塚治虫先生や石森章太郎先生はめちゃくちゃ描くのが速かったという。
藤子不二雄は二人とも遅筆。
その差は何なのか?
A氏が書いていたのは、「線を引くスピード」なのだとか。
絶対的な自信をもって線を引けるかどうか、そのスピードで決まるのだという。

まんがとは違うが、文章もちょっと似ていて、絶対的な自信をもっているときというのは、書くのが速い。
その「自信」はどこから来るかといえば、自分の才能とかそういうことじゃない。
取材した時の「感動」と「理解」があるかどうか。
速く書ける原稿というのは、取材しているときからもうわかっている。
取材しながらも既に頭の中でプロットができていて、あとは紙の上に打ち出すだけの作業。
考えない。
作らない。
だから、速いのだ。

しかし、取材中に何の感動もなく、話も理解しきれていないと、当たり前だが書くのは困難だ。
さて……と、メモを取り出し、時には録音を聴き(私はほとんどないが)、
組み立て、作り出していくという作業がある。
だから、遅い。

「頭の回転が速いから、書くのが速いのよ」と言われることもあるが、私はそうじゃないと思っている。
それは、実感としてわかる。
本当に、何時間かかっても書けないものもあるのだから。

そして、恐ろしいのは「要領」で書けること。
毎日文章ばかり書いて生きていると、素材をチョイチョイと料理できるようになる。
これが「怠惰」だ。
本当に怖い。

もちろん、怠惰をこれほど憎む私だから、「チョイチョイとやったれ」と思っているわけではない。
だけど、いつも100%か?と問われれば、数パーセントは要領でこなしてしまっているように思えて。
それで自己嫌悪に陥る。

今回、久しぶりに「難しい」と思う記事を担当させてもらった。
一部上場企業の幹部役員に来期の方針を聞き、まとめるというもの。
専務や常務、本部長など4名を取材した。

そこで、自分のボロが出た。

「わかっているつもり」でいただけで、実際にわかっていなかったワードが話に出る。
その時は意識していなくて、「ふんふん」と聞いているのだけど、「書く」段階になると自分の無知が見えるのだ。

「教える」ことと似ているかもしれない。
人に教えるには、問題を解けるかどうかじゃなくて、「本当に」理解していないと無理だ。
書くのも同じ。
「本当に」理解していないと、表現できない。
キーボードを打つ手が何度も止まった。
だから、改めてワードをネットで検索したり、資料を読み返したり、録音を聴き直したり、そういう作業が必要になってくる。
ものすごく時間がかかる。
遅筆になる。

2時間でできると思っていることが5時間になって、ハッとする。
この3時間が、自分の「怠惰」だったのだ、と。
普段からもっと勉強していれば、この3時間は必要なかったはず。
取材の時からもっと深い質問ができていて、もっといいものが速く書けたはず……。

反省はしたが、後悔しても仕方がないので、とりあえずベストを尽くす。
決して「要領」では書かないように。

今日、夜になってようやく仕上がって、送った。
すぐに編集の方からメール。

「すごいですね。
 さすがって声に出ました」

なんというのか……
このメールを読んだ瞬間、ホッとした。
体中の力が抜けた。
「褒められた」なんて嬉しい想いではない。
「なんとかクリアした!」というギリギリの想い。

私の大嫌いなギリギリセーフ。

それで「よかったー!」なんて胸をなでおろしていたら、そこまでだ。
いつもギリギリでOKだと思ってしまうだろう。
そんなのは絶対に嫌だ。

OKもらってホッとした、なんていうのは、自信のなさの表れ。
そんなのプロの仕事か?

自分をフォローするとすれば、フリーの難しさは確かにあるのだ。
特に私はジャンルを問わず幅広く書くから、流通のことだけを勉強していたらいいわけじゃない。
ファッション、食品、製造業、健康、求人、電化製品、冠婚葬祭……
本当にいろんなジャンルのことをその都度、勉強していかなくてはならない。
言葉のチョイスから、法律まで関わってくる。
だから、専門的になるのは難しい。

でも、ある程度のことを任されれば、そこまで勉強しないといけない。
私を育てようと、いろんなことを教えてくださって、いろんな記事を書くチャンスを与えてくれる。
そういう想いには、ちゃんと応えなければならない。

それが、プロの仕事だと思うから。
何より、人の想いに、自分の怠惰で応えられないなんて、恥ずかしい。

今回の仕事は難しかったけれど、本当に勉強になった。
人の優しさに甘えず、もっと期待を超えられるようなライターになろうと思った。
貪欲に勉強しよう。

久しぶりに壁にぶつかって、仕事のことで本気で自己嫌悪に陥ったけど、そのおかげでまたひとつ成長できたように思う。

仕事以外では、「優しさ」ということについて、ずっと考えていた。

10歳の時に読んだ本の中にあった言葉。

「優しいことは、強いのよ」

大人になった今も、この言葉をいつも繰り返している。
優しいことは、強いんだ、と。
優しい人間になりたければ、強くならなくては、と。

親切や、人と穏やかに付き合うことが優しさだなんて、私は思わない。
でも、つい、面倒になって、そうしてしまいそうになる。
それも、怠惰。

小さなことも責任をもってできない人間が、大きなことなんてできるわけがないと、そう自分を戒める。
そして、毎日の小さなことをきちんとやろうと気を引き締める。

決して怠惰になってはいけない。

別にクソ真面目に、がんじがらめに生きてるわけじゃない。
酔っ払って京都線を3往復するもよし
人に迷惑かけなきゃ、ダメダメ人間でもまあいいやと思っている。
生活は楽しめばいい。
でも、本当の楽しさなんて、「ラク」の中からは生まれないから。
労働の後だから、お酒がおいしいのと同じで。

そして、怠惰では成長しないし、本当の意味で人に優しくもできないと思っている。

絶対に自分が守らないといけない信念。
それが「怠惰は罪」なんだと、改めて思う今日この頃。