明日元気になれ。―part2

毎日いろいろあるけれど、とりあえずご飯と酒がおいしけりゃ、
明日もなんとかなるんじゃないか?

銀の匙

2011-03-03 01:27:28 | Weblog
テレビを見ていたら、進学校で有名な灘高の伝説みたいになっている国語の教師(98歳)のことが出てきた。
その先生は、国語の授業に普通の教科書は使わず、中勘助の『銀の匙』のみを使っていたという。

その選択がすごいなぁと思った。

私の部屋の書棚の一番手前、目立つところに置いてある、自分の『銀の匙』を久しぶりに手に取ってみる。
1935年初版だというこの作品。
パラパラとめくる。
一番後ろのページに「150」と鉛筆で記されていた。
なんだか愛しい気持ちになる。

私の近代文学の本はほとんどこういう数が書かれてある。
古本屋で買ったからだ。

お金のない学生時代、とにかく本が読みたくて、古本屋に通っては買いあさった。
この頃に、文学史に載っているくらいの日本の近代文学はほとんど読み尽くした。

『銀の匙』は正直に言って、その頃全く興味はなかったのだが、
文学マニアみたいな人ばかり集まった変な大学だったものだから、
その中の一人が話の中で「最近、中勘助を読んでる」なんて言うと、気になって仕方が無くなり、速攻で買いに行ったという思い出がある。

文学を語れないなんて、恥みたいなところがあった。
(本当に明治時代のままみたいな大学だった)
清少納言が歌で上手い返しをしたのを自慢げに書いてるみたいに、普段の会話で昔の文学を引用したりも日常茶飯事だった。

1泊研修でも、夜通し酒を酌み交わしながら話す男の話は、太宰や芥川(苦笑)

キライじゃないけど、健全な大学生としてこんな状況にどこか違和感を感じていた私は
、ま~、当然のごとく孤立していった。

休講になると、友達とつるむわけでもなく、一人、奈良町へでかけ、猿沢の池で亀と五重塔を見ながら本を読んで過ごした。

おかしな大学時代だった。
文学部にも関わらず4回生は理系のごとく、地獄の研究室だったし。

全授業に出席しても出席はとってくれない。
テストで落とす。
決して過去と同じ問題はない。
だから、私立大学の友達が過去問を先輩からコピーさせてもらったというのを聞いて衝撃を受けた。
そんなことがあるのかと。

図書館と研究室の往復の日々。
たった8単位の卒論のために1年間かけた。
法華経と古文書と向き合う毎日。
(鎌倉時代の仏教説話を研究していたので)

1学年26人しかいなかった国文学科では、この8単位を落として卒業できなかった人もいた。
(26人は私の大学ではかなり多いほう。哲学科は2人だった)

今思っても、おかしな大学だったなと思う。
一応、高校受験も大学受験もクリアしてきた私なのに、大学生になってから、母がこう言った。
「かおりちゃんは、今が一番勉強してるわね」

それくらい卒業するのが大変だった。
(まあ私がたまたま身の丈に合わないような大学に受かってしまったからだけど)

卒業以来、周りで誰も『銀の匙』の話をしたことがない。
テレビでも聞いたこともない。

だから、久しぶりにそのタイトルを聞いて、一瞬で猿沢の池の亀のところまで気持ちが戻った。

ふと、お世話になったゼミの先生の言葉を思い出した。

国文学なんて、社会に何の役に立つのかって思いますよね。
でも、こうして資料を紐解いていくこの作業は、必ず社会でいろんな仕事をした時に役立ちますから。

うん、たしかに。
役立ってるなぁ……

とりあえず、『銀の匙』を久しぶりに読み返してみようか。