明日元気になれ。―part2

毎日いろいろあるけれど、とりあえずご飯と酒がおいしけりゃ、
明日もなんとかなるんじゃないか?

誰かの役に立つ仕事

2008-02-15 18:33:18 | 仕事
林社長と会った。
Mさんと3人で、林さんの会社で2時間ほど会議。
4月からスタートさせる新事業の打ち合わせだった。

自分がずっとやりたかった「人の人生を書いて1冊にする」こと。
一人ではどうにもならなかったけれど、林さんが自分の会社の事業の1つとして立ち上げてくれることになり、私は自分の書きたかったものを書けるという、まるで夢のような話が現実になった。

もう少し具体的になったら、ここにも発表できると思う。

林さんと話していたら、なんだか元気になった。
それは、仕事をもらえるとか、そういうことを抜きにして。
生き生きと輝いた、誠実そうな目でビジネスを語る彼女を見ていたら、
それだけでこちらもパワーをもらえるし、
なんというか・・・わくわくするのだ。

ビジネスを語るとき、彼女はいつも「みんなが幸せになる」と言う。
何度も何度も。
そのビジネスに関わる人がみんな幸せにならなくてはならないと、
そういう気持ちで仕事をしているからだ。
そこにいつも共感する。

「明治の人」も2年計画で、100人を目指して取材していくことになった。
今は、関わった人がそれぞれ好きなスタイルで書いているし、
やはりプロの文章ではないので読みづらい点も多いのだが、
1冊の本にまとめるときは、私にリライトをさせてくれるという。
ありがたい。
いいものを作りたいな。

私はこの「明治の人」については、無報酬でやっている。
もちろん、他の仕事をまわしてほしいからではない。
(これは無報酬でやると決まってからいただいた話だ)
林さんの気持ちに打たれたし、自分のためにもなるし、
そして、おそらく自分の取材力や文章力が何らかの役に立つと、
そう感じたからだ。

「やっぱりプロのライターさんは違う」と、林さんとMさんが言ってくれた。
また、他のプロのライターさんとも違う、と。
「わかりやすくて、読みやすい。言葉がやさしい」のだとか。

これは、私がいつも目指していることだから、何よりの褒め言葉だなぁ。

今日は林さんに救われた。
いつも、本当に困ったときには、なぜか誰かの救いの手が伸びてくる。
神様は人員配置がとても上手だ。
うまく生きていけない私の隣には、いつも素晴らしい人がいる。
人には本当に恵まれている。

私はずっと「職業に貴賎なし」と言い続けてきたけれど、
仕事の質は区別していたかもしれないな、と思った。
これはつまらない仕事とか、これは大きな仕事、とか。
どんな仕事内容でも、この世の中で役に立たないことはない。
そのことをもう一度心に留めて、
今ある仕事をコツコツと、一所懸命やっていこうと誓った。
きっと「誰か」の役に立つのだから。
(たぶん、その「誰か」は、私の書いたものを気にもとめないだろうけど)

私の夫は、電化製品のカタログやサイトを作っている。
彼と知り合ってから、ヨドバシに行って、何かのカタログを手にするとき、
「ああ、これも誰かが彼のように、毎晩終電までかかって作ったものなんだなぁ」と思うようになった。

「読み捨てられること」を無価値だと思ってしまったら、
ライターの仕事なんかできないのかもしれない。
今の日本には読み物があふれかえっている。
読み捨てられるものが9割だろう。
だけど、それは絶対に誰かの役に立っているのだ。
ほんの一瞬でも。

考えてみれば、ライターに限らず、全ての仕事がそうなのかもしれないな。

それどころか、「こんなふうに書いてくださって、ありがとうございます」と言ってもらえる(エンドユーザーの喜んでいる顔を見られる)ことがいくらかでもあるだけ、幸せなのかもしれない。

いろんな企業を取材していると、この言葉によく出会う。
「お客様が喜んでくれたことが一番嬉しかった」と。
これは接客業だけでなく、システムエンジニアの人だって、製造業の人だって、そうなのだ。

人って、そういうものなのかもしれないな。

林さんが今日言っていた。
「明治生まれの人を取材していて、『今まで生きてきて一番嬉しかったことは?』と訊いたら、自分のことを挙げる人はいない。みんな、子供や孫や嫁や・・・他の人の幸せが嬉しいって言う。人間の幸せってそういうことなんやと思う」と。

それを聞いて、なんだか心がほわっと温まった。

私も塾を辞めるとき、自分の生徒に言った。
「人の幸せを自分のことのように喜び、人の不幸を自分のことのようにつらく思える人であってほしい。少々アホでもいいから!」と。

今日はいろんなことを思い返した。
そして、力を得た。
人として間違った生き方さえしていなければ、
きっとなんとかなる。
そんなもんだよな。

私の求めるものは。

2008-02-15 00:24:31 | 仕事
自分が夢見ていたもの、
本当に望んでいたものは、一体何だったんだろう。

なんだかわからない屈辱をなめながら、
それでも生きていくために、文章を書く。

どこかで大きく何かを変えないと、
このままではいけないな、と思いながら。

何でもいいですから、安くてもいいですから、
文章を書く仕事をくださいと、頭を下げる自分は
なんだかとてもみじめで、
夜になると酒を飲んで、ギリギリと奥歯を噛み締める。
自分が情けなくて、涙が出る。

フリーでありながら、10年も一つの会社に肩入れしすぎた、
(そして、軌道に乗ればあっさりと捨てられた)自分を
こんな日は本当に情けなく感じる。

でも、誰も悪いわけじゃないし。
誰も責められない。

「えびすさん効果」はやっぱりなかったようで、
月10万分の定期的な案件が終了した後は、
今度は別の契約先の私の担当ディレクターが東京に転勤になった。
今日、電話があった。
彼女だけなら引継ぎなどがあるのだろうが、
その営業所自体が東京に吸収されるらしく、
今後は今まで通り、仕事をもらえるかわからない。

もう終わりだ・・・

でも、明日食べて生きていくために、今日は3社営業。
自分が絶対やりたくなかった仕事もあるが、仕方がない。
思った通り、すぐに採用された。
だけど、こんな仕事をするのかと思うと、涙が出る。
人の書いた文章をリライトする仕事だ。

そうまでして、文章を書くことにこだわる必要などあるんだろうか?
今度はこんな疑問が湧き上がる。

「私は才能ないのかな。他のライターさんはうまくやってるのに」
と私が言うと、彼は、
「それはネットワークの問題や」という。
確かに、自分の仕事ぶりがダメだからと切られることはない。
10年、一つの会社と塾に肩入れしすぎて(それを後悔はしていないけど)、
若いうちにネットワークを作れなかったこと、
そして、新たに作ったネットワークは、私の力量に関係なく、
いろんな理由でどんどん切られていくことにある。

会社の紙面統合、会社の体制の変化、営業さんの不手際、
担当ディレクターの転勤、予算の問題等・・・

だけど、こんなふうにことごとくうまくいかないんじゃ、
「運も実力のうち」というから、やっぱり止めたほうがいいのか、とも思う。

ああ、なるほど、皆が「会社員」になりたがるのは、こういうわけだったのかと、こんな年になって、初めてわかる。
芝居みたいに、膝を打ったよ(笑)
なるほどなぁ。

「自由」を選ぶ者は「不安定」であることが当たり前で。
みんな「安定」したいから、「不自由」を選ぶのかと、
そんな当たり前のことに、初めて気付いた。
(はい、アホです)

この10年、「フリーライター」を名乗りながらも、社員より「不自由」な生活を強いられていた。
例えば、社員は2週間近く休みをとって海外旅行もできたけれど、
私はできなかった。
だけど、考えてみれば、経済的に「安定」はしていた。
今は本当の「フリー」になって自由を手に入れた代わりに、かなり不安定だ。

どっちがいいか?
それは、やっぱり「今」がいい。
前のような不自由な生活に戻りたくはない。
自由になってみると、それを改めて感じる。
あんな社員以上に不自由な生活なら、
いっそのこと社員になればよかったと思うくらいだ。
それに、あんな人間として疑いをもつような人とは、
絶対にもう仕事をしたくない。

こうやって、いろいろと分析していけば、
「これでよかったんだ」という結論に辿り着く。

ただ、人間だからね、
なんだかしんどい夜もあるさ!!!
愚痴も言います、はい・・・。

彼が、私の仕事が安定するまで、経済的に援助してもいいと申し出てくれた。
それが、嬉しくはなく、なんだか屈辱で。
世の中にはダンナさんの稼ぎで暮らしている人も大勢いるわけで、
こんなプライド、何にも役に立たないとは知りながら、
母親に言い聞かせられて生きてきたトラウマが、
人に甘えることを邪魔する。

人間の心ってのは、本当に複雑なもので・・・

自分の夢って一体何だったんだろうな。
そんなことすら、もうわからない。

明日は、林社長と会う。
昨日は、NHKのニュースで林さんの会社が取り上げられていた。
人間的にも本当に尊敬できる人。
明日話すことで、何か吹っ切れることができたらいいな。

酒を飲んで、感性がどんどん研ぎ澄まされている時は、
また小説を書いてみたいと、
いつもそんな夢を見る。
20歳の頃の夢を見る。
あの頃は、何でもできる気がしていた。

そんな、儚い夢を見る。
「儚い」という字は、「人」の「夢」と書くんだなぁ。
一体どんな人が定めた字なのだろう?