明日元気になれ。―part2

毎日いろいろあるけれど、とりあえずご飯と酒がおいしけりゃ、
明日もなんとかなるんじゃないか?

品格って何かな?

2008-02-22 22:39:22 | 想い
さっき、ふとテレビをつけたら「金スマ」で「女性の品格」の著者を取り上げていたので、見てみた。

坂東さん(著者)のことはとても素敵な人だと思うし、好感はもてる。
輝かしいキャリアのある、まさに「キャリアウーマン」で。
にこやかな顔を見ていても品格のある人だと思う。

だからこそ、こんな本は書かないでほしかったなぁと、個人的には思う。
読んでいないけど。
いや、もう少し詳しく言えば、全く同じ内容の本は書いてもいいが、「品格」という言葉をタイトルにはしないでほしかった。
まぁ、それは彼女のせいではなく、出版社サイドの問題だが……。

これはもう本当に私個人の偏った意見だけれど、「国家の品格」は読んだが、まさに日本の品格を表現していたと思う。
だけど、「女性の品格」は目次や取り上げられた内容を見る限り、「品格」に関することではなく、マナーや常識であるし、それを「品格」というふうに表してほしくない。
それに人間の品格というのは、生まれながらに身についた部分もあり、本を読んだくらいではどうにもならないのではないかと。
もちろん、常識やマナーは身に付くと思うが。

その番組では坂東さんの家も披露していたが、とても品格のある家ではなく、引き出しがモノであふれて閉まらないなど、ちょっとびっくりした。
でも、外で忙しくお仕事をされている方なので、家の掃除ができないなんてことは、別にいいんじゃないかと思う。(それと品格は関係ない)
だから、彼女はキャリアウーマンとしての生き方を伝授したほうがよかったんじゃないのかなぁ。私はすごく参考にしたい。
まあ、出版社に乞われて書かれたものだし、彼女に罪はない。

私が自分で品格があると思う人は、吉田兼好の『徒然草』の32段の話に出てくる女性である。
この段を読んでから、ずっとこの女性が私の中の理想だ。

以下、最初は書いたエッセイを全部載せていたのだけど、
昔書いた文章だし、コメントを見ると誤解もあったようなので、
内容だけを掲載しておく。

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9月20日頃のことである。
吉田兼好がある人(ここではAさんとしておこう)に誘われて、夜が明けるまで月を見ながら歩いていた。そのうちAさんが、「そうや、忘れとった。ちょっとあの家に用事があるんや。悪いけど、ここで別れよう」と言い出して、ある家の前で二人は別れた。
しかし、兼好は帰らずにその家の様子をうかがうことにした。なぜならその家は兼好の気持ちを引きつけるようなものでいっぱいだったからである。
庭は荒れているが、庭の木々や葉に露がたくさん、月明かりに照らされ輝いている。それに、来客があるからといってわざわざ焚いたのではないお香の匂いが静かに漂っていて、何とも控えめな様子である。それが兼好の心にしみじみと染み渡ってくる。
……こんな庭のある家に住んでいる女性は、一体どんな人なんや……
兼好の好奇心は高まる。
やがて、Aさんが用事を済ませて家を出てきた。その時、兼好はさっと物の陰に隠れて家の中の様子をうかがった。しばらく見ていると、この家の女主人はAさんを見送った後も戸を少し開けて月を眺めている。
……この女性は私が見ていることを知らないはずや。誰が見ていなくても、この女性はこんなふうに月を眺めてるんや……。
兼好はこの女性の控えめで風流な態度に感動した。

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いつしかこの女性のような人になりたいと、風流のわかる人になりたいと思ってきた。
だけど、品格と同じで、風流も後から勉強して身に付くものではない。
「風流」のわかる人と、「品格」のある人が同じという意味でこれを挙げたのではなく、「後から学べるものじゃない」ということを
小林秀雄の評論を交えて伝えたかったのだが、
なんだかうまく伝わらなかったようだ。
私の筆が未熟だった。

ただ、「女性の品格」に書かれているようなことができるような女性になることはいいことだと思う。もちろん。
何も間違ってないし、そういう女性は素敵だ。

私が言いたいのは、あの本に書かれていることが
「品格」なのかどうかということだけだ。

でも、「品格」という言葉にこだわりすぎたかもしれない。

※以上、多少文章を削除・補足しました。