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名月「玉兎」つながりで恐縮です

鬼瓦の額の紋章に使われた「金烏」「玉兎」
この言葉を適当に受け流そうとしましたが、やっぱり避けて通れなくなったのが「陰陽道」です。
映画で一躍ブームとなり脚光を浴びた陰陽師・安倍晴明(kamokamoは見ていません)に、門外不出の秘術として受け継がれた奥義が「金烏玉兎集」と名付けられているそうです。 そこでAmazonで陰陽道に関する本を数冊取り寄せて読んでみました。

陰陽道は、もともと天文や暦・気象や地理学を「秘伝」として伝えたものだったようです。「月食の予言に失敗したことでその信頼を失った」という話もあるそうですから、かなり正確に日食月食を予測していたのでしょうか?? これには驚いてしまいます また、星の間を動き回る惑星の位置を観測して吉兆を判断し、いち早く帝に伝えるのも陰陽師の役割だったそうです。なんだか現代の国立天文台の役割に似ていますね。

kamokamoは占いなどは半信半疑だけど、古代に天体を観測して日食や月食を予測した「秘伝」には敬服せざるを得ません。(古代の満天の星は素晴らしかっただろうなぁ


都の造営にも影響を及ぼした陰陽道の一要素「風水」も、今では「風水占い」「西に黄色」などと何やら胡散臭く迷信にすぎないと思われがちですが………  
たとえば沖縄地方では、どの家も「琉球風水」に基づいてフール(豚便所)を必ず母屋の北西に配置しました。 また家畜小屋も西に置き、台所のカマドも母屋の北西隅に据えていました。(沖縄県中城村の中村家住宅を実際に見てきました。)
これにはきっと理由があるに違いないと宮古島気象台の風向度数を見たところ、地上付近でほぼ常時東風が吹く貿易風帯にある宮古島では、年間を通じて西~北西の風が極端に少ないことことが分かりました。 沖縄本島も貿易風帯ですから、西~北西にそれらを配置しておけば、フール(豚便所)の臭いやカマドの煙が母屋に入って来ることは、ほとんど無いわけです。

このように、帰納法的・経験的な地理・気象データに基づいた暮らしの知恵を(呪術的な脚色を加えて)世に知らしめたものが、「風水」本来の姿だったのかもしれません。

ところで
この「風向度数表」を見て気が付いたのですが
もし北東に豚便所やカマドがあったら………最も頻度が高い北東方向からの風に乗って、強烈な悪臭や煙が家の中に四六時中充満し、大変なことになりますよね……… 
偏西風帯(上空で西風が吹く)にある日本列島では理由も分からず不合理にも思える北東の「鬼門」も、貿易風帯の琉球諸島ではまさに「トイレはタブー」の「鬼門」となるんだけれど……
もしや、ひょっとして「北東の鬼門」って………??



道教や密教の思想と深い関係を持ち、惑星の位置による占いで朝廷貴族に重用されていた陰陽道はその後、時の政権(秀吉)によって断絶の憂き目に遭いました。 貴重な書物や機材も破棄され、学術的な技も途絶えました。 江戸期には再興を果たしますが、技は野に放たれ劣化し百家争鳴状態になり「当たるも八卦、当たらぬも八卦」のまじないとなったそうです。しかし何故か「庚申」(書籍「ミサキと荒神」によると「庚申=荒神=金神」)や「怨霊」「鬼門」などなど、下々にもてはやされ爆発的に流行したそうです。
今でも名残があるかも。

自然科学が学問として導入されると陰陽道の「天文、暦、地理、気象学」はその役割を終え、明治政府から禁止令も出されて「祈祷」や「お払い」など呪術の要素を「神社」に譲り表舞台からその姿を消したそうです。


しか~~し
五重塔鬼瓦が作られた「文政」といえば、まだまだ陰陽道が現役で日常に生きていた時代。
阿吽の鬼瓦に描かれた「金烏」「玉兎」は、一体どういう呪術的な意味をもっているのだろう?


つづく

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