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写真は奈良県桜井市「箸墓古墳」




大地震、大津波 原発事故 

たったひとつだけでも打ちひしがれるような、絶望的な状況の中で


なぜか

なぜか、なぜか

何故か心の奥底からわき上がってくる、大きなやる気と連帯感

この得体の知れない不思議な感覚は、一体どこから来るのかしら




どのくらい昔から、小さな島国はこのような災害に見舞われて来たのだろう。

千年に一度とも言われる今回の地震と津波。
東北地方ではこれまで何度も繰り返されたに違いない。
西日本では、150~200年に一度は必ずやってくる南海、東南海、東海地震。
過去の記録によると、今回と同規模の大きなものもあったようです。

深刻な打撃にそれまでの全てがリセットされても、
そのたびに、ご先祖様は生活と文化の基盤を立て直してきました。
(どんな地震にも倒れない五重塔建築などを考えると、震災前より良いものに変えていったかもしれないな)



魏志倭人伝に残されている「倭国大乱」の記述。
伝えられるように、本当に百あまりの小国が入り乱れて血みどろの戦争をしたのかしら。
その後、高台に住居を移し「高地性集落」が現れたのは何故?

古事記ではスサノオやニニギは高天原から葦原中国へ出かけています。
どうやら彼らは高地性集落から沖積平野へ下ったみたいですね。


倭国大乱の後、多くの国が同盟を結んだ「大和」が形成されます。
流通と交易に便利な海岸線ではなく、何故か内陸の奈良の地に。
それは「外敵」を想定したものだと言われていますがはたして……

大和に日本各地の地名が点々と残されているのは
ひょっとして、各地からやってきた避難民の避難場所や臨時の役所があったからとか。

そんなこと、こんなことがちょっくら重なってしまいました。

忘れた頃にやってくる絶望的な災害から立ち直るためには、
不屈の精神力だけでなく、地域の確執を超えた広い連携が必須だったに違いありません。
そうでなければ、この小さな島国で人は命をつなぐ事は出来なかったでしょう。


大和には、それからほどなく「箸墓古墳」が現れます。
箸墓はそれまでの古墳とは明らかに一線を画している巨大前方後円墳です。

ひょっとして
それが大王(卑弥呼?)の権力を誇示するものではなく、倭国の連帯と復興のモニュメント、その名の通り「大和」として再出発する国の象徴として造られたものだったら

とってもステキ。

そんなことを妄想してしてしまったkamokamoでした。

明治時代以降を除くとたった一度だけ日本がひとつになったとき、それが古代大和の時代です。
そのとき同盟を結んだ国に次々と前方後円墳が造られた理由が、ようやく判ったような気がしました。



本来なら、絶望と喪失感に打ちひしがれてしまうはずの苦境

にもかかわらず
生まれて初めて感じる魂を奮い立たせる不思議な感覚。

何万年も前からこの地で形成され受け継がれてきた日本人(弥生人ではなく縄文人)の遺伝子が
kamokamoの中でもようやく覚醒したのかもしれません。


ご先祖様に改めて敬意を表すとともに、この国に生まれた幸せに感謝します

どうか、一刻も早く原発が静まり復興が進みますように





それにしても
ADのコマーシャルは押し付けがましくて如何なものかと……

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