沖縄の玉城知事は政府との折衝に業を煮やし、ついに2月に「辺野古基地建設の是非」を問う県民投票を実施する――と声明を出した。
知事選でも、県庁所在地で最大の都市である那覇市長選でも、ともに辺野古基地建設反対派が勝利しているにもかかわらず、県民の意向を無視しようとする政府への最後の手段を行使するということになる。
しかし、もし仮に県民投票で辺野古基地建設反対が賛成を上回ったとしても(おそらく上回るだろうが)、政府は「それはそれ。嘉手納基地の移転こそが最優先だ。20年前に移転を米国と取り決めている嘉手納基地の除去こそが喫緊の課題で、辺野古なら危険性は大幅に減るから粛々と建設整備を進めていく」と言うだけだ。
つまり沖縄の県民投票などどこ吹く風なのだ。というより日本国民の米軍基地への注文はいっさい取り上げられないのが、「日米安保」と「地位協定」の効力なのである。
そもそも日米安保があるから米軍基地が置かれているのだから、沖縄はこの際、「日米安保は必要か不要か」という県民投票を行えばよい。これも仮に「不要だ」が上回ったとしても同様に政府はどこ吹く風と知らぬ半兵衛を決め込むに違いないが、国民を覚醒させる力となろう。
日米安保が無くなったら、「中国が南西諸島を奪いに来る」とか「ロシアがますます増長して北方領土など絶対に帰ってこなくなる」「北朝鮮がミサイルを撃ち込んでくる」などと、かってに想像を膨らませる向きが多いが、一体、何の理由で中国が攻めてくるというのか、また北朝鮮が本当に日本本土にミサイルを撃ち込んだら、北朝鮮は崩壊するだろう。
ロシアの北方領土問題だが、この点で日米安保等で強固な同盟関係にあるはずのアメリカがロシアに対して「北方領土は返すべきだ」とロシアに言ったことがあるのか。
アメリカは第二次大戦の終わる年にスターリンとの密約があって、北方領土については何も言えないのだ。また、ロシア(旧ソ連)もそのことを念頭に「第2次大戦の結果、我が領土になったのだから返さない」のである。
日米安保は自由主義対社会主義・共産主義という冷戦時代、とくに1949年に中国が共産化したことで、本来なら日本が国連に加盟した1952年の時点で米軍を主とする占領軍は撤退するはずだったのだが、朝鮮動乱という北朝鮮・共産中国の社会主義陣営と韓国・国連軍(中心は米軍)の自由主義陣営の抗争があったために結ばれた。つまり冷戦構造が固定化されたために日米安保という名で占領期間が延長・固定化されたという経緯がある。
米国が特に共産中国の出現に対して(日本も共産化の可能性があったために)改めて米軍基地を日本中に置き、沖縄は「恒久的な米軍による支配」(GHQ声明)体制に置くことになったのだが、その背景に忘れてならぬのは1949年10月に共産中国が成立した翌年の1月に、何とイギリスが早々と承認したことである。
自由主義陣営の当時最大の強国であったイギリスの「手のひら返し」に呆気にとられた米国は、「それなら極東は我が国が守ろう。支配しよう」と兜の緒を締めなおしたのが日米安保と沖縄施政権の米軍付託であった。
しかし1972年に沖縄が返還され、1989年にはベルリンの壁が崩壊して冷戦は終わった。今日もう共産主義対自由主義の対立は終息したのだ。いたずらに「日米安保がなければ中国が、北朝鮮が、ロシアが」と恐怖感をあおるのはやめにしたい。
日本は独自の善隣友好外交を現にやっており、日米安保に拠らずとも自由と民主主義を根底にしたそういった外交を続ければ世界が認めるだろう。中国も北朝鮮もロシアもそういう日本を待っておりこそすれ、日米安保が無くなったら「さあ、攻め込んでやる。ぎゃふんといわせてやる」と手ぐすねひいているわけではない。
もう沖縄の米軍は、極東の共産化を防ぐ役割の大半は終わっている。嘉手納基地の代替に辺野古基地だ何だという視点は近視眼的である。日米安保の是非を問うのが筋だろう。
私が沖縄に強く関心を持つのは、60歳の時に始めた「三線」と「琉球民謡」のせいである。
沖縄はよくぞあの太平洋戦争末期の米軍攻撃に耐えて今日の文化的繁栄を迎えたものだ。当時は「かんから三線」と言って、材料の胴木(高級なのは紫檀・黒檀)もなく、ニシキヘビの皮もなく、米軍のもたらした大量の缶詰の空き缶を利用して三線への飢えを凌いだそうだ。
琉球王朝の第20代尚真王の時代(西暦1500年前後、約50年の在位)に武器を全廃し、その代わり士族の男子に芸事を奨励したのが「男子のたしなみとしての三線」につながったらしいが、それが裏目に出て約100年後の1619年に薩摩藩の侵攻を簡単に許してしまい、その後は「琉球王国」でありながら薩摩の属領の扱いを受け続けた。
薩摩藩には薩摩藩の言い分(嘉吉附庸事件)があるのだが、同じことを今の中国がするだろうか?そんなことをしたら中国の信用は一ぺんに崩れ、株価・国債は大暴落し怒った人民が反乱を起こすだろう。
戦前までの植民地分捕り競争の時代ならいざ知らず、世界の隅々まで行き渡っている今日の情報時代においては他国への侵略こそが高くつく。
尚真王が実現した武力を持たない文化国家の再来に値する沖縄を取り戻せたらと切に思う(ただし、専守防衛の自衛力は必要であり、沖縄に本土並みよりはやや多い自衛隊の基地が置かれるのはやむをえまい)。
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