鴨着く島

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「日本人の下戸」が解明?

2023-12-10 20:52:51 | 日記

昨日の新聞に面白い記事があった。

日本人の「下戸」(酒に弱い)体質は2万年前と7500年前に増加した――というものである。

これを最近、国立国際医療研究センターを中心とする研究チームが突き止めた。

「下戸」とは酒に弱いかほとんど飲めない体質のことで、酒(アルコール)が体内に入ると、まずADH1Bという遺伝子の働きでアセトアルデヒドに転換されるが、下戸はこのアセトアルデヒドという体にとって毒となる成分を無害なものに分解するALDH2という遺伝子(酵素)が少ないか全くない人が多い。

その持たざる遺伝子上の変異が、約2万年前と7500年前により一層増加したことが、国際医療研究センターや他の高度医療センターで保管されている約1万人のゲノム(全遺伝子情報)を解析したことで判明したそうだ。

上記の2種の遺伝子(酵素)のうち、ADH1Bの変異は2万年前、ALDH2の変異は7500年前に増え始めたという。だが、その原因は不明だそうだ。

単純に考えれば、その二つの時期にそれまではあったアルコールを摂取する習慣がぐんと減り、その状態が長く続いたことによってアルコールをアセトアルデヒドに分解し無毒化する体内の機序が弱まったのだろう。

ではその原因はというと、生存環境の大きな変化がアルコール摂取を妨げたからと考えられる。

7500年前ということで咄嗟に思い付くのは、南九州の海中で起きた有史最大の大規模噴火と言われる「鬼界カルデラ」の大噴火だ。

鬼界カルデラは薩摩半島の南60キロばかりにある薩摩硫黄島付近の海底火山カルデラで、ちょうど7500年前の頃に起き、鹿児島の南半分はほぼ壊滅したとされている。

国分(霧島市)の上野原遺跡は8千年から1万年前の高度な土器文明があったことを証明した遺跡だが、この大噴火によって完全に人が住めなくなっている。

南九州のみならず西日本の多くの地域まで降灰をもたらし、それによる植生の変化でアルコール飲料を作るのに必要な穀類が大不作(飢餓)となり、アルコールの生産どころの話ではなくなったのだろう。

また、2万年前にも同様な天変地異があってアルコールを生み出す余裕がなく、アルコール摂取から遠ざかるを得なかった状況が考えられる。

2万年前と言えば最終氷河のビュルム氷期の最中であり、数万年続いたとされるが、2万年前がもっとも寒冷であった。この時期は海岸線が大きく後退し、対馬海峡の一部を残して列島がほぼ大陸と地続きになっていた。

この時代、アルコールを生み出す穀物生産は到底考えられず、したがって摂取することも不可能であったに違いない。そのためアセトアルデヒドを無毒化する酵素(遺伝子)を体内に持つ必要が無かったのだろう。

以上のような「生存環境によるアルコール分解遺伝子の減少説」が考えられるがどうだろうか。

もともと日本人は西洋人と比べてアルコールにはかなり弱いそうで、それはアルコール分解後に生まれるアセトアルデヒドを分解する酵素が少ないからとされている。

何かのテレビ番組で見たのだが、アルコールに弱い日本人の中でも最も弱いのが三重県人だそうである。

アルコールを飲む習慣を持つ人が少ないのがその理由だろうが、これは全くの虚説かもしれないが、三重県は江戸時代からお伊勢参りの参詣客の絶えない所で、宿を貸す言わばホテル業を営む人が多いからではないか。

宿泊客に酒を勧めはしても、ホテルの主人自身が飲む(酔う)ことは商売上憚られたのだろう。そんなことをしていたら商売は上がったりとなりかねない(客に付き合って飲んでいたら身が持たない)。

私の母方の祖父は三重県の出身だが、よく母が冗談交じりに「おじいちゃんは奈良漬屋の前を通っただけで酔ってしまう」と言っていた。それほどの下戸だったそうだ。

 


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