鏡花水月紀。

日々の言の葉、よしなしごと。

写真展「能登線憧景」へ。

2008-10-31 | 日々のこと。
昨夕、外で仕事があり、いつもより30分早くあがれたので、
湯浅君の写真展「能登線憧景」へ出かけました。

ちょうどご本人が在廊。
「おめでとうございま~す!」と言うと
大きな背にそぐわない照れくさそうな笑みを浮かべてニコニコ。
昨夜10時過ぎまでかかって展示をしていたそうですが、
まだ少し展示したりないといって、
マットに写真を挟んでいる最中でした。

最近の能登線の話や地域の方々の暮らしぶりなどをいろいろと聞くと、
写真集を編むことで多くの人と出会い、
またその分別れもあったと語ってくれ、ちょっと切なくもあり。
鼻の奥が熱くつんとなってしまい、困りました。


会場では、できたてほやほやの写真集も発売中(亀鳴屋発行)。
写真一枚一枚に湯浅君の丁寧に選びとった言の葉がそえられて、
その背景を知ることでまた一段とその写真を深く見ることができます。


写真集は限定800冊のみ。
シリアルナンバーがふられてあり、何番を頂戴しようかと迷っていると、
「C57の57はどうですか? 貴婦人と呼ばれてるSLの・・・」というので、
身に余るシリアル番号の写真集を求めさせていただきました。

夕方ということもあり会場には私ひとり。
見返しにサインを無理矢理ねだり~の、
DMに切符のパンチをいれてもらい~のと、
あれこれ我儘を聞いてもらいました(すまない)。


帰宅してから、じっくり見て、読ませてもらった写真集。
能登線は残念ながら、もう能登にはありません。
けれども、その姿はしっかりと皆の心の奥に、
そして写真集のなかに生きてある。
いつまでも金色に煌めく残照の波のような、柔らかさと温かさをもって。
そう感じいったのでありました。










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2 コメント

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Unknown (shiozawa)
2008-11-01 19:35:28
高校生の時に友人同士で、初めて電車で遠出した先が輪島でした。日ごろ大阪湾を眺めて暮らしている身にとって、日本海の丸い水平線に圧倒されたのを懐かしく思い出します。

あのとき地元の方から、九十九湾に沿って蛸島(でしたっけ?)まで走る支線が、廃線になるかも知れないから乗ってくように勧められましたが、輪島に向かう路線まで無くなってしまっているのに、昨年茅文化ワークショップに参加させて頂いた際に驚かされました。

金沢まで新幹線を引っ張っておいて、地元の線路を剥がして行くのは、どうも鉄道という社会資産の使い方が上手くないような気がしてなりません。
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Unknown (kakyo)
2008-11-02 23:16:55
◎shiozawaさん。
こんばんは、コメントありがとうございます。
穴水~輪島間が2001年に廃線になったことで、
穴水~蛸島間の能登線はNOと言えない土壌になっていたようでもあります。
でもそもそも、旧国鉄から第三セクターになった時点で、経済的には厳しい路線でやむを得なかったこととはいえ、事なかれ主義の上層部には予定調和だったかもしれません。
廃線の二日前に乗った能登線は、地域の方々や鉄道ファンが別れを惜しんでいました。


ところで12月、こちらへ来られるそうですね。
詳細はまだ聞いておりませんが、私もできれば湯涌へ行きたいと思っています。

白峰でも民俗資料館主催で、今月15日に小さな茅刈体験を行うようです。ようやく学芸員さんも少しやる気がおきたみたいで。
もっと焚きつけてこようかと目論むこの頃です。

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