9月10日、鹿島郡中能登町にある能登上布会館で能登上布の織り体験をしてきました。
会館へはJRを利用。
各駅停車の七尾線でのんびり向かいました。
能登上布は崇神天皇の皇女がこの土地に上布の作り方を伝えたことが起源といわれていますから、
その真偽はともかくも長い歴史をもっています。
会館のある能登部あたりは、邑知潟をはさんで石動山、眉丈山の山並みが遥々見渡せます。
東往来の石動山側には宮内庁管理の親王塚がありヤマト政権が力を及ぼしていたところ、
そして西往来の眉丈山側には雨の宮古墳がありこの土地を治めた豪族が力を及ぼしていたところ、
そんな歴史を秘めています。
毎年春の彼岸には、おいで祭り(平国祭)の古式ゆかしい行列が、
西往来、東往来をいき、道すがらの神社ではそれぞれに神事がおこなわれ、
この地域を平定していく様を想いお起させます。
さて歴史の寄り道はこのくらいで。
今回は2日かけて2メートルの織物を織ることになっていました。
が、所要で1日だけ織らせてもらいました。参加人数は私をいれて4人。
そのうちお1人はこれまでに何度かここで体験をされている羽咋市の方、
ほか3人は金沢からの参加でした。
麻糸は切れやすいので着尺用の糸ではなく、
素人でも扱いやすいやや太めの糸で織り始めます。
会館に大変緻密な文様を織りだした着物がえこうに掛けられていて、
これを織られたのが、私についてくださった今年88歳の花沢さん。
作品のことをお聞きすると「若いときに織ったんやわ」とにこっと。
能登上布は男性の仕事と女性の仕事が分業になっていますが、
花沢さんはその全工程を一人でできます。
これは戦時中、男手がなかったことにより、
今そのように全工程を実際にできるのは花沢さんをいれお二人だそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/24/e1/bd7f358fec9de079a22de0dd2bea86c4_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/37/58/3201202fa67825d3863ad4bd128ba57d_s.jpg)
そんなすごい先生に教えて頂くなんて・・・と恐縮しつつ、
織機に座ったらそんなことも言っていられません。
見本に見せてくださった先生の小気味良い織りを反芻しながら、
トントンシャー・・・?
これまで木綿や裂き織の織り体験は何度かありますが、
手で紐を引っ張って杼(ひ)を左右に動かす織り機のタイプは初めて。
紐を引っ張り(この加減も慣れるまで難しい)右に杼を動かしたら、
右足を踏み込み、手前の筬(おさ)をトントンとして横糸を寄せる。
再び紐をひっぱり左に杼を動かし、左足を踏み込み、筬をトントン・・・。
縦糸はすでに張ってくださってあるし、横糸の管巻きは先生がしてくださっている。
私はただひたすらこのトントンシャ―を繰り返しをしていればいいはずが、
筬を向こうに返しすぎて筬が傾き、
その上を滑ってうごく杼がびゅーんと宙を飛ぶこと4、5回、
(まあ、英語で言うとシャトルだから宙も飛ぶさ。。。)
かと思えば、先生に話かけられ手をとめると、
自分が何をしていたか分らなくなり
「先生、私、何をしてましたっけ」なんて頓珍漢な質問をすることも2、3回。
そんな愚かな私にも先生はやさしく
「いいよ~、はい上手。がんばって、その調子」と声をかけてくださるのでした。
そうこうしながら1日はあっという間に終わり、
1メートル20センチほど織らせていただき体験を終えました。
帰りの電車時刻まで工程や糸を染めるところまでお話を伺い、
織物のできるまでの大変さをあらためて感じました。
この織り体験は能登上布の周知と後継者育成にもふまえてのものでした。
私はともかくも、羽咋から参加の方はいずれはそうなるのではと思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/2e/e1/46ea811af7997ef3812bb9a749b45f15_s.jpg)
上が私の織ったもの。
特別に「能登上布」のシールまで貼っていただきました。
お世話になった花沢先生はじめ、皆さまがたに御礼申し上げます。
会館へはJRを利用。
各駅停車の七尾線でのんびり向かいました。
能登上布は崇神天皇の皇女がこの土地に上布の作り方を伝えたことが起源といわれていますから、
その真偽はともかくも長い歴史をもっています。
会館のある能登部あたりは、邑知潟をはさんで石動山、眉丈山の山並みが遥々見渡せます。
東往来の石動山側には宮内庁管理の親王塚がありヤマト政権が力を及ぼしていたところ、
そして西往来の眉丈山側には雨の宮古墳がありこの土地を治めた豪族が力を及ぼしていたところ、
そんな歴史を秘めています。
毎年春の彼岸には、おいで祭り(平国祭)の古式ゆかしい行列が、
西往来、東往来をいき、道すがらの神社ではそれぞれに神事がおこなわれ、
この地域を平定していく様を想いお起させます。
さて歴史の寄り道はこのくらいで。
今回は2日かけて2メートルの織物を織ることになっていました。
が、所要で1日だけ織らせてもらいました。参加人数は私をいれて4人。
そのうちお1人はこれまでに何度かここで体験をされている羽咋市の方、
ほか3人は金沢からの参加でした。
麻糸は切れやすいので着尺用の糸ではなく、
素人でも扱いやすいやや太めの糸で織り始めます。
会館に大変緻密な文様を織りだした着物がえこうに掛けられていて、
これを織られたのが、私についてくださった今年88歳の花沢さん。
作品のことをお聞きすると「若いときに織ったんやわ」とにこっと。
能登上布は男性の仕事と女性の仕事が分業になっていますが、
花沢さんはその全工程を一人でできます。
これは戦時中、男手がなかったことにより、
今そのように全工程を実際にできるのは花沢さんをいれお二人だそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/24/e1/bd7f358fec9de079a22de0dd2bea86c4_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/37/58/3201202fa67825d3863ad4bd128ba57d_s.jpg)
そんなすごい先生に教えて頂くなんて・・・と恐縮しつつ、
織機に座ったらそんなことも言っていられません。
見本に見せてくださった先生の小気味良い織りを反芻しながら、
トントンシャー・・・?
これまで木綿や裂き織の織り体験は何度かありますが、
手で紐を引っ張って杼(ひ)を左右に動かす織り機のタイプは初めて。
紐を引っ張り(この加減も慣れるまで難しい)右に杼を動かしたら、
右足を踏み込み、手前の筬(おさ)をトントンとして横糸を寄せる。
再び紐をひっぱり左に杼を動かし、左足を踏み込み、筬をトントン・・・。
縦糸はすでに張ってくださってあるし、横糸の管巻きは先生がしてくださっている。
私はただひたすらこのトントンシャ―を繰り返しをしていればいいはずが、
筬を向こうに返しすぎて筬が傾き、
その上を滑ってうごく杼がびゅーんと宙を飛ぶこと4、5回、
(まあ、英語で言うとシャトルだから宙も飛ぶさ。。。)
かと思えば、先生に話かけられ手をとめると、
自分が何をしていたか分らなくなり
「先生、私、何をしてましたっけ」なんて頓珍漢な質問をすることも2、3回。
そんな愚かな私にも先生はやさしく
「いいよ~、はい上手。がんばって、その調子」と声をかけてくださるのでした。
そうこうしながら1日はあっという間に終わり、
1メートル20センチほど織らせていただき体験を終えました。
帰りの電車時刻まで工程や糸を染めるところまでお話を伺い、
織物のできるまでの大変さをあらためて感じました。
この織り体験は能登上布の周知と後継者育成にもふまえてのものでした。
私はともかくも、羽咋から参加の方はいずれはそうなるのではと思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/2e/e1/46ea811af7997ef3812bb9a749b45f15_s.jpg)
上が私の織ったもの。
特別に「能登上布」のシールまで貼っていただきました。
お世話になった花沢先生はじめ、皆さまがたに御礼申し上げます。
醤油を作ったと思ったら、今度は織物ですか。
とっても素敵。
とても素人が織った物とは思えないですよ!
記事を読むと、とっても大変そうですが、
紡いでいくってなんだかいいですね。
いやいや、平織りなので少し慣れれば誰でも織れます。
能登上布はもう麻の栽培もしておらず、ラミー糸と呼ばれる既成の麻糸で織っていますが、それでも1枚の布になるまでの工程はくらくら。
無心で織ると気持ちが良いです。