三泊四日の東京への旅は終わった。僕の中には、奈緒子と過ごした時間の記憶が鮮烈に残った。そして、それは、僕の周りの風景をすっかり変えてしまったようだった。
東山仁王門の三畳の部屋はよそよそしく、天井の節目は、身の置き所なく寝転がっている僕を冷たく見下ろしていた。
一週間は、ただただ漫然と過ごした。奈緒子と遠く離れていることが時々痛くてたまらなかった。そんな時は、近くの店に買い物に行った。そして、買い込んだチキンラーメンやココナッツサブレを横に、天井を見つめ続けた。ベトナムで日々殺されている人たちのことは、少しも浮かんでこなくなっていた。自分を情けない奴だと思った。
少しお金のことが気になり始めていた。働かなければいけない、と思った。次第に焦りが生まれてきた。焦りはやがて、少しずつ奈緒子の記憶を僕の中から押し出していった。
しかし、“きちんと学生をする”という奈緒子との約束は根強く残っていた。遠く離れて、“僕にとっての奈緒子”が実体を無くしていくその分だけ、二人の間の約束は鮮明になっていくようだった。
まず、僕は収入の道を探し始めた。“きちんと学生をする”ために、“学生らしい収入の道”を選ぼうと思った。
経済的自立なくして、本当の自立はありえない!そう考えて始めた自活だったが、“きちんと学生をする”ということと折り合いをつけるのは、そうたやすいことではなかった。学生の匂いを漂わせながら労働の現場に入ってみたところで、仲間として受け容れられることがないのは、中華料理屋で実感した。双方がお互いの未来にきちんと関与できる関係でなければ、仕事を通じた仲間になどなれないんだ、とわかった。学生時代が、時として揶揄の意味を込めてモラトリアムと呼ばれる理由もわかったような気がした。
じゃ、モラトリアム期間に似つかわしい仕事を探せばいいじゃないかと思って考えてみても、僕には家庭教師と喫茶店のウェイターくらいしか思いつかなかった。いずれも、仕事への関与の仕方が中途半端に思えて気に食わなかったが、ともかく探してみることにした。
大学の学生課に行き、求人の貼り紙を見た。そこで、気付いた。家庭教師は採用になったとしても、1カ月後まで収入にはならない。とても、そこまで持たせられるお金は残っていない。となると、ウェイターだ。週給制でバイト料がもらえる店もあるようだ。
貼り紙にあるウェイター募集は、しかし、わずか2件。しかも、いずれも“黒いスラックス着用(本人のもの)”という条件付き。ジーパンのみの僕には無理だった。
僕は、店の前に“アルバイト募集中!”の店を求めて、京都の繁華街を歩き回ってみることにした。10月に入り、僕の21歳の誕生日までわずかという頃だった。
思い立った翌日お昼前、僕はまず、東山通りを下り東山三条から三条大橋を渡った。橋の上を行き交う学生たちや観光客とすれ違う時、奈緒子のことを強く思い出した。奈緒子はまるで、僕が行動することと連なった存在かのようだった。
橋の中央で鴨川を覗くと、揺れる水面に僕らしい影が映っているような気がした。奈緒子との約束を果たそうとしている影だった。奈緒子との不確かでとりとめもない関係は、この先確かなものになっていくのだろうか……。
河原町三条は、いつもの賑わいだった。新京極通りを抜けてきたのだろう、買い物袋を下げた学生服の集団が四条へと下っていく。
彼らの数メートル後ろを、僕も四条河原町へと向かう。もはや埋めることも、縮めることもできないこの数メートルが、一体僕にとってどれだけの意味を持っていたのだろうか、と思う。
「あかん!京都に帰ってきたら、また一緒やないか!」
ぶつぶつと声に出し、路地を曲がる。表通りは、バイト先として選びたくない心境だ。わずか10数メートルを行き、思い出す。“ディキシー”のある通りだ。
扉を開け、徹夜明けの知った顔が出てくるのではないかと、顔を反対側に背けようとした時、視界を“ディキシー”の電飾看板がかすめた。咄嗟に、異変を感じた。
顔を向けると、電飾看板の片面がぽっかりと壊れていた。明らかに人によって壊されたもののように見えた。わずか半月余りの間に、何が起きたというのだろう。
つづきをお楽しみに~~。 Kakky(柿本)
第一章“親父への旅”を最初から読んでみたい方は、コチラへ。
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次回更新は、5月13日予定です。
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