2杯目のジンライムを受け取り、僕は横にいる夏美さんを真っ直ぐ見つめた。覚悟を決めた顔付で隣のストゥールに腰掛け、「パトカー襲撃事件?」と夏美さんは聞き返してきた。
「はい」と応える僕を見返す力の強さに、目を伏せてしまう。僕の中の疑念を見抜いているようだ。
「新聞に書いてあったこと以上は知らへんのよ」
「そうですか。起きてもおかしくない事件なんやけど、ターゲットがパトカーて…」
僕の声は、独り言のように小さくなっていく。
「私ももらおうかな?」
カーテンから顔を出した柳田に声を掛け、夏美さんは右片肘をカウンターに突く。その横顔は、かつての夏美さんのままだ。
「これで、いいですか?」
柳田がすぐに用意したショットグラスが、トンとカウンターで音を立てる。グラスに一度落とした目を上げ、「じっくり飲もうか、今夜は」と夏美さんは微笑む。
言葉遣いが微妙に変わっていること以外は、すっかり僕の知っている夏美さんだ。
「明日から僕、バイトするんですよ。BigBoyで」
「まあ!お隣じゃない。何時から何時まで?」
「5時から12時までなんですけど…」
「じゃ、ちょっと寄って飲んで帰るようにすれば?特別料金にしてあげるから。ね!でも、安いんでしょ?あそこ」
「まあまあじゃないですか?時給180円ですから」
「安!ねえねえ、柳田君!BigBoy時給180円だって!」
カウンターの端、いつもは小杉さんが陣取っていた席に女性客がいつの間にか座っている。彼女と話していた柳田が、こちらに首を捻る。
女性客と話していた時のままの表情で、「そら、安過ぎですわ。今時、200円切るとこなんかありませんよ」
「ほら!な。あんた長い間バイトしたことないのん違う?…そんなことないなあ。中華で働いてたんやもんなあ、ついこの間まで」
「住み込みですけどね」
「ま、そうやけど。でもなあ、ちょっと損やなあ」
話が横道に逸れていく。僕の知っている夏美さんの表情に出会って、僕の意気込みは削がれてしまったようだ。それにしても、大阪弁の香りが強くなった夏美さんの話し方への抵抗感には拭いがたいものがある。
「それはいいんですけど、夏美さん…」
ちょうどショットグラスに唇を付けたところだった夏美さんは、僕を手で制し一気に飲み干す。手の甲で口を拭い、言葉を止めた僕に話をさせない勢いで話し始めた。
「なんか変やなあ、思うてるんやろ?小杉さん、ほんまにパトカー襲撃事件絡みでおらんようなったんやろか。単に別れただけなんちゃうやろか、私と。柳田君と何かあるんちゃうか。言葉遣いも変わった気いするし。とか、思ってるんやろ?」
図星だ。さすが、夏美さん!と思いつつ、僕は「その通りです」とはっきり言った。
「そら、そうやわ、そう思うわ、誰かて。なあ、柳田君、やっぱり思うたんやて、うちら怪しいて」
両肘をカウンターに載せ、例の女性客とすっかり打ち解けている柳田が、首だけこちらに向ける。
「しゃあないですよ、そんなもん。気にせんときましょう」
柳田の軽い言い方にとんと腹を拳で突かれたようで、僕の疑念は急激に萎んでいった。ひょっとすると僕は、夏美さん自身の口から語られる夏美さんの過去や想いを、最初から丸ごと飲み込んでいただけなのではないか。そう思えてきた。
一つ咳払いをしてみた。柳田から僕へと移した夏美さんの目に、以前と違う表情はないように思えた。でも、疑問が消えたわけではない。
「小杉さん、どんな風に言って出てったんですか?行き先言いませんでした?」
「はっきり覚えてんのは、“あかん。このままじゃ、なんともならへん。どこで間違うたんやろう。行動せんとあかん。のんびりし過ぎや!”言うてたことかなあ。私との生活のこと言うてるんや思うて、“私はええんやで。なんとかなるし。心配なことあったら言うて”て言うたんやけど、“君にいちいち言う訳にもいかんやろう。基本的に俺の問題なんやし”言うて、それからはもう、な~~んにも言わんようなってなあ」
「行き先は?」
「誰にも見つからんようなとこに行ってくる、としか…」
「三枝さんや上村さんは?」
「はっきりわからへんねんけどな、事件起こしたんは上村君ちゃうかな?思うてるんよ、私」
夏美さんは、ぐるりと辺りを見回しながらゆっくりと語った。
「三枝さんは?」
「一度来はったんやけど、別に何にも言わんとささっと飲んで帰らはったよ。女の人が一緒やったわよ」
夏美さんの言葉に安心感が漂い始める。それは僕に対する安心感だと思った。
つづきをお楽しみに~~。 Kakky(柿本)
第一章“親父への旅”を最初から読んでみたい方は、コチラへ。
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