昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

第一章:親父への旅

2010年09月05日 | 日記
プロローグ

1996(平成8)年初秋、僕は自由が丘で生母に再会した。息子47歳。母親67歳。44年ぶりの再会だった。遠くから僕を認めた母親は、「まあ、大きくなったわねえ」と満面の笑みで近づいてきた。「大きくなった、て言うか……」と苦笑しながら、僕も距離を縮めていった。彼女の傍らには、夫と叔母(母親の妹)が寄り添っていた。
近くの和食屋に三人を誘い、僕はともかく酒を飲んだ。面映ゆく、何を話せばいいかもわからなかった。気になっていたことを一つだけ解決すると、ただ質問に答えることに徹した。生母の夫は、僕の親父の実の弟。人柄も顔もよく似ているので、時々妙な気分になった。
別れ際「今度尼崎に遊びに来てね」と言われ、「必ず、行きます」と約束した。事務所に向かうタクシーの中で、僕は思った。“長い長い漂流をしていたような気分だなあ。やっと見たことがあるような岬に辿り着いたところかな。出航した港は、どうなっているんだろう…”と。
それから4年後の夏。僕は、“親父への旅”をした。田舎で一人暮らしをしている親父は、静かに病床にいた。白く霞むように老いた親父を見て、僕は気付いた。大正末期に生まれた親父は、昭和という時代を漂流し続けていたのだということに。端然とベッドに座る親父が。やけにかわいく、いとおしかった。
“親父への旅”はしばらく続き、断ち切るように終わった。次に待っていたのは、“僕への旅”だった。それもまた、“親父への旅”が終わった時のように、突然始まった。その時、思った。“僕への旅”は、もう一度“親父への旅”をトレースすることから始めなくてはならない、と。

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