昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

風に揺れる蛹 ⑧

2017年06月11日 | 日記

久しぶりに内線で坪倉を呼び出した。

「どうした?珍しいじゃねえか。社内で呼び出されるの、何年ぶりかなあ」

会議室の電気を点けながらそう言ってすぐ、坪倉は事態を理解したらしかった。

「あれ?お前もか?」

「え?お前もかって?」

「辞めるんじゃねえの?」

「なに?じゃ、お前、辞めるのか?」

「うん」

「お前、驚かしてくれるよなあ、いつも。ほら、入社して間もない時もさあ……」

「異動願いか?ま、あれはさすがに早過ぎだと気付いたけどさ。今回は遅すぎだと思ってるくらいだよ」

「どうした?何があった?」

「何が?って訊かれると、何もないさ。もし何かがあるとすれば、この山を登るために汗を搔くのはもういいか、って決めちゃったてことぐらいかな」

「それはわかるような気がするけどさ。でも、心でそう決めるのと、実際に行動に移すのって違うじゃない。よく思い切ったなあ」

「いや、俺だってそう簡単に実行に移す度胸はないよ。それなりに様子見はしたんだから」

「様子見って?」」

「実は一昨日、とりあえず常務に辞表持ってってみたわけさ。常務はどんな反応を見せるんだろうなって思ってさ。自分に対する評価と思い入れ、両方を見てみたいと思ってさ。そうしたらさ、慰留もなしにあっさりと受け取られたよ。もう、びっくりするくらいあっさりとさ」

「そうか。そんなことがあったからだな、俺に対してやけに淡々と、しかも精一杯反り返りながら対応したのは」

「お前も辞表出したわけ?」

「いや。出したのは長期休暇願いなんだけどさ」

「いつ?」

「出したのは、昨日の朝。呼び出されたのは今日だけどさ」

「そうか、わかったぞ。だからだ」

「どうした?何があったんだ?」

「昨日、昼飯の後、呼び出されたんだよ、常務に」

「え?!思い直したか、さすがの常務も」

「そうじゃないよ。俺にどうしても言いたいことがあったみたいでさ。それがまた、おもしろいんだよ」

「なんて言ったんだ?」

「お前は“木は土を覚えてる”って言葉知ってるか?って。こう言うんだよ、いきなり」

「何?それ」

「俺もそう思ったんだけどさ。やっとわかったよ、常務の部屋を出てしばらくしてから。自分が育った土を離れると木はうまく育たない、ってことじゃねえか?きっとそうだよ」

「そうか。わざわざ呼び出して、皮肉の一発でもかましてやろう、とでも思ったのかなあ」

「いや、俺はそうは取らなかったんだ。倉持さん、悔しいんじゃないか?自分ができなかったことをやろうとしている俺たちが。若い頃、彼も、辞めて独立したいって衝動に駆られたことが何度もあったんんだよ、きっと。それに、目を掛けてやったのに自分の後を追おうともせず、会社を出て行くって言ってきたのも悔しいだろうしさ。おまけに、足元でこんなことが起きるのって、彼自身の評価ダウンにもなるしさ」

「う~~~ん。だからかなあ。俺の長期休暇をあっさりOKしたのは。辞めるわけじゃないから」

「それ、あるかも知れないぜ。でもまあ、よかったじゃないか、長期休暇取れて。で、お前は何を始めるんだ?」

「いや。ただ、とりあえず、休んでみようかなあって」

「嘘だろ?もう50過ぎだぜ、俺たち。長い休息は次のスタートのマイナスにしかならない年だぜ。歩き続けるより立ち上がる方がきついんだから、もはや。わかってんだろ?そんなこと」

「いや、まあ、それはそうだけどさ。……お前は?いつ辞めるんだ?」

「正式には1か月後なんだけど、有給休暇をフルに使って、明日からは必要がある時しか来ないつもりさ。だから、内線くれたタイミング、ばっちりだよ。さすが同期だねえ。虫の知らせってやつか?」

「で、お前、何始めるんだ?」

「すまん。それはまだ言えねえなあ。とりあえず、でっかい山を登るのは中腹で諦めて、もっと小さい山を登ることにしたって感じかな。山登りは好きみたいだし、どうせなら頂上を征服して、ご来光を拝みたいしさ」

「そうか。楽しみだなあ、それは。……俺は下ろしたリュックの上に座って休憩でもしてみるよ」

「歩き始めに気をつけろよ」

坪倉はポンと肩を叩くと身を翻す。会議室の出口で電気のスイッチを消そうとして手を止めた。振り返り微笑んだ。そして、手を振りながらドアの外へと消えていった。

微笑んだ口元に、一瞬、憐憫の情が浮かんだような気がした。

           Kakky(柿本洋一)

  *Kakkyの個人ブログは、こちら→Kakky、Kapparと佐助のブログ


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