昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

第三章“石ころと流れ星”(短期集中再掲載)   23.東京から京都へ。奈緒子から学生へ

2012年11月27日 | 日記

東京から京都へ。奈緒子から学生へ

3時間後。僕は新幹線の座席に深く埋もれていた。晴れやかなけだるさが心地よかった。奈緒子のお蔭で取り戻した肉体の、奥深くに巣食っていた卑しい虫たちは姿を消したようだった。初めて知った人肌の染み入るような温かさや、肌と肌を貼り付かせる汗の余韻を懐かしく噛みしめていた。

身体は睡眠を求めているのに、頭は冴えていた。目を閉じると、彼女の表情や小さな仕草が思い出された。どうしても緩んでしまう頬を他人に見られまいと横に向けると、窓に顔が映った。疲労の中に活き活きとした目が光っていた。

暮れなずんでいく東京のビル群を抜け視界が開けてくると、しかし、悲しみが襲ってきた。奈緒子との時間はかりそめだったように思えてきた。大きく開いた明るい窓と小さな卓袱台は、寄る辺なき所にぽっかりと出現した、僕たちの安寧の場所だった。しかし、僕にはもはや遠い場所だった。二度と身を置くことのできない場所のようにさえ思えた。これから京都に帰り、あの“男たちの世界”に飛び込んでいく気になど、とてもなれなかった。

新横浜を過ぎる頃、奈緒子との約束を思い出した。夢と現実の境界線を越えた気分だった。そうだ。僕は、これから“きちんと学生をするんだ。しなければいけないんだ。それが、奈緒子との間にあるかもしれない将来の礎になるんだ”と思い直した。

再び、晴れやかな気分になった。暗くなった窓外と窓に映る自分の顔を交互に見ていた目の先に、京都での暮らしが見えてきたような気がした。

 

「間もなく新大阪到着」のアナウンスに目を覚ますと、見慣れた夜景だった。慌てて席を立つ。ビニールバッグをわしづかみにデッキに向かう時、手の中の小さな違和感が気になる。デッキでビニールバッグを開けて見ると、マーブルチョコが2個入っていた。こっそりと奈緒子が入れておいたのだろう。

無意識に千里丘の中華料理屋へと向かっている足を、“京都できちんと学生するんだ”念じながら、大津行きの各駅に向けた。

午後11時前出発。がらんとした車内には、気だるい疲労感が漂っている。平日の夜、サラリーマンたちが持ち運び持ち寄る空気だ。ふと、曜日のない日々だったことを思い出す。

少し離れて座ったサラリーマン二人の酒臭い息が鼻先をかすめる。それを打ち消そうと、奈緒子と最後に一緒に食べた親子丼を思い出そうとした。石神井公園駅近くの定食屋に着くまで“お腹と背中がくっつくよ~~”と歌い続けていた奈緒子が、丼を手にするや、瞬く間に食べ切った姿が楽しく蘇る。

「そうだ」と小さく声に出し、マーブルチョコを取り出す。2箱一緒に手にして振ってみる。音がしない。軽い。そっと開けて見ると、それぞれに一枚ずつメモが入っていた。

一枚には、“幻想かもしれない、という不安もありました。でも、きっとお互い気に入ってるんだと信じてました。よかった!幻想じゃなくて。……大好きです。”とあり、もう一枚には、“離れてるけど、心配してません。素晴らしい学生生活を送ってください。時々、観察に行きます。”とあった。

読み始めるとすぐ、涙が出た。愛おしさにじっとしていることさえできなかった。サラリーマン二人の目を避け、立ってドア横に移動した。

シャツの袖でこっそり顔を拭い、夜の窓外を見つめ続けた。次々と現れるアパートの窓の灯に、どうしても目が行ってしまう。みんな、それぞれの窓や卓袱台を大切にして生きているんだろうなあ、と思った。学生運動の闘士たちの言葉や顔も浮かんできた。彼らはこの“暮らしの風景”をどんな想いで見てきたんだろう、と思った。

京都駅が近づいてくると、途端に不安になってきた。“きちんと学生をする”と、ふと口をついて出てきた言葉を、僕はどうして現実のものにしていくというのだろう。学生であることそのものがよくわかっていないのに。またあの“言葉と闘争”の世界に巻き込まれていくのではないか。奈緒子のおかげで取り戻した肉体を離れ、また耳と目が巨大化していくのだろうか……。

 

三泊四日の東京への旅は終わった。僕の中には、奈緒子と過ごした時間の記憶が鮮烈に残った。そしてそれは、僕の周りの風景もすっかり変えてしまったかのようだった。

東山仁王門の三畳の部屋はよそよそしく、天井の節目は、身の置き所なく寝転がっている僕を冷たく見下ろしていた。

それからの一週間を、僕はただただ漫然と過ごした。奈緒子と遠く離れていることが時々痛くてたまらなかった。そんな時は、近くの店に買い物に行った。そして、買い込んだチキンラーメンやココナッツサブレを横に、天井を見つめ続けた。ベトナムで日々殺されている人たちのことなど、少しも浮かんでこなくなっていた。自分を情けない奴だと思った。

少しお金のことが気になり始めていた。働かなければいけない、と思った。次第に焦りが生まれてきた。焦りはやがて、少しずつ奈緒子の記憶を僕の中から押し出していった。

しかし、“きちんと学生をする”という奈緒子との約束は根強く残っていた。遠く離れて、“僕にとっての奈緒子”が実体を無くしていくその分だけ、二人の間の約束は鮮明になっていくようだった。

まず、僕は収入の道を探し始めた。“きちんと学生をする”ために、“学生らしい収入の道”を選ぼうと思った。

経済的自立なくして、本当の自立はありえない。そう考えて始めた自活だったが、“きちんと学生をする”ということと折り合いをつけるのは、そうたやすいことではなかった。学生の匂いを漂わせながら労働の現場に入ってみたところで、仲間として受け容れられることがないというのは、中華料理屋で実感した。双方がお互いの未来にきちんと関与できる関係でなければ、仕事を通じた仲間になどなれないんだ、とわかった。学生時代が、時として揶揄の意味を込めてモラトリアムと呼ばれる理由もわかったような気がした。

じゃ、モラトリアム期間に似つかわしい仕事を探せばいいじゃないか、と思って考えてみても、僕には家庭教師と喫茶店のウェイターくらいしか思いつかなかった。いずれも、仕事への関与の仕方が中途半端に思えて気に食わなかった。が、ともかく探してみることにした。

大学の学生課に行き、求人の貼り紙を見た。そこで、気付いた。家庭教師は採用になったとしても、1カ月後まで収入にはならない。そこまでのお金は残っていない。となると、ウェイターだ。週給制でバイト料がもらえる店もあるようだ。

貼り紙にあるウェイター募集は、しかし、わずか2件。しかも、いずれも“黒いスラックス着用(本人のもの)”という条件付き。ジーパンのみの僕には無理だった。

僕は、店の前に“アルバイト募集中!”の店を求めて、京都の繁華街を歩き回ってみることにした。10月に入り、僕の21歳の誕生日までわずかという頃だった。

 

思い立った翌日お昼前、僕はまず、東山通りを下り東山三条から三条大橋を渡った。橋の上を行き交う学生たちや観光客とすれ違う度に、奈緒子を思い出した。

橋の中央で鴨川を覗くと、揺れる水面に僕らしい影が映っていた。奈緒子との約束を果たそうとしている影だった。奈緒子との不確かな関係は、確かなものになっていくのだろうか……。

河原町三条は、いつもの賑わいだった。新京極通りを抜けてきたのだろう、買い物袋を下げた学生服の集団が四条へと下っていく。

彼らの数メートル後ろを、僕も四条河原町へと向かう。僕の高校時代は、もうこれだけの近くても近づけない距離になったんだと思った。

「あかん!京都に帰ってきたら、また一緒やないか!」

小さく声に出し、路地を曲がる。表通りは、バイト先として選ぶ気になれなくなっていた。わずか10数メートルを歩いて、“ディキシー”のある通りだと気付いた

反射的に顔を背けようとした時、視界を“ディキシー”の電飾看板がかすめた。何かが変わっている。

顔を向けると、電飾看板の片面が壊れていた。明らかに人によって壊されたもののように見えた。わずか半月余りの間に、何が起きたというのだろう。

一瞬立ち止まり逡巡したが、僕は“ディキシー”を通り過ぎた。強く後ろ髪引かれる思いだったが、奈緒子に会う前の僕に引き戻される不安が先に立った。とにかく今は、アルバイト探しだ。

先を急ごうと歩を進めると、左側に“アルバイト募集中!”の文字が見えた。地下へと続く階段の入り口に置かれた電飾看板に無造作に貼られた紙がひらひらと揺れていた。見え隠れする店名には覚えがあった。

“Big Boy”だった。東京3人組が「京都で3番目に評価できるジャズ喫茶だな。1番は断然“ブルーノート”だけどさ」と言っていた。一緒に行くか?と誘われたが、聴き始めたばかりのジャズを横から解説される嫌な予感に断ったのだった。

募集条件を見ると、時間給180円。相場が200円台前半なのに比べるといかにも安いが、なにしろジャズを聴きながらの仕事だ。店の側もそれを意識しての低条件に違いない。時間も午後5時から深夜0時まで。“きちんと学生をしたい”僕には好都合だ。これは急がねばならない、と階段を下りて行った。

分厚く重いドアを開けると、いきなりサックスの音が大音量で流れ出てきた。開店間もないのか、暗い店内に目を凝らすと、奥のコーナーで2人の学生らしき客が壁に背を持たれ、煙草をくゆらせている。カウンターからぎろりとこちらを窺う髭のおじさんが、どうもマスターらしい。ぺこりと頭を下げて近付いていった。

「バイトか?」「そうですが……」「いつから、来れる?」「え?!」「いつから来れるんや?!」「いつ頃から……」「いつから来れるんや?!言うてるんや」「はい。いつからでも…」「まあ、今日からいうわけにもいかんやろし。明日から来て!5時前に来るんやで」

話はあっさり決まった。「帰りに貼り紙取っといてな~」と言われたので、貼り紙を外してポケットに入れ、ふ~~と溜め息をついた。すると、ある考えが閃いた。頭の片隅で気になっていたことだった。

次回は11月29日(木)となります。

注:第一章はドキュメンタリーです。第二章は経験が元になっています。第三章は、経験を元にしていますが、ほぼ創作です。 人名は、第一章以外、すべて架空のものです。 “昭和少年漂流記”は、第四章か第五章で終わります。

*第一章:親父への旅 http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/84e40eba50c5c6bd4d7e26c8e00c71f7

*第二章;とっちゃんの宵山 http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/f5931a90785ef7c8de01d9563c634981


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