昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

第二章:1969年:京都新聞北山橋東詰販売所   とっちゃんの宵山 23

2011年01月24日 | 日記

とっちゃんが振り向くこともなく早足で去っていくのを見送り、僕は河原町御池まで急いだ。地上数メートルは明るい空気に包まれているが、空はすっかり夜の闇に包まれている。街の灯りと宵山の照明に赤味を帯びた京都の夏の夜が人混みの熱気と混ざり合い、上半身にまとわりつく。

河原町御池まで引き返し、背伸びして見る。“おっさん”が準備していた屋台は、さすがにもうオープンしているようだ。ひと際白く明るい屋台の照明を目指して、河原町通りの東側を上がっていく。三条と二条の中間辺り、屋台出店のロケーションとしてはぎりぎりの場所。北限とも言える所での出店では、売り上げもあまり期待できないだろう。

5~6メートル手前で立ち止まり、人影の隙間から“おっさん”の姿を探す。が、見えない。そればかりか、“筋肉”の姿も“ぽっこり”の姿もない。少年が一人、漫然と立っているだけだ。売っているのは、冷やし飴のようだ。

「おう!新聞少年」。右手から突然声を掛けられる。足が浮き上がるほど驚き顔を向けると、“ぽっこり”の笑顔があった。

「あっ、どうも」「どないしたん?誰か、探してんの?」「いえ」「宵山やいうのに寂しいのお、新聞少年」「いえ……」。と短いやり取りの間、引き返すべきか、“おっさん”の所在を確かめるべきか、しばし迷う。そして、思い切った。

「あの………、“おじさん”いらっしゃいますか?」。さすがに、“おっさん”とは呼べなかった。声がかすれた。

「誰?“おじさん”?……ああ、社長ね。あそこの屋台や。……おらんか?……おらんなあ。じゃ、休憩やな。すぐ休憩しよんねん、社長」

背伸びし、指差し、確認し、首をひねって、最後に、“ぽっこり”はあきれ顔を見せた。僕の頭は、一瞬空白になった。

「あの~~、社長はどんな仕事されてるんですか?」

ストレートだが少し間の抜けた質問が、ふと出てきてしまった。

と、“ぽっこり”はいきなり、いかにも楽しそうに笑った。

「本気にしとったんか~~、社長の話。まあ、本気にするわなあ」「…………」

僕の頭の空白は膨らむ。あの銭湯の湯船で聞いた話は……。

「なんかおかしいなあ、思わへんかったか?社長の話。出来すぎや、思わへんかった?」

笑いを押し殺す“ぽっこり”に、僕は幼稚園児のように首を激しく左右に振った。

「あの話、あいつの十八番やねん。何遍も話してる間に、だんだん出来もようなってなあ。小さな工夫までしよるから、傍で聞いててもおもろうてなあ。……そうか~、新聞少年、信用してたか」

“ぽっこり”の押し殺していた笑いが、弾ける。「あかんで、気い付けんと。これから大学生になろう言う少年が、あんな話をすっと信用してたらあかんがな。……賢そうに見えたのになあ」

“僕だけじゃない。みんな信じてたんだ。”と言おうとして、飲み込んだ。

「あの…、とっちゃんは……」。僕たちはいいとしても、とっちゃんは、彼の心に与える影響はどうなるというのだ!

「あの子か?あの子、ちょっと頭弱いやろ。社長も弱いんやけどな。あの子の方が弱そうやから、みんなで話合わせてたんや。何話しても、一生懸命聞くしなあ、あの子。おもろうてなあ。わしらも勉強になったわ。……せやけど、お前らが来て、こらあかん、これ以上やるとあかんで、いうことになってな。あの銭湯には行かんようにしたんや」

「仕事の現場が近くにあって……」

「ああ、それは偶然やな。わしが借りてるアパートが、もう一軒の銭湯との間にあってな。銭湯行こう思うたらどっちにも行けんねん。それだけのことや。……ああ、社長は、ほんまはわしが面倒見たってんねん。そう見えへんかったか?……わし、貫録あり過ぎなんかなあ」

“ぽっこり”は、サックスブルーが周りの赤い空気に紫色に染まったシャツのお腹をポンと叩き、笑った。僕は紅潮する顔の色が周りに溶け込み見えにくいことを不幸中の幸いと思いつつ、とっちゃんに話すタイミングと話し方を考え始めていた。

 

*月曜日と金曜日に更新する予定です。つづきをお楽しみに~~。

 

もう2つ、ブログ書いています。

1.60sFACTORYプロデューサー日記(脳出血のこと、リハビリのこと、マーケティングのこと、ペットのこと等あれこれ日記)

2.60sFACTORY活動日記(オーセンティックなアメリカントラッドのモノ作りや着こなし等々のお話)

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