昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

第三章“石ころと流れ星”(短期集中再掲載)   35.不穏な1972年の年明け

2013年03月04日 | 日記

不穏な1972年の年明け

柳田に揺り起こされ目覚めたのは、午前3時を回った頃だった。しばらく事態が呑み込めず呆然とした後、奈緒子を求めて頭を巡らせた。店内には、僕と柳田だけだった。両方のこめかみが動悸を打ち、その度に頭の芯から痛みが響いた。

「大丈夫ですか?」という柳田の手を振り払い、トイレに駆け込んで数度吐いた。吐く毎に嫌な思いが蘇ってきた。

“奈緒子はどうしたんだろう?夏美さんと一緒に帰ってしまったのだろうか?怒り、呆れていたんだろうなあ”と鏡を見ると、涙と鼻水にまみれた顔があった。情けなく腹立たしかった。

顔を拭きトイレから出ると、柳田がお絞りを持って待っていた。

「大丈夫ですか?」

そのにこやかな顔付きに腹立たしさは消えたが、お絞りを受け取るのは一瞬躊躇した。

「もう一枚持ってきましょうか」

俯いていた顔を上げると柳田はそう言って、持ってきたお絞りを僕に渡すと、カウンターの向こうへと小走りで消えた。

お絞りを顔に当て、トイレの中に戻った。鏡の前でお絞りを顔から拭い取ると、10歳以上も老けた僕がいた。ひどく惨めだった。

ドアを開けると、柳田が両手いっぱいのお絞りを持って待ってくれていた。今度はお礼を言って受け取った。

「ジーパンも……」と言われ足元を見ると、ジーパンの膝から下が汚れている。トイレで吐いた時のものだろうが、それにしても、なんという醜態だろう。奈緒子は一体どんな思いでそんな僕を見つめ、夏美さんの家に行ったのだろうか。

気持を精いっぱい立て直し、何が起きていたのかを柳田に尋ねることにした。

すっかり店の片づけを終えていた柳田は私服に着替えて現れ、カウンターの上に水を用意してくれた。ジーンズ姿の柳田は、いかにも大学生だった。容姿以外は対等になれたような気がした。ストゥールを勧められたが、時間が気になり立ったままで話を聞いた。

「典型的な酔っ払いでしたねえ。奈緒子ちゃんに何か話そうとしはるんやけど、呂律回らへんし、カウンターに突いた肘は倒れるし、いうような感じで。1時間くらいは鼾かいて寝てはりましたよ~」

背の高い柳田に見下ろされるように話を聞いていると、また惨めさが募ってくる。奈緒子が僕に幻滅したであろうことは疑いない、と思う。

「奈緒子は?どうしてました?」

「奈緒子ちゃんも酔ってはったけど、しっかりせんとあかん思うてたんちゃいますか?僕やママと明るく話をしようとしてはったから……」

柳田の言葉が、ここで止まった。“だけど……”と続く話を言葉にすべきかどうか躊躇しているように見える。

「で、どうしました?…何かあったんですね」

詰め寄るように訊くと、柳田は「後でしっかり謝ってあげた方がいいんちゃいますかねえ」と言葉を続けた。

「奈緒子ちゃんにしがみつかはったの覚えてはります?……やっぱり、覚えてはりませんか。じゃ、その直後、奈緒子ちゃんのスカートの上に吐かはったのも……」

僕は小さく「え!」と叫んで柳田を凝視した。全身が浮き上がってしまうような気分だ。

「奈緒子ちゃん、困ってはったけど、怒ってはらへんかったなあ。ええ子ですねえ、奈緒子ちゃん」

そう言われても、僕には同意する権利さえないように思える。奈緒子を京都駅で迎えて以降の情けなくも恥ずかしい、独りよがりの行状に消え入りたい思いが募るばかりだ。もはや、奈緒子は遠い存在になってしまったような気がする。

「今日、もう田舎に帰らはるらしいですねえ。忙しいですねえ」

柳田が時計を見ながら言ったその言葉に、僕はまた小さく叫んだ。根拠もなしに僕は、丸一日を京都で過ごし、もう一泊した31日に、奈緒子は列車に乗るものだと思い込んでいたのだ。苛立つほどの焦りが湧いてきてどうしようもなく、いたたまれなくなった。

「夏美さんの家に泊まってるんですよね」

「“スカート汚れてはるし、早めに帰ってええか”言うて、連れて帰らはりましたわ。手紙、預かってますよ、奈緒子ちゃんから」

時計を気にし始めた柳田から一片の手紙を、僕は受け取った。すぐに目を通したかったが、我慢した。もう店を出なくてはならない。

「お勘定は?」

最後に確認すると、奈緒子が払おうとしたのを夏美さんが押し留めたという。どこまでも情けない話だ。

礼を言って“ディキシー”を出ると、切っ先鋭い寒さが頬を突いた。月が明るかった。吐き気はもうなかった。

まだ通りに師走の喧騒は残存していたが、もはや気だるさ漂うものになっていた。僕から微かに立ち上るすえた臭いも紛れていく。

家路を急ぐと、足がよろけた。“Big Boy”の前で立ち止まり、奈緒子からの手紙を読もうとしたが、酔った字とわかっただけだった。

 

下宿に戻り電気を点けるとすぐに、手紙を読んだ。

“酔っちゃったねえ。気にしないでいいからね。もっともっと一緒に過ごして、もっともっとお互いを知らなくちゃ、と思ったよ。お疲れ様~~。奈緒子”

とあった。二度読むと、涙が出そうになった。白いため息が止まらなかった。

コタツに寝ころび、また二度読んだ。今度は“もっともっとお互いを知らなくちゃ”の意味を考えた。考え始めると、奈緒子の失望感にばかり行き着いた。“ディキシー”に入った時の光景と、それを見た僕の中に一瞬にして燃えたぎった嫉妬を思い出し、身体を反転させた。手紙に、待ち合わせの場所も時間もなかったことが気になった。

好きになろう、もっと好かれたい、と努力しなかったことが急に悔やまれた。これから果たして失点は取り戻せるのか、いや、もはや奈緒子の心は離れてしまったのではないか、置き手紙の文面に漂うやさしさは、むしろ心が離れた証左ではないのか……。

想いは暗く転がり続けた。しかし、時間はない。特急“松風”だとすれば、お昼過ぎの出発だ。ホームに駆け付け、せめて手紙は渡さなければ、と思った。

 

しかし、手紙を書くことも渡すことも、結局僕にはできなかった。何度も書いては消しを繰り返し、たった2行を書いた便箋に突っ伏して、僕は不覚にも眠ってしまったのだった。背中を突かれたように起き上がると、正午を過ぎていた。

涎で濡れた便箋を投げ捨て、タクシーで駅に急いだが、“松風”はもう出発していた。下宿へと歩いて帰りながら、“松風”の車窓から日本海を眺める奈緒子の胸の内を想っては、後悔と自責に駆られた。立ち止まると、彼女の笑顔やぬくもりが思い出され、ため息が出て仕方なかった。

それから年が明けるまで、手紙を書いて過ごした。便箋20枚以上になった。読み返す度に自分に腹立たしく、年が明けると同時に、捨てた。

五日には、“Big Boy”の営業が始まる。やがて、授業も始まる。そうして、奈緒子との悲・喜劇の夜の前のような生活が戻ってくる。しかし、奈緒子に嫌われてしまった今となっては、前と同じ生活にはなりえない。贖罪の意味も込めて、もう一度じっくり手紙を書いて奈緒子に届け、自分自身の失敗や暗い思いと決別しなくてはならない。そう覚悟を決め、三が日を過ごした。いつも便箋に向かっていたが、手紙は進まなかった。

そして、“Big Boy”のバイトが、始まった。

マスターは、僕の変化を新年の挨拶をするなり読み取った。

「なんかあったやろ?彼女のことか?そやろ」と言って笑ったが、僕が頑強に否定すると、「男と女の間に権利意識や義務意識が働いている間は、それは“子供の恋”や、って知ってるか」と、真面目な顔になった。

「それ、誰の言葉ですか?」

と訊くと、「俺や、俺」と自分の鼻先を指し、「まだまだ、子供の恋しかできひんねん、俺も」と、また笑った。その瞬間、滑り込むように元の暮らしに戻れそうな予感がして、僕はうれしくなった。

動いていることが楽しく、1972年1月5日の“Big Boy”でのバイトが終わる頃は、きっと奈緒子とまた会える、必ず想いは通じるだろう、と思えるようになっていた。贖罪のためではなく、自分の気持を確認するための手紙を書こう、と心に誓い店を出た。

行き先は“ディキシー”、と決めていた。あの夜のことを謝罪し、できることなら奈緒子が夏美さんに何を語ったかを聞いてみたいと思っていた。

ところが、“ディキシー”の扉を目の前にすると、気後れがした。「そうだ!」と小さく声に出し、タバコの自販機へと通り過ぎた。あの夜の嫉妬に燃える心が蘇り、タバコを取り出す手が震えた。

“ディキシー”の前に戻り、意を決して扉を開けた。と、その瞬間、後ろから肩を叩かれ、名前を呼ばれた。

振り向くと、桑原君だった。小さな風呂敷包みを小脇に、薄着で震えている。久しぶりで懐かしかったが、不吉な予感がした。

次回は、3月6日頃を予定しています。

*第一章:親父への旅 http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/84e40eba50c5c6bd4d7e26c8e00c71f7

*第二章;とっちゃんの宵山 http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/f5931a90785ef7c8de01d9563c634981


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