昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

第三章:1970~73年 石ころと流れ星   ③

2011年03月25日 | 日記

「無政府主義って、どない思う?」。

応急手当てが終わると、桑原君が身を乗り出した。

「絵空事ちゃうか~~?」。僕はそう言いながら立ち上がる。二度使って干してあったティーバッグを3~4個持って流しに行き、行平鍋に水を入れる。「簡単に言いいよんなあ。アナーキズムいうのはなあ、一人ひとりの人間が……」と後ろから聞こえてきたが、水音で聞こえないふりをした。

「なあ、そういうことやと思うんやけどなあ、わしは」。行平鍋を電熱器の上に置いて戻ると、桑原君の話は続いていた。その目の奥には、何か深い迷いが居座っているように見えた。僕は、どう答えていいかわからず、「う~~ん。やっぱり、むつかしいと思うわ~~。実際には」と曖昧に言い、桑原君にタバコを勧めた。しばらくタバコの煙と沈黙が、辺りを支配した。

突然、目覚ましが鳴った。次の仕込みの時間だ。飯炊きと野菜切り。そして、切った野菜のクズを寸胴に投げ込む。すると、コックを起こすまでのわずかな時間がフリータイムになる。「すまんけど、ちょっと寝かしてもらってええかあ」と欠伸混じりの桑原君に布団を勧め、僕は店の厨房に急いだ。

しかし、すぐに仕込みを始める気にはなれなかった。少し心が乱されていた。中華庖丁を研いでみよう、と思った。研ぎ方は教わっていたものの、「大切な商売道具や。他人に研がせたことないんや、わしはな」とコックに言われていた。「神経を集中して研いでるうちに、ふっとコツがわかってくるんや。大体3年はかかるわなあ」とも言われていた。だからこそ、研いでみたくて仕方なかった。

使うことを許されている一本を取り出し、研ぎ石をシンクの中に置いて研ぎ始めた。「刃先が丸くならないように気いつけんとあかんねん」というコックの言葉を反復しながら、中華包丁を前後に動かす。研ぎ石の上を刃が滑っていく。その大好きな音に、自然と乱れた心が落ち着いていく。

“緩い切っ先で物事に切り込んでいってはいけないんだ”と、ふと思った。20歳になる直前に読んだポール・ニザンの処女作“アデン・アラビ”の一節が浮かんできた。「僕は20歳だった。それが人生最良の時だとは、誰にも言わせない」。

僕は僕の部屋に急いだ。布団に潜り込んでいる桑原君を揺り起した。「なに?どないしたん?」と、桑原君は半身を起こした。そして、次の瞬間後ろに少しぴょんと跳んだ。「なんや?!」という裏返った擦れ声に、彼が指差した方を見ると、僕の左手に中華包丁が握られたままだった。「ごめん、ごめん。庖丁研いでてん」と左手を後ろに回し、僕は突然言おうと決めたことを言った。

「桑原君。自分を大事にせんとあかん!……と、思う」。

「………、それ言いに庖丁持って来たんか?」と桑原君は、不思議そうに笑った。

僕は妙に照れくさくなり、そそくさと厨房に戻った。包丁研ぎは後回しにすることにした。仕込みを終えてから、また研いでみようと思った。桑原君の睡眠の邪魔をしてはいけないし、たとえ彼が起きていたとしても、会話の話題探しに困ると思ったからだった。

コックを起こし開店の準備を終えて、11時前に部屋にそっと戻ってみると、布団は空っぽだった。メモが置いてあった。

「いつも、突然ですまない。ちょっと行きたい所があるので、行ってくる。君も、元気でな!」とあった。微笑ましかった。しかし、その直後、やけに心配になった。メモは折り畳んで仕舞っておくことにした。

桑原君は、それからしばらく、顔を現わすことはなかった。

 

*月曜日と金曜日に更新する予定です。つづきをお楽しみに~~。

 

もう2つ、ブログ書いています。

1.60sFACTORYプロデューサー日記(脳出血のこと、リハビリのこと、マーケティングのこと、ペットのこと等あれこれ日記)

2.60sFACTORY活動日記(オーセンティックなアメリカントラッドのモノ作りや着こなし等々のお話)


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