昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

第三章:1970~73年 石ころと流れ星   ④

2011年03月28日 | 日記

店は順調だった。特に特徴のある店ではなくメニューも平凡なものだったが、立地がよかったのだろう。4人掛けのテーブル4つ、16席の小さな店は、12時直前から満員になり、1時間半で約2.5回転。午後は暇だったが、午後5時を過ぎる頃からぽつぽつと客が入り始め、10時の閉店までにお昼時同様、さらに2回転くらいしていた。

コックは店の売上と経費を計算し、伝票に転記しながら、ほとんど毎日「材料費、水道光熱費なんかで、まあ3分の1。残り3分の2が家賃や人件費…お前や俺のこっちゃ、とゲンカショウキャク…言うてもわからんやろう、どう書くんやったかなあ、難しい字やったなあ……、ま、店作る時に使うた金を取り戻す分や、言うてみれば。それと、利益や!」などと教えてくれた。

僕はざっと暗算し、毎月オーナーにいくら払っているか知らないが、コックの手元にはおそらく10万円は残るはずだ、見積もった。“ええやんか~~!”と思った。コックの決断は正しく、独立への道も開けている、と思った。僕がそこに立ち会い、少しはお手伝いできることがうれしかった。僕は、毎日が楽しかった。

週一回の休業日には、大学に行った。オリエンテーションを受け、何が何だかよくわからないまま、東京3人組の助言通りに書類を書いて提出した。大学生になったことで何かが変わったような気はしなかった。

文学部の構内では、時々武闘訓練を目撃した。素人芝居を見ているような感覚だった。タオルを口に当てたヘルメット姿の一団に、思わず桑原君の姿を探した。空虚で、少し悲しかった。

陽だまりに座っていると、よく声を掛けられた。「一緒に、歌いませんか?」という女子学生の笑顔には驚いた。「こんにちは~~。君は、戦後体制をどう思う?」といきなり切り出したきちんとした身なりの男子学生には、思わず笑った。「君は、どこに属してるんや?」と顔を覗き込んできた髭の長髪には、「ここはどこかの組のシマなん?」と言ってしまい、威嚇された。

どこかのんびりとしたストライキだった。教授陣に学生に同調する人たちがいるから成立しているだけだ、という東京3人組の見立てが正しいような気がした。

夜、部屋に戻ると、中華料理屋の店員に戻った。そちらの方が現実のように思えた。居心地がよかった。

 

5月中旬の夜、コックに「頼みがある」とビールをご馳走になった。「出前、始めるから、それもやってくれへんか?」ということだった。“とっちゃん”を思い出した。スープを吸いきったラーメンが浮かんだ。

「僕、方向音痴なんですけど……」と言い掛けて止めた。僕がやるしかない話だからだ。しかし、なぜ突然?と思った。「店に来る客で手一杯やから、出前はする気あれへんねん」と言っていたコックの方針変更の要因はなんだろう、と思った。客数は若干減ってはいるものの、売上が大きく落ち込んでいるわけでもない。

しかし、「悪い兆候やで、今の客の入り方。前の店でも経験しとるしな。ようわかんねん。これは、ジリ貧の始まりやな」と、コックはむしろ自慢げにビールをあおる。

「今のうちに手を打っておきたいんや。自分はようやってくれるし、飲み込みも早そうやし。出前もやってもらえるやろう、思うてなあ。……頼むわ」。

もう“イエス”しかなかった。仕込、フロア、洗い場、出前……。テーブルの下で自分の役割を指折ってみて少し暗くなったが、「やりましょう!」と明るく承諾していた。ビール4本目の勢いもあった。

しかし、それが、間違いへの第一歩だった。

 

*月曜日と金曜日に更新する予定です。つづきをお楽しみに~~。

 

もう2つ、ブログ書いています。

1.60sFACTORYプロデューサー日記(脳出血のこと、リハビリのこと、マーケティングのこと、ペットのこと等あれこれ日記)

 2.60sFACTORY活動日記(オーセンティックなアメリカントラッドのモノ作りや着こなし等々のお話)


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