昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

第三章“石ころと流れ星”(短期集中再掲載)   26.平穏の訪れ?!

2012年12月24日 | 日記

 平穏の訪れ?!

「小杉さん、どんな風に出てったんですか?行き先言いませんでした?」

「はっきり覚えてんのは、“あかん。このままじゃ、なんともならへん。どこで間違うたんやろう。行動せんとあかん。のんびりし過ぎや!”みたいなこと言うたことかなあ。私との生活のこと言うてるんや思うて、“私はええんやで。なんとかなるし。心配なことあったら言うて”て言うたんやけど、“君にいちいち言う訳にもいかんやろう。基本的に俺の問題なんやし”言うて、それからはもう、な~~んも言わんかったなあ」

「行き先は?」

「誰にも見つからんようなとこに行ってくる、としか…」

「三枝さんや上村さんは?」

「はっきりわからへんねんけどな、事件起こしたんは上村君ちゃうかな?思うてるんよ、私は」

夏美さんは、ぐるりと辺りを見回し声を潜めた。

「三枝さんは?」

「一度来はったんやけど、別に何にも言わんとささっと飲んで帰らはったよ。女の人と一緒やったなあ」

なんという一週間だ。と僕は思った。僕が東京に行き、奈緒子のお蔭で人の肌の温かみを知り、人を愛する気持ちにほんのりと包まれようとしている間に、そして、自ら選んだ学生という立場や役割に徹しようとしている時に、数名の男女には劇的な変化が訪れようとしている。

「上村さんやったら、きっと小杉さん絡んでますよね。上村さん、ずっと小杉さんにどこか頼りぶら下がってたから。自分の力を示したいんやろうけど、どこからどこまでが自分の力か、ようわからへんかったん違います?上村さん。小杉さんと関係なくパトカー襲撃はできひんでしょう」

上村が“隊長”たりえていたのは、小杉さんあってのこと。小杉さんが“隊長”として扱ったからに過ぎない、と僕は思っていた。

「そやなあ、そう言われてみるとなあ。でも、他に誰かいてる?三枝君も違うみたいやしなあ」

パトカー襲撃事件は、夏美さんの興味の対象ではなさそうだ。小杉さんがいなくなったことも、ひょっとするともう過去のことになりつつあるのだろうか。

カウンターの左端で身を乗り出す柳田の方を見ると、いつの間にかその前に女性客が3人並んでいる。そこに男たちが陣取っていたわずか1週間前とは、あまりにも趣が異なる。こうして彼らは忘れられていくのだろうか。

「夏美さん!」

僕自身が見限られたような気分に、小さな怒りと疑問が頭をもたげてくる。

「夏美さんは、小杉さん探す気ないんですか?」

夏美さんの眉間にうっすらと皺が浮き出る。

「あったわよ。……あったんやけど……ほら、本人が“誰にも見つからんようなとこ行く”言うてたし……そうそう、家出る時、“僕ら店の邪魔やったやろう。しっかりええ店にして、きっちり稼いでや。銀行の世話になんかなったらあかんで!”言うてたから、私は店をちゃんとやって待ってたらええんや、思うたんよ。小杉君、前の店からずっと、経営のこと気にしてくれてたしな。私がせなあかんことは店のことや、思うてな」

時々こちらを窺う柳田に目を向けながら、夏美さんは言った。ちょっぴり言い訳の臭いがした。今を正当化している感もあった。

「小杉さん、根がやさしい人やから。気い使わはったんやろなあ」

「だから、なんよ~~。店を変えなくちゃ、もっといい店にしなくちゃって、慌てて昔の知り合いの柳田君を探したり、前の店に来てくれてはった人たちに手紙書いたり……。そや!3~4日したらまた来て~~。照明も変えよう思うてるんよ。なあ、柳田君、明後日やったなあ、電気工事入るの」

夏美さんの言葉が、僕を通り抜けていく。小杉さんがいなくなった安堵感だけが伝わってくる。

「バイトの帰りにでも寄りますわ。12時じゃ、中途半端ですし、すぐ帰る気にもなれへんやろうし。……ちょっとお腹も空いてるやろうし」

怒りと疑問は冷め切り、会話の気力も失せてしまった僕は、ストゥールから腰を上げようとしたが、夏美さんの手に肩を押えられた。

「まあそんな急がんと、もう一杯くらい飲んでったらええやないの。……柳田君、何か食べさせてあげて~~」

押し留める手に籠る中途半端な力に、夏美さんの心の有り様がわかる。

「炒飯でも作りましょうか~?」

女性客3人の笑い声を後にして、柳田が近寄る。

「炒飯は、あんた、ほら!」

「あ!せやった!中華料理はあきませんよね~~」

柳田は僕ににやりとしてみせ、「ほな、あるもんで簡単に、いうことで」とカーテンの向こうに消えていく。その長髪の後頭部をしげしげと見送りながら、“夏美さん、柳田をあんたと呼んだな”“柳田に僕の情報入ってるな”と思う。

僕の疑いと不快が伝わったのか、僕の肩から手を離した夏美さんは、次々と言葉を投げ掛けてくる。

「しかし、奇遇やねえ、バイト先が近所やなんて」

「東京どやった?彼女とは仲ええんやろうなあ。羨ましいわあ。どんな人なん?東京の何処に住んではんの?」

「ちょくちょく寄ってな、バイトの帰り。毎晩でもええよ。サービスしたげるし」

「好きなもの教えとてもらおうか?お腹空いて寄った時、食べさせてあげんとあかんしなあ」

その一つひとつに曖昧に応じながら、僕は京子が訪ねて来て以来のあれこれを思い出そうとした。しかし、奈緒子との二日間の向こうに、ほとんどは霞んでしまっていた。浮かんでくる男女の姿はおぼろげで、熱く交わされたはずの会話も靄のように頭の中を漂うだけだ。

「どないしたん?何笑うてんの?」

僕の苦笑いに気付き、夏美さんが覗き込む。

「酔うたんちゃう?……そんな弱ないよねえ」

「酔うたんやろか。なんか、頭ぼーっとしてますわ」

夏美さんの訝る笑顔にそう言って、僕はジンライムを飲み干す。

「大丈夫やね、その勢いやったら」

空になったグラスを手にする夏美さんを制し、「今日は帰りますわ。明日は、バイト初日やし」と、僕はストゥールから降りた。

「お勘定してください」

夏美さんの後ろ姿がカーテンの向こうに消えるのを待って、再び三人の女性客に独占されている柳田に声を掛ける。

「今夜はええんちゃいます?お勘定いただく気ない思いますよ、ママ」

上半身を僕の方に伸ばし、柳田が囁く。“ママ”という言葉が艶っぽく聞こえる。

「それはだめです。来にくくなりますし」

胸を張ってポケットに手を入れるが、ジンライムの料金が以前のままなのか、ふと不安になる。それを察したのか、「じゃ、1000円だけいただいときますわ」と柳田がまた囁く。

ほっとしながら「いいんですか?」と皺くちゃの千円札を伸ばしている時、夏美さんが顔を出した。

「今、思い出したわ、急に。三枝君が連れて来はった女の子。確か、ミチヨです、言うてはったわ」

「え?!ミチヨ?」

「知ってはんの?」

「いえ。初めて聞く名前ですわ」

僕の中では京子が有力候補だった。和恵はむしろ、上村と近いはずだと思っていたし、三枝と京子は親密に見えていたからだった。新聞配達仲間だった桑原君を探していたはずの京子だったが、三枝との急接近の後、一体どうなったというのだろう。

「京子じゃないですよね」

「京子さんやったら、私知ってるもの。……うん、ミチコ言うてはったわ」

その時僕の頭に、吉田山で嵐山の花火大会を見た時の光景が蘇った。確かにもう一人、女の子がいたような気がする。京子と和美の蔭になり、口数も少なくうつむきがちな、存在が希薄な女の子が…。

「そうですか。……三枝さんは、何処にいてはるんでしょうね?」

カウンターの上で手を伸ばし、柳田に千円札を手渡しながら、夏美さんに尋ねる。

「私、よう知らへんのよ、三枝君のこと。岩倉辺りみたいなこと言うてはったような気もするんやけど。なんせ……」

夏美さんは、カウンターに両肘を突いて、また声を潜める。

「小杉君、“火を付けたんは僕やけど、沸騰し始めたヤカンはどうもできん。爆発するんやないか思うと気になってあかん”言うてはったし、“ちょっと水差したいんやけど、冷たい水差してもどれだけもつかわからんし”て悩んではったんよ。でな、“三枝は水やのうて、熱い石やったわ”言うてはったから、三枝君にはちょっと困ってはったんちゃうやろか?」

「そうですか。上村さんのことも悩んではったんですかねえ」

「上村君は、気持をいつも気遣っておけば大丈夫や、言うてはったけど」

「そうですか。まあ、また話聞かせてください」

夏美さんが、また僕の前にグラスを置いたのをきっかけに、僕はそそくさと店を後にした。柳田と女性客の笑い声が後ろから聞こえてきた。

 

翌日から僕は、真面目なアルバイト学生になった。奈緒子との約束を果たそうという気持ちが、僕の暮らしに一本の筋を通してくれたようだった。目覚まし時計を枕元に置き、午前9時には起きた。東京3人組のアドバイスを受け、春に多めに履修だけはしておいた科目の中から興味がもてる科目と単位が取りやすい科目を選び、その授業には出席するようにもした。

学生運動にシンパシーを感じている教授や助教授の中には、講義をを拒否する者もあるようだったが、校内は静かになりつつあった。

時々見かけるヘルメットの一群も、ノンポリと言われる学生たちには見慣れた風景の一部になってしまっているようだった。

「国際反戦デーが終わったから、もう終わりだな。何か最後に仕掛けて、自分たちのアリバイ作りをして、それで“以上!”ということになるんじゃないか」と東京3人組は、冷ややかに言っていた。

僕は、ヘルメットの一群を見ると、どうしても三枝や上村の顔を探さずにはいられなかった。が、黒のヘルメットを見ることはなく、他の色のヘルメットの中に彼らの顔を見かけることは一度もなかった。

次回は、12月25日(火)になります。

注:第一章はドキュメンタリーです。第二章は経験が元になっています。第三章は、経験を元にしていますが、ほぼ創作です。 人名は、第一章以外、すべて架空のものです。 “昭和少年漂流記”は、第四章か第五章で終わります。

*第一章:親父への旅 http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/84e40eba50c5c6bd4d7e26c8e00c71f7

*第二章;とっちゃんの宵山 http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/f5931a90785ef7c8de01d9563c634981


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