昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

昭和少年漂流記:第四章“ざば~~ん”……40.豪雨の後に来るもの

2013年10月29日 | 日記

豪雨の後に来るもの

大川堤防への坂を上がる。フロントグラスを叩く雨が激しい。ワイパーを最強にする。道の両側にある側溝から雨水が溢れている。大川の水嵩が増し、雨水が川へ流れ出ることができなくなっているようだ。まだ危険水域にまで達しているとは思えないが、水量は相当な勢いで増してきているようだ。

堤防に上がり、ハンドルを右に切る。いつも目にしている松が淵の一本杉は、豪雨のカーテンに隠れて見えない。しかしそれが、いつも支えになってくれていた松が淵と一本杉が、“もう自分の力だけでやっていけるよ”と言ってくれたような気がする。この豪雨ももうすぐ収まるだろう。不動産投資で焦げ付いた倉田興業の資金繰りにも光が差してきているように。

「よ~~し!」

義郎は、アクセルをふかす。明るく温かい幸助の新居のリビングが目に浮かぶ。そして、明日からはきっと忙しい日々が待ち受けている。豪雨が大川に残した傷を修復し、倉田興業も元の姿に戻していかなくてはならない。

雨筋が束になってフロントグラスを流れる。豪雨がフォグランプの灯りさえ阻んでいる。

“公平を東京から連れ帰った直後のようだ”と、義郎は思う。

 

義郎と公平が帰郷した翌日、聡美、長沼を加えた4人で話し合い、とにかく一生懸命いい仕事をするだけだ、という結論に達した。そして数日後、光代は会社を辞め、達男と東京で暮らすことを選んだ。やがて、市議を辞めた達男からはほとんど連絡もなくなった。

倉田興業が抱える借入金の総額もはっきりとしてきた。その額は大きく、たやすく返済できるとは思えないほどのものだった。聡美は再三再四達男に所有不動産の一部を処分するよう依頼したが、いつも「俺の一存では動かせない」という返事が返ってくるばかりだった。

事情をよく知る公平はそのことに失望することも怒ることもなかった。が、改めて目の当たりにした自分の会社の現実に、少なからず意欲を失っているように見えた。

光代の代わりに財務・経理の担当となった聡美は、しかし、意欲に溢れていた。

「大きな病気をしたようなものよ。病気は治せばいいんだから。大丈夫。ちょっと治療費は大きいけどね」

そう言って“倉田興業健全化10年計画”なるものを作成し、その実現の可能性の高さを説明。みんなにも意欲と希望を与えてくれた。

「安原酒造を建て直した女だもんなあ。でも、あの時は新しい販路を見つけるという大きな道筋があったもんなあ。俺たちの仕事は人がやること以上のことはできないし。……下請けを叩くわけにもいかないしなあ」

説明を受けた直後、公平がそう呟くと、聡美は一瞬怒りの目を向けたが、敢えてゆっくりと話を続けた。まるで公平を諌めるかのように。

「下請けって言い方、まずいんじゃない?協力会社ってずっと言ってきたのには理由があるんでしょ?確かに製造業みたいに増産はできないけど。でも、人の力をもっと引き出せばいいんじゃない?公平君も現場に出る。私も現場に出る。現場でずっと働いてきてる人たちには、今までよりもちょっとだけ頑張ってもらう。それしかないんじゃない?だからこそ……」

「下請けなんて言っちゃいけないってことだろ!?」

公平は少しばかり不満そうだったが、病原は自分だという強い自覚が生まれてきたのか、そのまま押し黙り、しばらくすると何度か一人で頷いていた。

 

それから2年間、公平と聡美は現場に出続けた。二人が現場で働く姿は、当初倉田興業の苦境の象徴として見られているだけだったが、やがて好感を持って見られるようになり、それにしたがって仕事の幅も広がっていった。それは、達男の市議辞職が減少させていた公共事業の受注を補うばかりか、売上増さえもたらしていた。

3年目に入った頃、さしものバブル景気も終焉。腰を痛めたこともあって、聡美は内勤となったが、公平は現場の仕事にさらに精を出すようになっていた。

それは、義郎の“人生最良の日々”だった。公平は初めて義郎を相棒と見なしてくれるようになり、長沼は増えてきた個人の住宅設計の仕事に目を輝かせ、負担増をむしろ生きがいと感じる義郎を、毎日優子は労いの言葉と笑顔で迎えてくれた。

達男の破産、多額の借金を抱えての光代との失踪、といった不幸な報せが入ってくる一方で、着実に借金を減らしていける幸せは、自分の東京行きの決断と公平を連れ帰るという判断に因るものだ、という自負もあった。

本当の一人前になったんだ、と時々義郎は誇らしく思った。負債を一緒に抱えた気持になったからだ、と思った。その負債から抜け出る道筋が見えてきているからだと思った。そして、優子という存在があってこそのことだと思った。

そんな“人生最良の日々”に影が差したのは、達男が突然現れた時だったが、聡美がすべて対応し、彼の多額の借金の処理に奔走してくれた。しきりに「私たちの家は守るからね。優子とも約束したもんね」と声を掛けてくる聡美を心強く思う一方で、負債の一部を引き受けることになった公平と義郎の前に姿を見せない達男を、義郎は生まれて初めて軽蔑した。

そして、安原家の資産を処分することと達男が実家が資産家の妻の元に戻ることで、ほぼ影は消えたのだった。

「あいつ、“結婚は計算でするものだ。好きだから、なんて理由でするもんじゃない”って言ってたけど、今回のようなことのために結婚していたのかなあ」

公平が皮肉交じりにそう言った時も、「俺たちは、一生懸命仕事してればいいんじゃない?」と言えるほどの余裕さえ、義郎には生まれていたのだった。

 

大川堤防の上を急ぐ。幸助の家までを遠く感じる。前方はほとんど見えない。さらに姿勢を低くし前方を窺うと、堤防上の道路の一部が冠水している。少し低くなっている場所だ。義郎の現場にも近い。しかし、まだ大きな問題はなさそうだ。

「忙しくなるぞ~~~!」

頭に“稼げるぞ~~”という言葉が浮かび、義郎の顔が輝く。

その時、携帯が鳴った。天候不順の時はすぐつながらなくなる携帯だった。義郎は、優子からだと思った。軽トラを停め、携帯を手に取った。公平からだった。

「達男が来てるぞ。一応知らせておこうと思ってな」

ということだった。

                                      次回は、11月1日(木)予定           柿本洋一

*第一章:親父への旅http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/84e40eba50c5c6bd4d7e26c8e00c71f7

*第二章;とっちゃんの宵山 http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/f5931a90785ef7c8de01d9563c634981

*第三章:石ころと流れ星http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/0949e5f2fad360a047e1d718d65d2795


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