俳句日記/高橋正子

俳句雑誌「花冠」代表

5月14日(土)

2011-05-14 15:53:03 | Weblog
★竹皮を脱ぐ孟宗の節短し  正子

○今日の俳句
抜きんでて空わがものに今年竹/黒谷光子
竹の生長は驚くほど。一夜にして空に抜きん出て、若緑の葉を空にそよがす。空をわがもとして。

○花冠ツイッター句会(花冠7月号後記より)
★花冠のもっとも新しい動きは、ツイッター句会を始めたことです。ツイッターが日本で注目されたのは、このたびの東日本大震災で、ツイッターを利用した情報伝達によって、家族や知人など広く必要な情報が伝播していったことがあげられます。ツイッターには、信之先生も、私も一年以上まえに登録をしていたものの、俳句にはツイッターは向かないのではということで使わずにおりました。ツイッターのシステムの進化が、高齢者に扱い易いという点で、信之先生が句会に利用することを決断されました。句会の方法は、信之先生が考えられて、ツイッター句会が始められたわけです。長らく親しんだブログ句会にとって変わりました。
★「新しい酒は新しい皮袋に」という教えが聖書にありますように、新しい内容(俳句)は、新しい入れ物(ツイッターのシステム)が必要でしょう。
★このたびの東日本大震災や原発事故も天災だけとは言えないでしょう。人間も含めた自然の本質を求めてゆかなければならないと思います。今すべきことは、内容を新しく、伝統をよく思い起こすことでしょう。自然の豊かな日本は、自然に親しみ、また恐れをもって暮らしに抱き込んで、おりました。西洋人の、自然は克服するものという考えとは、違っております。自然の造化に従うということがよくわかるのが、川本臥風先生の俳句と思えます。今月号の表紙裏は、臥風先生の句の鑑賞です。皆様もご自分の鑑賞をなさってください。(正子)

○川本臥風鑑賞
鮎匂い鮎の山河を恋いわたる    川本臥風
鮎は生まれた川の水の匂いをたどって上ってくるという。その生態をあますところなく十七字にまとめた臥風先生の代表句。豊かな水と緑したたる山河は日本の夏のいよいよの始まり。(高橋正子)

○パウル・クレーと小杉放菴
 私の(あるいは家族の)大切にしている家具に、食器棚と本棚がある。食器棚もスライド式本棚も本当の木でできて、はまっているガラスは、面取りしてある。食器棚は狭い家には大きめだが、引越しで物を減らすときも、処分しないで付いてきている。これから書こうとしているのは、食器棚と本棚のガラスの裏側から差し込んでながめている絵葉書のことである。
 二,三年前になるが、川崎歴史博物館だったと思うが、そこを訪ねて売店で何気なく買ったパウル・クレーの「ニーゼン山(Der Niesen)」の絵葉書と、出光美術館を訪ねた時に、見ていると愉快になって買った小杉放菴の「金時遊行」の二枚の絵葉書。これを、(ゴッホや白秋の絵もあるが)ガラス戸にはめている。「金時遊行」は、裸の金時ではなく、大きな絞り柄の赤っぽい着物と、チャコールグレイというといいのか、そういうズボンをはき、左手に鉞を持って、右手と、左足を跳ねあげ、くりくりと肥えて、四、五年生の元気いっぱいの男の子の表情をしている。昭和十二年ごろ書かれたもののようだが、大変気にいっている。パウル・クレーの「ニーゼン山」は、スイスのベルンの家の窓から見えるニーゼン山を、抽象的に青い三角形に描き、町並みはあかるく、諧調のある色彩で、四角、四角を積み重ねて、一本の木は枝を、空には、月と星を描いている。抽象画にしては、叙情的、詩的、諧調的で、これも気に入っている。クレーはベルンに生まれたから、いわば故郷の山を書いたわけであろう。二,三年も見続けていると、青い三角形の大きな山に存在感とともに懐かしさを感じるようになった。
 「金時遊行」のほうを進んで買ったせいもあって、三月十一日の東日本大震災が起こるまでは、放菴に軍配をあげていたが、震災のさわぎで、クレーのニーゼン山のほうがよくなった。抽象的なものがよくなったのかどうかはわからないが。そういう気持ちでいた、数日後、日経新聞で、パウル・クレーの絵の特集が三回あった。偶然の重なりとは言え驚いた。今の日本人がクレーを見たがる気分になっているのかとも思えるが、そのことは、よくわからない。

◇生活する花たち「えごの花・ニワセキショウ・アヤメ」(横浜日吉本町)
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