俳句日記/高橋正子

俳句雑誌「花冠」代表

12月7日(火)

2021-12-07 10:18:40 | 日記
曇、夜雨。大雪。

葉牡丹を植えて遣る水たっぷりと 正子
寒星の二つの光り恃みけり    正子
大根のあまりしものも瑞々し   正子

●今日は暦の上の大雪ながら、きのうよりは暖かいが、夕方から本降りに。

●秀之さんのアンソロジーの句、選をして、添削もして、一日置いた。『南港』以後の句は、もう少し自分を出した方がいいと思う。今日の朝日の折々のことばを読んでも、やはり自分の位置は大事。「私」というのは結局は、問題を孕んでいる。その問題の厳しさから出発しなければならない。忙しいと、なんとなく、「私」が薄れてしまうのは、たしか。

●大分の小野京子さんから封書。コスモスの花の絵の便箋数枚に丁寧な返礼。
こういう手紙をいただくと、誠実な句集であれば、どなたのでも、丁寧に読んで、自分の感想を添えて返事を書くのが、礼儀より勤めと思える。世の中には多くの俳句を詠む人がいて、作った句が通りいっぺんに読まれて、無名だからと無碍にされているのではないだろうかと、それを思うとわが身に返って悲しくなる。

●今日の朝日新聞コラム「折々のことば」より
「私」の世界に繋留点をもたない思想は、いかにはなばなしく権力にあらがっているようにみえても、しょせん一時の流行におわる(野田宜雄)(西洋史家)
解説:鷲田清一
・・自分ぬきで語らないこと。それは、自分がどのような場所から語りだしているかを強く意識することでもある。
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