白靴にばらの服召し医学女史 正子
●諏訪内晶子さんのラジオでのトーク。世界的なバイオリンにストは、小学校、5,6年生ごろからチャイコフスキーのバイオリン協奏曲を練習するらしい。江藤俊哉先生につく前にもチャイコフスキーのバイオリン協奏曲を弾いていたとのことだが、江藤先生に「チャイコフスキーは、モスクワの人ではなくて、サンクトペテルブルク の人ですよ。」と言われたという。その違いは、「気品」があるかないかのことで、初めから、江藤先生が教えてあげます、と言われたそうだ。
サンクトペテルブルクは、私が学校で習ったときは、レニングラード。ソ連が崩壊したとき、レニングラードから サンクトペテルブルクに名前を変えた。モスクワから600キロほど離れていて、文化の都。それに比べてモスクワは田舎の街。
「気品」というのは、文化とか、芸術にとっては一番大事なことではないかと思う。夾雑なことがないことが気品だという気がする。 気品は言語化できないのだろうから、言語に頼る最近の俳句には、気品がないのだろうと思う。「気品」というとお高い感じがするが、「品位」と言ってもいいかもしれないが、少し違うかも。能には、到達度の位があると読んだことがある。歌舞伎はマッカーサーの歌舞伎好きによって残された。さもありなむ。