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珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

恐怖

2020-07-14 | 思うこと
小林よしのりさんのブログにこんな一文があった。

集会に参加したら、インフルエンザをうつされたということがあったら、うつした奴は道徳的に非難されることがあるかもしれないが、スキャンダルのように騒がれ、他人に叩かれることはない。
主宰者がバッシングされることはないし、うつされた人まで、非難され、謝罪に追い込まれるようなことはない。
それが新コロだと「悪」にされるのだから異常だ。

こういう人は怖いからですね。コロナが「怖くてたまらないから」
人は怖いと激しく攻撃する。

私はコロナウイルスは特別には怖くないので、例えば県外から来た車を見ても、飲食店で楽しそうに食事をしている人を見ても、何とも思わない。
攻撃しようなんて全く思わないし、そんな発想自体がない。
(ゲホゲホ咳をしながらマスクをしていない人とかは別ですよ。そんなのはコロナ云々じゃなくて昔から非常識)
S会員も今は全然怖くない。
だから攻撃しようとか冷やかそうなんて全く思わない。

でも過激な自粛警察や、非科学的なことを言っては煽っている人を見たらチクリと言ってやりたくなる。
まあ攻撃したくなるということでしょうね。
それは私が、自粛警察やそういう人が「怖い」からである。
自分の自由を奪われると思う怖さがあるからと思う。

攻撃するのはそこに恐怖😱 があるから。

以前、私はアンチブログでも「恐ろしいですねえ」は好きじゃなくて「それほどのもん?」とよく書いた。
「もっと深刻に書け」と賛否あったけど、よほどじゃない限り、恐怖を煽るのは本当に好きじゃないんですよ。

バランス感覚

2020-07-14 | 日記
私がSアンチブロガーをやめた理由に「叩くより、気にならなくなる方が効率的」と思ったことがある。

実際、叩く人は、口では「衰退」とか「撲滅」というけど、じゃあ実際、衰退して無害になったら満足するかというとそれが違った。全然そうじゃなかった。
むしろこれは逆になることがよーくわかった。

組織を離れたら、嫌になったという理由の、ノルマだの時間の拘束だのから解放された。
にも拘わらず、文句は変わらないどころか「当時以上に増える」のである。
なかなか忘れられないとか、いやまだ家族がと、理由は探せばあれど、少なくとも10あった不満は1に減ったはず。
Sの勢力も昔は10あったら今は1ぐらいになっているし、自らそう繰り返している。
でも不満は衰退も撲滅もせず、ゴミみたいなことまで盛り上げて、1が20くらいにったまま延々止まらなくなる。

ゴールを「衰退」や「撲滅」にしたら、キリがないのよ。
むしろそうすると昔は笑って流せたことが、癇に障ってほんのちょっとも許せなくなる。
リスクゼロ。無菌室でも目指ざすべく、どんどんどんどん潔癖になって、必要以上の警戒と嫌悪に脅えることになる。

これって本当にめんどくさい。

ゼロも完璧も無害も無理なんだって。
面白いことに、嫌なことって、半分はそう願っても半分は「まっいいか~、そんなもんだよね」というバランスでいた方が息苦しさがない。

最近はこの騒動で、正常な感覚をもっていたはずの一般人や一般社会までが「1ミリも許すまじの、撲滅、衰退を目指す極アンチ」になったみたいで、窒息感がハンパないわ。