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珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

最後の小説

2020-01-23 | 思うこと
前にも言ったけど、一般に「ブログ記事は古いものは読まれない」というけど、私はそうじゃない。
(実は珈琲も意外にそうじゃなくて過去記事もよく読まれてるよ。ありがとうございます)

そもそも私はトレンドに疎いし、こう思うんだけどなあなんて感じの、いつであれ、結局行きつくというか永遠のテーマみたいなことを書いているからかもしれない。

今を知らないと時代に取り残されたようになって落ち着かなくなる人っていますか?

実は私もある時期まで、トレンドを追っかけていたことがあった。
何であれ「流行り」ってものはあって、それは言葉一つにも、洋服にも、音楽にも、わかる人は同調してくれると思うけど、私が好きな日用品や家具にもそれは大いにある。
ティッシュカバーひとつにだって、それは変遷したわ(笑)

20代前半のある時期、私はある特殊な分野の書類を作って、それを役所に提出する仕事をしていたことがあった。
提出先が関東地区の非常に多岐に渡って、都庁の時もあったけど(余談ですが、そういうわけで私は都庁が今の新宿に移転する以前の新橋にあった頃からそれに馴染みがある)そんなことはさておき、それで電車に乗っている時間がたくさんあった。
スマホなんてない時代だから、その間の暇を潰すのにゲーム機か本は必須だった。
それで私は必ず文庫本を携帯していたんだけど、その時に読んだ本の不朽の名作に「風と共に去りぬ」があった。

私は何巻にも渡るこの長編小説を読んで以来、あんなに好きだった小説をピタリと読まなくなってしまった。
(それからノンフィクションへいった)

読めなくなったというか、手が伸びなくなった。

なぜって。

この小説には、時代劇も、人の心理も、恋も、悔いも、心を刺す刺激も、エンタメも全て入っていたんですよ。
誰が束になっても敵わないくらいに。
こんなホンモノを見せつけられて以来、安酒に酔えなくなっちゃったというかな…

「読み捨てられる雑誌のように、私のページがめくれるたびに、放り出されてしまうのかしら」
と歌うアイドル歌手がいたけれど、本当に面白いものは放り出されない。
少なくとも私は放り出さないと思う。

他人の揉め事2

2020-01-23 | 思うこと
これは私も経験したことなんだけれど、最近の流行りなんだろうか?

AさんとBさんが揉めたとする。
双方ともに言い分があるだろうから、そんなことは二人の問題で二人で話し合えばいと思う。
二人で話す内容である。
双方ともに互いの連絡先を知っている。
双方ともが、口下手でも人見知りでも何でもなくて、それどころか普通の人より弁舌が立つ。
なのにAさんが何度連絡をとっても、一方のBさんは頑なに無視をする。

Bさんは何も言い分がないのかというとそうではなくて、言いたいことは山のようにある。
でもBさんはそれをAさんに言うのではなくて、不特定多数が見るネットで、無関係な人間に詳細にぶちまけるんだよね。

なんで??????

それが今の感覚なの????


無関係な不特定多数の中には他人の揉め事が三度の飯より好きで、すっ飛んできて聞き出してはそれについて語りたい人がいる。
中にはそれで金儲けしようと思う人までいる。
なぜって他人の揉め事と訊くと人が集まるからなんだよね。

Aさんはそんなことしたくない。
ちゃんと話し合って居り合いを付けたいだけで、さっさと終わらせたいだけである。
でもBさんがそんなことしたら野次馬が面白がって、あることないこと言い放題する。
延々とする。

結果、愉快なのは一部の野次馬だけで、双方ともに愉快なことなんてないのにさ。

私はそういう時、それには興味がない人から「海さん、そんなんどうでもいいから子育てとか日常の面白いこと書いて」と言われた。
私も同じように「そんなん相手にしないで、もっと楽しみにしている話がいっぱいあるのに」と思う。
でも、そうしたくてもわけのわからない嫌がらせや口ばし挟みが、やり方は違えど24時間ひっきりなしに続くんだよね。
結果、仕方なく対応せざるなくなってしまう。
これは体験しないとわからない。

週刊誌であれ、ネットであれ、こんなことにオールドメディアも今もないと思うわ。
野次馬って永遠。