さてさて前回、誰も強制しているわけでもなくて、自分が読みたくて読んでながら
「アドラーを押し付けてくる」「押しつけがましい」と言った人は、そんな他責癖は治りましたでしょうか。
復習すると、それは実際に押し付けられたのではなくて、自分が相手に言いがかりをつけたいという目的があって「押し付けられた」と理屈を持ってきているだけ。
自分の「気に入らない意見が書いてあるものを批判したい」という目的ために、自分の確固たる意志で読んで「押しつけがましい」という言い訳をしているだけです。
さすがアドラーさん、わかりやすいですよね。
理解したら次に進みましょう。
前にも書きましたが、アドラーは「他者の課題と自分の課題は明確に分離せよ」と言っています。
他人が何かを言ってくるのは「他者の課題」であって「自分の課題」ではない。
長年、S問題の覚醒だの教義論争のような、相手を「正しい自分を見習わせて気づかせる」ような労多くて益なしの論争を見たり言ったりしてきた私には、納得でした。
ネットの言い合いは何でもそういうところがありますよね。
でも
他人をごちゃごちゃ言うことは、そういうことに振り回される自分の未熟さの問題。
他人がごちゃごちゃ言ってくるのは、そうしないと自分が保てないその人の課題。
他人のことに首を突っ込んだり乗せられたりする暇があったら、自分を正し、自分が正しいと思う行いを貫くこと。
そこに他者を介入させない。
だってそんなことしたら、自分が限りなく不自由になるから。
そういうことを言っておられるというのが、私のアドラー観。
この通り実践できるかは別として、私には何とものびのびと自由に感じた理論ですね。
「アドラーを押し付けてくる」「押しつけがましい」と言った人は、そんな他責癖は治りましたでしょうか。
復習すると、それは実際に押し付けられたのではなくて、自分が相手に言いがかりをつけたいという目的があって「押し付けられた」と理屈を持ってきているだけ。
自分の「気に入らない意見が書いてあるものを批判したい」という目的ために、自分の確固たる意志で読んで「押しつけがましい」という言い訳をしているだけです。
さすがアドラーさん、わかりやすいですよね。
理解したら次に進みましょう。
前にも書きましたが、アドラーは「他者の課題と自分の課題は明確に分離せよ」と言っています。
他人が何かを言ってくるのは「他者の課題」であって「自分の課題」ではない。
長年、S問題の覚醒だの教義論争のような、相手を「正しい自分を見習わせて気づかせる」ような労多くて益なしの論争を見たり言ったりしてきた私には、納得でした。
ネットの言い合いは何でもそういうところがありますよね。
でも
他人をごちゃごちゃ言うことは、そういうことに振り回される自分の未熟さの問題。
他人がごちゃごちゃ言ってくるのは、そうしないと自分が保てないその人の課題。
他人のことに首を突っ込んだり乗せられたりする暇があったら、自分を正し、自分が正しいと思う行いを貫くこと。
そこに他者を介入させない。
だってそんなことしたら、自分が限りなく不自由になるから。
そういうことを言っておられるというのが、私のアドラー観。
この通り実践できるかは別として、私には何とものびのびと自由に感じた理論ですね。