■拜殿■
(18th March 2009)
★熊内八幡社★ 兵庫県神戸市中央区熊内町9-2-18
・祭は八幡大。
・文武天皇御代、山伏として知られる修驗道の祖、役行者が布引の瀧で修行し、この地に瀧勝寺を建立した時、彥火火出見命を鎭守として祀ったのが、當社の緣起とされている。
・天正年(1573~)、荒木村重が、織田信長により滅ぼされた時、瀧勝寺と共に燒失したが、永(1624)の初め、熊内村の大庄屋であった中西家が、自家の祖先が源氏であったため、源氏の守護である八幡宮として再興し、現在に至っている。
■鳥居、社號標■
(18th March 2009)
■二之鳥居■
(18th March 2009)
■拜殿■
(18th March 2009)
■本殿玉垣■
(18th March 2009)
■末社本殿■
(18th March 2009)
((コメント))
2009年3月18日
三ノ宮驛から、布引瀧を探して歩いているときに偶然見つけたので立ち寄った。境内は保育園のようで賑やかなところであった。そういう考えは惡くない。殘念ながら、圍いが多く、本殿は姿が見えたものの撮影できずに殘念である。
(18th March 2009)
★熊内八幡社★ 兵庫県神戸市中央区熊内町9-2-18
・祭は八幡大。
・文武天皇御代、山伏として知られる修驗道の祖、役行者が布引の瀧で修行し、この地に瀧勝寺を建立した時、彥火火出見命を鎭守として祀ったのが、當社の緣起とされている。
・天正年(1573~)、荒木村重が、織田信長により滅ぼされた時、瀧勝寺と共に燒失したが、永(1624)の初め、熊内村の大庄屋であった中西家が、自家の祖先が源氏であったため、源氏の守護である八幡宮として再興し、現在に至っている。
■鳥居、社號標■
(18th March 2009)
■二之鳥居■
(18th March 2009)
■拜殿■
(18th March 2009)
■本殿玉垣■
(18th March 2009)
■末社本殿■
(18th March 2009)
((コメント))
2009年3月18日
三ノ宮驛から、布引瀧を探して歩いているときに偶然見つけたので立ち寄った。境内は保育園のようで賑やかなところであった。そういう考えは惡くない。殘念ながら、圍いが多く、本殿は姿が見えたものの撮影できずに殘念である。