の坐すと地と魂の鎭まる地

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越中國一之宮雄山神社前立社壇

2010年03月06日 17時27分32秒 | 中部(富山、石川、福井)
■神門■
(22nd June 2008)



★越中國一之宮雄山神社前立社壇★ 富山県中新川郡立山町岩峅寺1番地

・延喜式内社、越中國新川郡、雄山神社。

・旧社格は國幣小社。

・霊峰立山を神体とし、立山の神として伊邪那岐神(立山権現雄山神、本地阿弥陀如来)と天手力雄神(太刀尾天神剱岳神、本地不動明王)の二神を祀る。

・平安初期に建てられた立山寺(岩峅寺)を前身とする神仏習合の施設。岩峅寺における立山信仰の拠点であった。

・開祖佐伯有頼が、立山権現の化身である白鷹の泊まった白鷹の断崖の正面に位置し、この地より立山開山の伝説が始まったという。

・武将や公家からの信仰も篤く古来より「立山権現」への献上品はこちらに奉納された。

・脇を日本一の暴れ川と称される常願寺川が流れ、たびたび水害をもたらした事から、現存の規模になっているが、この施設から流されたものが、御神体になって作られた神社が、下流地域にいくつもある。

・現在残ってる本殿は源頼朝が修復・再建を行なったものが受け継がれている。その為か神社の建物に菊の紋章が入っていない珍しい神社である。


■鳥居■
(22nd June 2008)



■参道■
(22nd June 2008)



■拝殿■
(22nd June 2008)




■本殿■
(22nd June 2008)



■岩峅寺湯立の釜■
(22nd June 2008)



((コメント))

2008年6月22日

四つある越中一之宮の一つである雄山神社へと行くことにした。

 峰本社、中宮祈願殿、前立社壇の三つがあるそうだが、私がいったのは、前立社壇である。ちなみに、三つのうち、どちらにいってもご利益は同じだそうだ。ならば、本殿が文化財になっている前立社壇がいいかな、と。

 ということで、ガソリン入れてから南東に車を走らせ、立山橋を渡り富山市から館山町に入ったすぐのところに鎮座する雄山神社前立社壇に到着。雨天というのもあるが川面からは霧が立ち上り、非常に幻想的であった。

 さすが、神仏混淆の歴史を感じさせる雰囲気が境内一面に立ち込めている。興味深い。境内の雰囲気はいささか重い気がたちこめて入るようだ。それは、御神気ではなく、亡者の魂といったほうが近いかもしれない。


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